JINSEI STORIES
滞仏日記「息子はバカロレア口頭試験で、パパのことを話した、らしい。ぬぁにー?」」 Posted on 2021/06/30 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、昼過ぎ、息子が試験に出かけた。
16区の高校が試験会場だそうだ。受験に向かう息子を送り出す母、もとい、父は気が気じゃなかった。
試験時間の二時間前に会場入りし、順番を待つが、だいたい、遅れるのが普通で、3時間以上は待つのだそうだ。なのに、口頭試験は10分で終わる。
遅くとも18時には試験会場を出られる、と言って出ていったけど、・・・
ドアがあくまで、父ちゃんは、仕事をして待っていたが手につかず、ようは、大学入試試験の一部でもあるわけで、そこでしくじると先がやばい。
気を揉むのも普通である。
で、じっとしていられないので、父ちゃんは息子の好物のとんこつ味噌チャーシュー麺を作ってやろうと思い立ち、パリ中心部の日本食材屋まで買い物に行き、チャーシュー用の豚の三枚肉、九州ラーメンの麺セット(今回は、いつきの棒麺)、ナルト、ネギ、もやし、餃子、などを買いこんだ。
育ち盛りの男の子はチャーシューが大好物。しかも、父ちゃんのチャーシューは柔らかく美味いのである。
父ちゃんのチャーシュー、簡単レシピ~!
三枚肉の皮を剝ぎ、タコ糸でぐるぐる巻いて、フライパンで表面をカリカリに焼く。隙間がないくらい焼き色を付けて、肉汁を中に封じ込めるのがコツ。
焼酎、みりん、醤油を1:1:1で鍋に入れ、同量の水を加え、生唐辛子、ニンニク、生姜をお好みで入れ、煮立たったら、そこに焼いた肉を入れ弱火で3時間~4時間煮込めば完成。
これが柔らかくて美味いのだ。
市販のラーメンでいいのだけど、うちの子の場合、ラーメンを食べるというより、チャーシューを食べるという感じ。
横に、ご飯一膳、餃子6個。若者は豪快に食べる!!!
で、19時にドアのあく音がしたので、父ちゃん、飛び出していった。はらはら。
「どうだった?」
すると息子が笑顔になった。
「それがね、狙っていたのが出題されたんだ」
「マジか? なに?」
「ヴォルテール」
今回の試験は口頭試験で、フランスの文学、哲学、詩人、批評家などの中から出題者が任意の作家を選んで、そのことについて質問を浴びせ、それにどれくらい自分の言葉で答えられるかが、試される。
その人物がどのような作家で、どのような業績があったか、ということだけ答えればいいわけではない。
作品の分析や、背景や、その作家と現代のつながり、自分とのつながりなどを自分のことばでちゃんと答えていかないとならない。仏人が議論が上手なのは、この試験制度のたまものかな・・・。
「ちゃんと答えられたのか?」
「うん、出来た。パパのことを話した」
「パパのこと? 何を?」
「試験官はぼくに向かって、不意に、ヴォルテールの作品の中にカンディードという作品があるが、それについて話してほしいと切り出した。これを読んでなければぼくの運命はそこまでだった。でも、パパ、ぼくはこの作品を一番読み込んでいたんだよ」
ぼくはびっくりした。それをマグレと言わず何をマグレというのだ。
「で、なんで、パパのことにつながるの?」
「読んだことないの?」
「ない」
「作家なのに?」
かっちーーーーん。嬉しいくらいの、かっちーーん、であった。
「1759年に発表された啓蒙思想の祖、ヴォルテールが書いたピカレスク小説で、とにかく、悲劇の連続なんだ。彼が領主の娘に手を出し、その家庭教師で哲学者のパングロスと共に追放され、欧州はもとより、ブエノスアイレスなど、世界中を放浪するという途方もない作品なんだ。人生に、これでもかこれでもか、と驚くほどの不幸が襲い掛かるので、主人公のカンディードはライプニッツの楽天主義に疑問を持つようになる。ライプニッツの楽天主義ってパパ、わからないよね?」
かっちーーーーーーーーーーん。悔しいけど、じぇんじぇん、わからない。
「分かったよ。降参だ。で、パパはどこに出てくるんだ」
カンディードは家庭教師のパンクロスからいろいろなことを教わる。カンディードはパンクロスと語り合いながら、人生を見極めていくというビルグンド小説でもある。つまり、パンクロスはパパで、カンディードはぼくなんだ。ぼくはパパに叱られ、パパに励まされ、パパに救われ、パパに激怒され、パパに「出ていけ」と怒られ、パパに許され、パパはご飯を作り、ぼくはそれを食べて、そんな風にパパに様々な道を教えられ、そして、人生や世界というものを知って、まさに、カンディードのように、この世界が何かを探求していくんだよ」
「・・・」
ウルッとしてた、父ちゃん。こんなこと言われてウルッとしない人いますか・・(´;ω;`)ウゥゥ
言葉が続かなかった。息子は、いつも、鬱だとか思っていたけど彼は彼で毎日、彼なりに勉強をしていた、ということだ。
だから、哲学者のように暗かったのである。
「そうか、よかったじゃん。ヴォルテールで」
「うん。いい点が取れたと思う。お腹すいた」
「あ、チャーシュー」
ぼくは慌てて、キッチンに行き、火を止めた。せーーーーーふ。
ぼくがラーメンを作っている間、ずっと興奮さめやらない息子は喋っていた。
「試験官はなんて?」
「微笑んでいたよ、最後」
「へー、試験官ってそういう人間味を出していいのかね」
「ぼくが語り切った後、君はお父さんと面白い人生を生きてるな、それが文学の分析に反映されている、と言ったんだ。それ以上のことは言わなかったけど、そのことを同級生に話したら、試験官がそういう意見を言うのは珍しいことだって。だから、めっちゃ点数がいいか、めっちゃ悪いか、どっちかだね。めっちゃいい方だとぼくは思う」
「カンディードは楽天主義を批判したんじゃないの?」
「パパ、ぼくはカンディードじゃない。小説の最後、パンクロスはカンディードに言う。やはり最後は楽天主義なんだ、みたいなことを。正確にはもっと長い話しだけど、でも、カンディードはそれを遮り、こう言うんだよ。パンクロス、まあ、そうかもしれないけど、でも、ぼくらはぼくらの畑を耕さないとならないんだよって」