JINSEI STORIES
滞仏日記「父ちゃんの料理教室がやっと届いた。やれやれ」 Posted on 2021/06/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、パリのアパルトマンの別棟に書庫を兼ねた事務所スペースを借りている。スタッフさんが事務作業をしたり、郵便物などは受け取ることが出来る。
そこの管理人さんからなんか郵便物が届いたから、階段前に置いとくね、と連絡がきた。
土曜日なので、誰もいないから、自分で取りに行くと、な、なんと大和書房さんからだった。
その時点で、「父ちゃんの料理教室」だと気づいた。
家に持ち帰り、箱を開け、発売から3週間目にして、やっと会えたね、ご対面となった。
へー、これかぁ。
すっきりとした表紙で、手に取りやすいから、キッチンに置いておくにはいいサイズ感だな、と思った。
編集の鬼の八木さんから、写真の撮りなおしとかいろいろと要望があって、てんてこまいで作ったなぁ、と思い出し笑いしながら読んだ。
奥付に第4刷とあった。
初版じゃないんだ、と思った。いつも初版が届くのが普通だったので、いきなり4刷に、面食らった。
初版はどこに?
東京の事務所にはあるのかな?
ぼく、自分の初版集めているんだど・・・
フランスの郵便物はこんな風な扱いを受ける。ぽんと玄関とか階段とかに置いておかれるのだ。
八木さんからメッセージが入っていた。
5刷で紙が変わるので、4刷を8冊、のちほど、5刷を8冊送ります、と・・・。
なんでも、紙がなくなってしまったらしい。5刷分から紙質が違うものになる。そんなことあるんだね・・・
でも、やっぱ、小説のボリューム手触りとは全然違うし、捲ると写真がずらっと並んでいる。
いわゆるレシピ本なのである。
小説は売れないのに、レシピが売れるというのは、小説家として、複雑な気持ちになる。
もっとも、エッセイ集にレシピが付いているような本なので、レシピ本とも言い難い。
ぼくはパリに届いた拙著をじっと見つめ、嬉しくもないし、嫌でもないくらいの距離感の、冷静と情熱のあいだ。
今日は「王様のブランチ」で一瞬取り上げられると八木さんから連絡が来ていたけど、王様のブランチで自分の小説ではなく、レシピが取り上げられるのは、作家として、どうなんだろう。
Amazonの芥川賞作家部門ではずっと一位なのだけど、それもどうかな、と思う。
他の作家は小説で勝負しているのに、レシピ集で一位って、ちっとも嬉しくないじゃないか。
でも、12位くらいに「オキーフの恋人、オズワルドの追憶」があった。よし、ちょっと気分をよくした父ちゃん・・・。
「父ちゃんの料理教室」がスマッシュヒットしてくれたおかげでレシピ本出さないかという依頼が増えた。
これも困ったものである。
連載も、dancyuのウェブ版でスープの連載書かせてもらっているが、これがあと二回で終わり、まとめられて、秋に、スープ本として出るらしい。
dancyuから出るというのは嬉しいのだけど複雑な心境である。
連載は、その後、パリ・サラダに移行となる。
実はエッセイの依頼も料理にまつわるものが多い。
食べることは生きることだから、それはそれでもいいのだけど、小説連載の依頼は無し、笑。
コロナのせいで、物語を読みたいと思う人が減って、生活に役立つ日常をリアルに支える料理本とかに人の目が移っているのかもしれない。
実に、複雑な心境の、今日この頃である。