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退屈日記「父と息子が歩いた長い道のりを思い返す夜」 Posted on 2021/07/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、眠れなかった。
夕食後、息子は寝床に潜り込んで、携帯で彼女と話しをしている。
一応、ひそひそ話しで会話しているのだけど、狭い空間なので、声は筒抜けなのだ。
ルーシーはイギリス人だということが判明した。
今、イギリスにいるのだという。
デルタ株が英国ではあっという間に5万人の感染者数に、フランスでもわずか一週間で5倍の1万人にまで増えた。
この変異株は本当に油断できない。高速で増殖している。
ユーロカップのあの盛り上がりの影響がこれから出てくるので、数字はさらに跳ね上がるだろう。
でも、ワクチンの影響で重症化や死者数は低く抑えられている。
この飛び跳ねる数字だけを追いかけてコロナを語るのはもはやだんだんナンセンスになってきた。
そういうことを考えながら、キッチンでウイスキーを舐めながら、窓の向こう側に出ている赤い空と小さな月を眺めていた父ちゃん。
息子の囁き声を聴きながら、この子と旅をした年月のことを振り返った。
ぼくが息子と2人きりになって、計算をしてみると、だいたい3000日が過ぎた計算になる。
3000日か、と思わずため息がこぼれてしまう。
小学生だった息子は今、高校三年生なのだから、光陰矢の如し、ではないか。

退屈日記「父と息子が歩いた長い道のりを思い返す夜」



でも、ここに書けないことも当然、多々あるのだけど、ともかく、このようにこの子は成長し、青年になった。
あと、半年でこの子はフランスでは成人となる。
そこがぼくの子育ての一応の区切りの、一応の目標ということになるのであろう、・・・いわゆる「子育て」が終わる時が次の息子の誕生日ではないか、とぼんやり想像している。
はじめての父子旅はたぶん、ストラスブールへの旅行だったと思う。
離婚する前で、すでに家はバラバラだった。
ぼくは息子を連れ出さなきゃ、と思っていた。
どこへ? どこか誰もいない世界だ、と思い南下し、気が付くとストラスブールにたどり着いていた。
その頃の記憶をぼくは消そうとしているようで最近、思い出せない。笑。
思い出すのは、ストラスブール市内を息子と並んで歩いている時の映像だけだ。
この時は息子がすごく饒舌だった。
思えば、家の中で何が起こっているのか、自分の中で分析して彼は彼の中で、納得したかったのだろう。
神も飛び出すし、自分の家族の未来像まで飛び出して、とりとめはない話しなのだけど、子供の心理がそこかしこに丸写しされているような内容だった。
ぼくは自分が待ち受けるものを想像しながら、息子の肩を抱き寄せるような日々の中にいた。
あれが父子旅のはじまりであった。

退屈日記「父と息子が歩いた長い道のりを思い返す夜」



日本国内も隅々、二人で旅をしたし、欧州はすべて網羅し、その後、ハワイにも渡ったし、北アフリカやロシア、アイスランド、英国、などにも行った。
でも、だんだん、彼の成長とともに旅の回数は減ってきた。
助手席に座っていた小さかった息子が、今や、窮屈そうに助手席にいる。
きっと数年後、運転しているのはぼくじゃなくて、息子だろう。
もしかすると後部座席に彼の家族が座っているかもしれない。
もしかすると、ぼくはもうその車には乗ってないかもしれない。間違いなく、そうだ。
それが人生というものだから、そういう日も楽しみにしている。
彼が運転する車が、彼の家族を乗せて、ぼくの家にやってくる日を待ちたい。
そして、いつが、父子旅の最後になるのだろう、と考えている。ウイスキーを舐めながら・・・。
陽が暮れる世界に、さようなら、と言った。



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