JINSEI STORIES
ヴェネツィア日記「夜のサンマルコ広場で息子を突き放す」 Posted on 2021/07/12 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、グランドカナルの近くの安ホテルにチェックインし、夜、アンドレアたちとちょっと文学のこれからについて、カフェで議論をし、テーマは欧州における日本文学みたいな、・・・笑。
参加者は80才のお爺さん詩人マルコさん、アンドレア、ぼくという・・・マルコはかなり偏屈なお爺さんで、うちのおやじに似ていた、顔が・・・。
ぼくらはピザを食べながら、遅くまで話し込んだのだけど、陽が沈んだ頃に、息子から携帯に、ちょっと今、話せるかな、とメッセージが入った。
というのは、今の成績じゃ志望校は無理だと言ったフランス生まれの日本人K君のアドバイスをそのまま彼に送っておいた・・・。
それに反応をしたものと思う。
ぼくは、アンドレアたちと別れ、携帯のつながりやすい広場へと向かった。そして、そこから息子に電話をかけたのである。
「どこ?」
「ヴェネツィアだよ」
「マジ?」
「言ったじゃん。文学の小さな会議と小説の取材があってね、でも、お前がパリに帰る前には戻る。で、パパが言いたいのは」
「分かってる。でも、・・・」
すると、目の前に出現したサンマルコ広場が水浸しであった。おお、美しい!!!
サンマルコ広場に行くと、広場の半分ほどが水浸しになっていた。
あ、これがアクア・アルタというやつだな、と思った。
知識としては知っていたが、見たのは初めてだった。
アドリア海北部で起こる異常潮位現象のことで、アクア・アルタとは満潮を意味する。
でも、原因はどうやら、風のようだ。
ヴェネツィアの潟の特異な地形に強い風が吹くことで、こういう都市部への浸水が起こるというのを前に読んだことがある。
酷い時はサンマルコ広場が完全に水で覆われることもあるのだとか、今日は、大きな水たまりが数個出来ているような感じで、しかし、その建物のリフレクションがあまりにも美しかった。
「短く、言う。黙って聞け」
息子が黙った。
「パパはお前の味方だし、うざいおやじになりたくない。だから、K君の忠告を簡単に伝えるけど、お前のバカロレアの点数だと志望大学は無理だ。音楽をやめることができないだろうし、ルーシーと会わないことも無理だろ? アレクサンドルみたいに一年間予備校の寮で暮らす気もないだろ? じゃあ、志望校を変えるか、違う道を探せよ。パパはお前にガミガミ言いたくない。死ぬ気でやらないと突破できない大学だけど、今のお前にはその気力がないんだから、ケツ叩いたって無理だと分かった」
「・・・・」
「一流大学なんかいかなくてもいい。マジで、必要ないよ。ただ、外国人のお前がここで生き抜くためには、ここで必要とされる技術や何かが必要だ。だから、よく考えてみてくれ。そこにいる仲間たち、ウイリアムとかトマに相談をしてみろ。今のように音楽もやり、遊んでいるような人間が、志望校には入れない。K君に説教受ける気力もないだろ?」
「・・・・」
「なら、大学なんかいかないでいいよ。世の中をバカにするな。働いてみたらいいじゃないか。自分で金稼いで、生きていく自信があるなら、やれよ。お前を遊ばせるために大学にいかせる金はないんだよ。パパは61なんだから、あと何年、君を支えられるかわからない」
「うん」
「じゃあ、以上。パパはお前の味方だ。それだけは忘れるなよ。がんばるなら、応援はする。やらないなら、自分で仕事探して、自分で生きていけ」
話しながら、歩いていたら、ぼくは「嘆きの橋」まで来ていた。
16世紀にできた大理石の橋だけど、左側に尋問室、右側が牢獄なのだ。
囚人はそこを通る時にため息を漏らしたというので嘆きの橋とか、溜め息橋とか、呼ばれている。
今のぼくにぴったりの橋であった。
満潮のせいで、ぼくの足元まで海の水が浸水していた。ぼくの心も水浸しであった。
「パパはお前に嫌われたくないから、もう何も言わないことにする。これからはお前が自分で考えろ。自分の人生だ。フランスで生きていけるかどうか、自分で決めないとならない。大学に入ることよりも、もっと大切なことだ。じゃあな。みんなによろしくね」
ぼくは電話を切った。
時には、突き放すことも大事で、大学までのあと一年、自分で考え、自力でがんばるしかないのである。頑張れ、と思いながら、ぼくは嘆きの橋をあとにした。