JINSEI STORIES

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」 Posted on 2021/06/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、のんびり安全運転でパリに戻ったら、アパルトマンのドアを開けた途端、普段は出て来やしない息子がぬーっと顔を出してきて、
「あ、おかえり」
と言った。
「ただいま。どうだった?」
「うん。大丈夫」
「ちゃんんと食べたの? なんか食べたいものある」
と言うと、
「まずいのばっか、だったから、おいしいものが食べたい」
と言い出した。
相当、不味かったな、と思い、申し訳なく思った。えへへ。
「冷凍庫に、いろいろと作って入れといてたでしょ?」
「でも、冷凍も解凍すると味がおちるしね」
かっちーん。生意気な。笑。
「パパのインスタ見てたよ。毎日、美味しそうなものばかり食べてんなって」
「マジか!!!」
思わず息子を振り返ると、確かに、ちょっと痩せている。
「刺身とか、牡蠣のオイル煮? やばいでしょ。あれが食べたい」
見てんのか? 日記もたまに読んでるって言ってたな。インスタは日本語少ないし、余計なこと書けないな、と思った・・・・。
「あれか、あはは」
ということで息子を近所のすし屋さんに連れていくことにした。

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」



すし屋と言っても、香港人がやっている、おいしいけど、日本のすしとはちょっと違う。
カリフォルニアロールみたいなものが主流のSUSHI屋さんである。
息子はぼくが帰ると嬉しいみたいだ。向かい合って座ればいいのに、4人掛けのテーブル席に、なぜかむさくるしい父子は並んで座ってすしを摘まんだ。
息子のおしゃべりがとまらない。寂しかったんだろうな、と思った。
彼がガールフレンドの話しを始めたので、
「あれ、別れたんじゃないの?」
とからかってみた。
この間、ちょっと恋人のことで悩んでいるというので、相談に乗ったら、涙ぐんだので、無理をする必要はない、と教えてやっといたのだけど、どうやら、まだ続いているようだ。やれやれ。
「何か山場を乗り越えたみたい、今、一番理解しあっているんだ」
「ほーそうか、ならよかったじゃないか」
「うん。彼女の両親が離婚して。それで今、大変なんだよ。ぼくは経験者として、寄り添うことが出来ている」
「なるほど」
ぼくらはSUSHIをつまみながらちょっと大人の会話になった。
しかし、まもなく、そこから話しは反れて、大学生になってから、パリの家をどうするか、という話しに移った。ここで、息子がヒートアップ・・・。
「パパはもう田舎に引っ込んじゃう気?」

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」



「水があう。落ち着くんだ。パリはちょっと人間関係とか面倒くさい」
「わかるけど、パパにはパリが似合ってるよ」
へー、と思わず笑ってしまった。似合ってる? 面白いこと言うな。
「マジで、パパ、田舎に引っ込んでそこで年取るの残念だよ。もうやめちゃう気?」
「やめないけど、パパは走り続けてきたからもういいかなって・・・」
「でも、パパは都会にいて、苦しんでモノを生み出すべきだよ。海はたまに行くから癒されるんで、毎日海を見ていたら、ツジヒトナリは終わる」
いきなり、ツジヒトナリとフルネームで呼ばれたので、あはは、と笑いあった。
「でも、君が大学生になり、どこの大学に受かるかわからないけど、今の君の成績だとパリのトップの大学は難しい。ボルドーとかリヨンとかリールとかになるんじゃないかな。入れたとしてだけど、その場合、パリに家を借りておく理由がなくなる。だから、完全に田舎にシフトしようかな、と思ってる。パパの活動って、パソコンがあって、ギターさえあれば、どうにでもなるからさ」
不意に、息子が暗い顔になった。
「パリにいてほしい」
「マジか」
「パパがパリにいないと、・・・」
「なに?」

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」



「ぼく、パリに帰れる家がないのは寂しい。ずっとこの街で生きてきたでしょ?ぼくの生まれ故郷で、ここから離れたくないんだ。田舎は素敵だけど、そこはぼくの街じゃない。パパ、ぼくはぼくの家がパリにずっとあり続けてほしいんだよ」
おお、ぐすん。思わず、ビールを掴んで飲み干してしまった。
確かに、それは考えたことがなかった、・・・。

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地球カレッジ

ぼくはビールをお替りした。店主のパトリックに空になったキリンビールを見せた。
パトリックがすぐに新しいのを持ってきた。
すっごく仲良しの香港人なのだ。
彼らは家族を香港から呼び寄せようと思っている。とくに母親を、・・・。
でも、高齢なので、パトリックのお兄さんが反対している。
自分が生まれ育ったところで死なせてやれ、というのである。
その時、ぼくも一緒に飲んでいたのだけど、ぐっと来た。
生まれ故郷というのは大事だ。
ぼくは東京のはずれで生まれた。ぼくにとって東京は大事な街だけど、息子はパリで生まれた。ここで育って生きている。ここで死ぬだろう。彼の祖国はフランスなのだ。
「わかった。考えとく。パリになんとかアパルトマンを残せるようにもうひと踏ん張り頑張ってみるよ。でも、パパが生きているうちしか、そこは維持できないから、君も頑張ってそこを残せるように頑張らないとダメだ。しっかり、勉強して、フランス社会の中で生き残れるように」
「うん」
息子が笑顔になった。

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」



人はどこで生まれ、どこで育つか、というのが実は大きい。
この子は、別にフランスで生まれたいわけじゃなかった。
納豆が大好きで、日本が、とくに九州が好きで、でも、息子はパリで生まれ、ここの市役所に出生証明書がある。
エッフェル塔の下で育って、セーヌ川の流れを眺めて生きてきたのだ。
フランスの保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校と順調にあがって、学んできた。
人望もあつく、先生たちにも愛されている。
息子の目にはこの街の空気が焼き付いている。それは本当に大事なことだ。
転勤族だった親にくっついて日本中を転々としなければならなかったぼくからすると、生まれ故郷で育つことができる息子は羨ましい。
彼には大勢の幼馴染みがいる。その子たちもみんなここ、パリで生きている。
この子の財産はパリだ。ぼくが田舎に完全に移転するのを一番歓迎していないのは、実は、この子なのである。
パリか、腐れ縁だな、と思ったら、思わず吹き出してしまった。
来たくて来たわけでもないのに、ここで息子が生まれ、今、彼に、パリが似合ってる、と言われた、おやじ・・・
「なにがおかしいの?」
と息子が言った。
「いいや、なんとなく」
「変なの」
「パトリック、もう一本、同じビール!」
ぼくは空になった小瓶を高々と持ち上げて、言った。

滞仏日記「田舎暮らしを息子に強く反対された、の巻」

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