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退屈日記「え?今日なの?荷物まとめてないの?30分後に出発?」 Posted on 2021/07/05 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、早く、部屋をノックする者がいた。
遅くまで小説を書いていたので、寝たのは夜中であった。時計を見ると、朝の6時である。
誰かがドアの隙間から
「パパ、起きてる?」
と様子をうかがうような感じで、言った。
「寝てるよ」
「起きれる?」
「なんで?」
「南仏に行くの今日だった」
言ってる意味が分からないので、いってらっしゃい、と呟いた次の瞬間、ぼくは反射的に起き上がっていた。
「今日? 明日じゃなくて?」
大きな声が出た。
「今日だって、さっき、アレクサンドルが待ち合わせようって連絡きた」
「何時に?」
「ええと、あと、30分でここでないと間に合わない」
ぼくは朝から血管が切れそうになった。オーマイガッ・・・



映画「スタンド・バイミー」みたいに男の子4人で一週間、ウイリアム君のおばさんが持っているコンドミニアムに滞在する。
この時期、使う人がいないというので、彼らがそこで自炊して過ごすことになったのである。そのおばさんが近くで一人暮らしをしているので、困った時は助け舟だしてもらえる、という有難い状況であった。
4人とは、トマ、ウイリアム、アレクサンドル、そしてうちの愚息である。
「おいおいおい、なんで前もって準備しとかないんだよ。とにかく、一週間分の下着とTシャツ、そうだな、7枚を選んで、この袋の中に入れて」
ぼくは跳ね起き、文句を言いながら、旅行用の網の袋(ああ、名前とかわからないけど、無印で買ったやつ)を手渡した。
「いそげ、ぐずぐず、すんな」
ぼくは、思いつく限りのもの、それはなんだろう、と考えながら、超高速で荷物をまとめだした。
いったい、スタンド・バイミー君らは何を必要とするだろう、父ちゃんは頭を働かせるのだった。迷っている暇はない。
水着いるな、プールとかで泳ぐだろうし、あ、日焼け止めとかあったっけ?
プールに行くなら、バスタオルもいるかもしれない。歯ブラシセット、天気予報を調べると雨マークがあったので、傘も一応、小型トランクに入れた。
その時すでに15分が過ぎていた。
子供部屋を覗くと、息子はまだパジャマで、携帯、覗き込んでいる。
か、かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
「下着とTシャツは、パパがやるから、着替えろ。一応、滞在許可証、お金、健康保険証、携帯、とか、あるな」
「うん」
「パスポート、あんの?」
「パスポートはパパが持ってるでしょ?」
「じゃあ、うん、って軽く返事するなよ。頭をつかえよ。頼むから」



ぼくは息子の下着とTシャツをまとめて、小型トランクの中へと詰め込んでいった。
お小遣いというか食費としてみんな100ユーロ持ち寄ることになっているというので、50ユーロ札を二枚、渡した。
そして、着替えた息子にトランクとパスポートを手渡し、
「忘れ物ないな」
と確認するために、言った。
「ない」
ほんとかよ・・・。やれやれ。
「どこの駅?」
「リヨン駅」
「切符は?」
「持ってる」
「あのな、一応、毎日、無事かどうか、心配だから、写真くらい送ってこいよ」
「うん」
息子はドアを開けて、階段をとぼとぼと下りて行った。
なんか、ぼくは夢を見ているような気分になった。息子が見えなくなると、ぼくはドアを閉め、ぜったい、何か忘れてると思う、と呟きながら、そのまま自分のベッドの中へともぐりこんだ。これ、夢なんだろうか・・・

つづく。

退屈日記「え?今日なの?荷物まとめてないの?30分後に出発?」



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