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滞仏日記「受験生の息子は明日の全国試験を前に、緊張しまくっていた」 Posted on 2021/06/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子はいま、高校二年生である。
だから、来年の6月がバカロレアの最終試験だとぼくは思っていた。ところがそうじゃなかった。
まず、フランスのバカロレア(通称、バック)とは何か、簡単に説明をしよう。
バカロレアとは、毎年6月に行われる全国統一試験のことで、高校(中等教育)を修了したことを証明する。
さらに、大学入学資格を与えるものである。
なんと、ナポレオン・ボナパルトによって1808年に導入された。
スイスなどの国際バカロレアとは異なる制度だ。
息子は来年、6月にこれを突破し、卒業資格をゲット、そして、大学入学の第一段階をクリアする、という仕組みである。



ところが、ぼくは勘違いをしていた。
高校二年生もこの時期、フランス語(文学)のバカロレア試験が行われる。
息子が受けた先々週の筆記試験、そして、明日のオーラル(口頭)試験の二つは模擬試験じゃなく、正規試験だったのだ。
ぼくは来年の6月の予行練習だと、なぜか、勝手に思い込んでいた・・・。
「明日は、口頭試験なんだ。先生が、いくつかのサブジェクトを出し、ぼくがそれに答えないとならない。試験は設問に対し、30分の分析時間が与えられ、10分程度の質疑応答となる。サブジェクトは21項目あり、その中から何が選ばれ出題されるかわからない。だからね、珍しく緊張しているんだ。自分の人生の一部が明日決定しちゃうから」
「なんで、緊張?」
「明日はフランスの歴史的な文学者たちに対して、出題される。たとえば、16世紀ルネサンス期の哲学者、モンテーニュだとか、17世紀の劇作家モリエールとか、18世紀の小説家スタンダールとか、20世紀のカミュまで、21人の中から、誰がテーマになって出題されるか、その瞬間までわからない。一応、21人の文学者は全部、勉強したけど、・・・」
「したけど?」
「苦手な人、あまり詳しくない人が出題されると、うまく答えられないかもしれない」
「たとえば?」
「詩人のボードレールとか」
「パパ、大好きだった」
「マジ?」
「パパ、悪の華という曲を作ったことがあったくらいだよ。20歳の時に」
「へー、そうなんだ」
「退廃的な世界が好きだった」
思えば、息子がここに列挙した文学者はぼくが若い頃にずいぶんと影響を受けた作家、哲学者、詩人、批評家たちであった。



「で、すでにバカロレアはスタートしているってことだね」
「うん。この筆記と口頭試験の結果は来年の最終試験と一緒で、成績になる」
「なるほど。そうか・・・。で、筆記試験はどうだったの?」
「うん、狙っていたところが出たから、多分、大丈夫」
これは(友達を招いて大騒ぎをした)息子を叱りつけた日の翌日の試験だった。本試験があると知っていたら、ぼくは叱っただろうか? 日本人であるぼくにとってバカロレアはかなり未知の世界なのだ。
「明日はどう?」
「口頭試験は緊張する。日本語だと、あがる? 緊張し過ぎて、知っているのに、出てこなくなることがあるじゃない。もし、そうなったら、パニックになって、全滅かもしれない」
「おいおい、何、今頃、弱気になってんだよ。気合いで乗り切れよ」
「気合い? 気合いないからなぁ」
息子がくすっと笑った。
今日はよく喋っている。自分から喋る時というのは、ぼくに救いを求めている時というか、誰かに話を聞いてもらいたい時なのだ。もしかすると自信がないのかもしれない。
息子は、フランスのバカロレア制度の難しさを語りだした。ぼくは黙って聞いていた。試験がうまくいかない時のための言い訳のようにも、・・・聞こえる・・・。



フランスの試験って、マークシートのようなものはあまりない。
筆記はとにかく、文章を書かせる試験、出題したテーマについて長い論文を書かないとならない。
文章力や構成構築力など、社会に出て企画書作ったり、自分のことを説明する上で重要な手法である。
オーラル(口頭)試験はそれを言葉にして説明するものだから、まさに、答えが一つではない。無限だ。
かなり守備範囲が広くないと言葉が詰まってしまう。知識+会話術+言葉の構築みたいな論じる力が試されるのである。
「パパが高校生だったころには、そんな長文の筆記とか口頭試験ってなかったかも」
「時代が違うんだよ」
確かに、時代が違うなぁ。その上、この子はフランスで生まれているわけだし。
「じゃあ、明日、頑張れよ。緊張しているのは、勉強が足りないからだ。死ぬ気で勉強した人は自信しかないから、緊張なんかしない。ロックミュージシャンだったら、その時点で失格だよ。緊張するのは練習が足りない証拠だからね、君の次の課題はそこだ!」

追記。息子の部屋、灯りが消えてる。明日に備えて早く休んだようだ。まずは、じたばたしてもしょうがないから、今はさっさと寝るに限る。

滞仏日記「受験生の息子は明日の全国試験を前に、緊張しまくっていた」



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