JINSEI STORIES
滞仏日記「またもや家事ができなくなった父ちゃん、丸一日寝込んで、起こされ」 Posted on 2021/07/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、やっぱり、想像していた通り、気力が元に戻らず、今日は料理も、掃除も、洗濯も、何もできない一日となった。
キッチンには食べ終わった皿が山積みになり、洗濯籠からは汚れた服があふれ出し、部屋は散らかり放題で、玄関には旅行から戻ったトランクがそのまま放置されている。
その現実を見たくないので、ぼくはベッドから出ないで、日中、ゴロゴロしていた。
親がこうだと息子もダラダラするみたいで、13時くらいにトイレに行ったら、息子はまだ寝ていた。
静かなので、出かけたのかな、と思って暗い部屋を覗いたら、ベッドの中にいた。あらら・・・。グダグダの辻家である。
ま、今日は仕方ない。料理なんか出来ないので、寝ていてくれた方が助かる。
ぼくは静かにドアをしめ、自分の部屋に戻った。
枕を抱きしめ、気力が戻るのを待った。
でも、気力は戻らず、そのまま、ぼくはまたまた深い眠りに落ちてしまうのだった。
ノックの音がしたので、夢の世界にいたぼくは「はーい」と返事をしていた。子供時代の夢を見ていた。楽しい時代だった。父さんと母さんと弟の4人家族だった。ある意味、恵まれていたかもしれない。父さんは怖かったけれど、母さんは優しかった。弟に対してぼくは兄貴風をふかしていた。
その穏やかな夢を打ち破るように、ノックの音が鳴り響いた。
「パパ?」
と声がした。
ぼくは父さんが火葬場で焼かれて、ゴロゴロのぶっとい骨になって出てきた時の夢を見ていた。こんなになっちゃって、と母さんが苦笑しながら、箸でその骨をつまんだのだ。4人家族が3人に減ってしまった・・・。
「パパ」
声のする方を見ると、息子がドアの隙間からこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「なにが?」
「ずっと寝てるから」
ぼくは起き上がった。
「こんな時間まで寝ていたら、夜、寝れなくなるよ」
ぼくは携帯を探し、覗き込んだ。
「え?」
時計を見て、びっくり、20時を過ぎている。寝たり起きたりを小刻みに繰り返しながら、ぼくは24時間ほど、ベッドの中にいたことになる。
「ご飯、どうするの?」
と息子が言った。
「なんにも用意してなかった。すまん。調子悪いんだ、動けない」
「そうか。了解」
息子はドアを閉めて、いなくなった。
ぼくはもう一度、横になったけど、親としてそれでいいのか、と自分に問いかけた。
子供にご飯を与えるのは親の仕事だ。動物も、餌を探し、まず子供たちに与える。調子が悪くても起き上がらなきゃ、と思った。
それでも、ベッドを出るまでに30分くらいかかってしまった。息子の部屋に顔を出すと、机に座って、本を読んでいた。
「お腹すいたろ?」
「うん。でも、大丈夫、なんか冷蔵庫のもの食べるよ」
「いや、買い物してないから、何にもないんだよ」
「じゃあ、下のスーパーで買ってこようか?」
「いいの?」
「うん」
「玄関に財布あるから、好きなもの買ってきて」
息子は立ち上がり、家を出て行った。
22時半までやってる小さなスーパーがあるので、たいしたものは売ってないけど、彼はそこに走ったに違いない。
ぼくはキッチンに行き、冷蔵庫をあけ、奥の方に入っていたビールを取り出し、呑んだ。
なんだか、神経がささくれだっている。全身の神経が、暴れている。なんとかしなければ・・・。
「骨壺に入り切れない骨はどうするんですか?」
ぼくが訊くと、火葬場の人が、裏にみんなの骨を埋める場所があるんですよ、と言った。
みんな? その時、なぜか、ぼくは悲しかった。
息子が買ってきたのは、スーパーの500円くらいのピザが二枚であった。そりゃあ、そうだようね、と思った。でも、自分じゃ何もできないので、有難い。
ついでに、息子がオーブンでそれを温めてくれた。
食べないわけにもいかないから、ぼくらは、狭いキッチンで、というのは片付けるのも面倒くさいので、そこでそのまま、ぼくらは立ったまま、ピザを分け合って食べることになった。
「うまいじゃん」
「うん」
と言っても、ぼくは一口食べただけで、とてもじゃないけど、一枚なんて食べられなかった。ビールを呑んだ。
「パパ、明日、何があるんだっけ?」
「明日? あ、君はワクチンの接種がある。朝いちばんだよ。忘れるところだった」
「オッケー」
「じゃあさ、接種が終わったら、そのまま田舎に行かない?」
「え?」
「夏休みだから、行ってみたい。完成してから行ってないし」
「でも、寝るとこないよ。マットがあるけど」
「それでいいよ。床で寝る」
「でも、音楽とか出来なくなるよ。君のでかいパソコン、持っていけないし」
「いいよ。数日、やらなくても。そうだ、釣りしようよ」
「釣り?」
「冗談。海があるなら、釣りかな、と思っただけ・・・」
あの怖い父さんがまだ若かった頃、唐津の海で、一緒に釣りをしたことがあった。
魚ではなく、釣れたのはタコだった。唐津の海は青くてキラキラ輝いていた。
つづく。