JINSEI STORIES

滞仏日記「また夏がやってきた。ぼくと息子の18回目のセンチメンタル・サマー」 Posted on 2021/06/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子はあれ以来、ずっと部屋から出ず、マジで、もう3日くらい一歩も家から出ないで、勉強をしている。
バカロレア試験が29日に迫っているのでさすがに焦って頑張っているようだ。
よしよし。
ま、やる時はやる男なので、そこは信頼している。
「父不在時に仲間呼んでパーティ」事件で、ちょっと気疲れした父ちゃん。
今日は昼に「地球カレッジ」があり、そこで全力を出し切ってしまい、終わった途端に、くらっと眩暈がして、ベッドにごろんと横になった。
まぁ、シングルファザーは本当に大変なのだ。
それにちょっと働きすぎだし、そのせいで、ぼくは月に一度は必ずエネルギーがゼロになる。
今回はそこまできつくはないけれど、大事をとって、仕事をやめ、ベッドでごろごろすることにした。
ちょっと熱っぽい。頭痛持ちだし、不眠症だし、更年期っぽいし、61歳だからね、ちょっと無理すると身体に異変が起きる。
息子問題で心労が続いているので、父ちゃん、頭痛薬を飲んで、様子を見ることに。するとそこに息子がやってきた。



「パパ、ちょっと30分、気分転換に、その辺、散歩してきていい?」
ちょっと外出すればいいのに、と思っていたから、お、それはいいな、と同意した。
「ご飯、うちで食べるよね?」
「もちろん、30分、その辺散歩するだけだって」
「いいよ、誰かと会うのか?」
「いいや、会わないよ。だから、散歩するだけ。ずっと勉強していたからね、太陽浴びたくて」
「いいね。大事だよ。じゃあ、なんか作って待っとくな」
「うん」
と言って、息子は消えた。
しばらくすると、玄関のドアが閉まる音がした。出かけたのだ。
うとうとしていたけど、夕飯をなんか作らないとならないので、起き上がり、とりあえずキッチンに行くことにした。よっこらしょ。
で、玄関を通過する時に、異変・・・、くんくん、くんくんくん、・・・あれれ。
香水の匂いがする。
誰にも会わない。その辺を気分転換に歩くだけで、香水つけるか?←リアルパパ
誰かに会うから、つけるのじゃないでしょうか? ←心の声
じゃあ、誰と? ←リアルパパ
さあ、でも、異性でしょうね。←心の声
あのやろう。←リアルパパ
かっちーーーんでしょうかね。←心の声
くらくら、眩暈が・・・、なんで、いちいち分かりやすい嘘をつくんかな・・・。



二時間後、息子が帰ってきた。
でも、ぼくは香水の話しも、誰かと会ったのか、とも聞かなかった。お帰り、と言っただけだ。ぼくらは一緒に夕飯を食べた。
今日は、くたくただったので、炊飯器に作ってもらった。材料(生姜とか鶏肉とかスープとか)を全部ぶっこんで、ボタンを押すだけ、便利である。
鶏肉の海南ライス。
得意料理の一つだけど、炊飯器が作ってくれるので、料理と言っていいのかわからない。でも、立派な味になる。炊飯器は本当に主夫の味方だ。
この炊飯器、3人家族だったころからずっと使っている日本製・・・
ぼくの味方なのだ。

滞仏日記「また夏がやってきた。ぼくと息子の18回目のセンチメンタル・サマー」



ぼくらは無言で食事をした。
きっと、この子はぼくに心配かけたくないのかな、と思った。
だから、つい、適当なことが口をついて出るのだろう。
香水の匂いがまだぷんぷんする。やれやれ、もっと上手に嘘をつけばいいのに、といつも思ってしまう。
ぼくがうなだれて食事をしていると、
「どうしたの? いつもの元気ないね」
と珍しく心配してくれた。よほど、ぼくが萎れているのであろう。
「いつも、そんなに元気かな?」
「うん。パパはいつだってパワフルだよね」
「そうなんだ」
「昨日、二コラとマノン来たから、張り切り過ぎたんじゃないの? 地球カレッジも盛り上がっていたし」
「うん」
力が出ない。ぼくは俯いて食事を続けた。息子の視線を感じたので、顔を上げると、こっちをじっと見ていた。
「なに?」
「いや、いつまでこういう生活が続くのかなって、思った」
「それはこっちが知りたいよ」
息子がニヒルに笑った。
「ご馳走様」
そう言い残すと、息子は自分の皿やコップを持ってキッチンへと向かった。それを水で洗い、綺麗になったコップと皿は食洗器に入れる。
食洗器がいっぱいになったら、ぼくがボタンを押す。そういうルールになっている。
おっと、炊飯器に残っているご飯をタッパーにつめて、冷凍庫にいれなきゃ・・・。
それがいつもの、そうだ、ずっと、続けてきた習慣であった。



欧州は日が長くなった。
21時近くても昼間みたいな明るさで、23時でも、まだ明るい。20年前、夏のパリがずっと明るいので驚いたことがあった。
もうすぐ6月が終わる。
そして、7月になる。
何度目の夏だろう。
20回目か、こんな世界が待っているとは思いもよらなかった。
ぼくは仕事場の一人掛けソファに腰を深々と下ろし、窓の外の青空を見上げた。
子供部屋から歌う息子の声が聞こえてきた。野太い大人の声であった。
どうやら、愛の歌だね・・・
息子はここ、パリで生まれた。
あと半年で彼は成人になる。そう、思ったら、口元が緩んだ。
ぼくが老けるわけだ。仕方がない。
ぼくは後、何回、この子とここで夏を一緒に過ごせるのだろう、・・・。

滞仏日記「また夏がやってきた。ぼくと息子の18回目のセンチメンタル・サマー」



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