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退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」 Posted on 2021/06/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ラジオの回線チェックが朝の5時半にあり、早起きをした父ちゃん。
息子はどうしているかな、と思ってワッツアップ(Lineみたいなもの)の送信記録を遡ってみた。笑えた。
こんな変なメッセージに、ちゃんと答えている息子くん、いいやつ過ぎる。

退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」



田舎で暮らしながらも、息子のことは心配なので、でも、電話するとうざがるので、ワッツアップで生存確認、健康確認をしている。
まずはちゃんと食べてるかどうかがやはり心配である。
今回は冷凍庫に料理を小分けして入れてきた。カレー系が多いけど、牛丼の具みたいなものもけっこう作り置きしてきた。
息子も料理好きだから、心配はしていない。
食べることさえ出来るようになれば、自立の日も近い。
料理というのは自立の要である。

退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」



地球カレッジ

田舎でひとつ困っているのが日本の炊飯器がないのでお米がおいしく炊けない問題。
一応、フランスの炊飯器は持ってる。バスマティ米とか水分の浸透の早いものには対応できるのだけど、玄米とか一晩浸水させても、うまく炊けない。かなり苦戦する。
うな丼を作ろうと思ったら、玄米炊きに失敗をした。
硬くて、とてもじゃないけど、食べられない。
貴重なうなぎを無駄にしたくないので、鍋でお米を炊くことになった。
けれど、浸水させてないお米だから、水加減、火加減の調整に手こずった。
はじめちょろちょろなかぱっぱ、を思い出しながら、久々鍋でコメを炊いてみたけど、なんとか出来た。見栄えはいまいちだけど、まー、美味しかった。
美味しいと笑顔になる。

退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」



クリス智子さんと回線がつながり、ラジオにリモート出演をした。
パリから300キロも離れた場所にいるけど、日本のラジオに出演できる今の時代って、すごいなぁ、と思いながら、料理についてお話しをさせていただいた。
田舎暮らしをしてつくづく実感していることがある。
それは、コロナ以前と大きく違っているのが、毎回の食事に全力で挑むことになった点である。
一食一食を本当に大切に作って、食べるようになった。
新型コロナが大流行をしたことで、未来よりも現在が大事になったのだ。
遠くの幸せを思い描くことよりも、現実的な今の小さな幸せを求めるようになってきた。
だから、毎日、食べることに失敗が許されなくなった。笑。
ま、これでいいか、今日は、というような食事が出来なくなり、毎食、美味しい感動を求めるようになった。笑。
明日どうなるかわからないので、今日、最高においしいものを食べよう、という意識になってきたのである。
でも、おかげで食生活が大変向上し、毎日が楽しくなった。
何が何でも今、おいしいものを食べたいという毎日には、ハリ、が出る。
何が何でも三食美味しい食事を心がけたいと思うことで一日に、シン、が生まれる。
それがコロナ禍の中で自分が見つけた生き方であった。

退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」



田舎の素朴な暮らしの中で、ぼくは競争ばかりしてきたこれまでの生き方を改め、人間性の回復と協調ある人生を探していきたいと思うようになってきた。
一食一食をかみしめながら、ぼくは自分の人生を見つめなおそうとしているのである。
今日はこれからマルシェに行く。
水曜日は近隣の村にかなり素朴なマルシェが立つのだ。
すでに、市場内に、数人の顔なじみが出来た。
心穏やかで純朴な田舎の人たちだけど、パリジャンとはぜんぜん違うフランスの田舎の人たちののんびりとした生き方に、こういうリズム感もあるんだ、とぼくはぼくなりに新しい衝撃を受けている。
それがこれからの人生に、または料理に、新しい光りを与えることになるのであろう。じゃあ、行ってきます!

退屈日記「離れていても、田舎とパリで、ぼくと息子のやりとりは続く」



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