JINSEI STORIES
滞仏日記「カモメと変な隣人に囲まれ、いきなり父ちゃん、絶対絶命初夏の巻」 Posted on 2021/06/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、久しぶりの田舎は、なぞのモールス信号や、カモメたちの大騒乱の夜があり、最初から大混乱のスタートとなった。
今日は今のところ、モールス信号は聞こえてこない。ぼくの聞き違いではない、携帯に録音されているので、確かに壁の中の配管を伝って合図が送られてきたのは確かだが、朝、起きると室内は全てを払拭するようなまばゆい光りに包み込まれていた。
ぼくは窓を開け、風通しをよくしてから、午前中、創作に勤しむことになる。
すると、昼少し前に、ガタガタ、ガタガタと誰かが屋根を歩き始めた。
これが天井を四方八方に這うので、仕事に集中できなくなってしまった。またしてもカモメたちに違いない。
抗議をしようとしたら、なんと、天窓のガラスに糞をされていた。くそ、と冗談を叫んだ父ちゃんであった。
すると、カモメと目が合った。
「うううう」
カモメが数羽、ぼくを天窓から見下ろしているのだ。こ、この野郎!
「くわーーーーーーー、くわーーーーーーー、くわーーーーーーー」
ぼくはカモメの羽ばたく真似をして、怒りを彼らに伝えてみせた。
羽ばたく真似、そして、カモメのような恰好での、抗議・・・。いい年をしているけど、真剣であった。くわーー。
脚立を持ってきて、登り、天窓を開けたところ、大勢のカモメがまるでヤンキーのようにうんこ座りしながら屯していた。数羽がこちらを振り返った。
「お前ら、ぼくは静かに仕事がしたいんだ。昼間はこんなところで油を売ってないで、カモメらしく海にでも行って、貝でも漁って喰っとけー」
ぼくはそう告げた後、屋根を叩いてやった。さすがに驚いたカモメたち、一斉に飛び立っていった。
三十羽ほどいた。ここはカモメたちのたまり場なのだった。酷い場所を買ってしまった父ちゃん、先が思いやられる・・・。
カモメたちの糞が屋根に散乱していた。しかし、これは片付けられない。雨がほっといても洗い流してくれるだろう。
ぼくは天窓を閉め、脚立を階段下の物置に戻した。するとまた、ガタガタ、ガタガタとあいつらの走る音がした。舞い戻ってきたのである。いたちごっこだ。
見上げると天窓の淵にまたもやヤンキーカモメたちがいて、ぼくをバカにするように見下ろしていた。くそ、あっちいけよー。
ということで夜は23時まで大宴会やっているし、昼間は屯っているし、これはヤンキーとなんら変わらない。
ぼくは気分を変えるために、海辺まで散歩に出かけることにした。この連中を相手にしているのは実に時間の無駄なのだ。猫の置物などを設置するとか、何か方法を考えるしかない。と、階段を下りてエントランスから出ようとしていると、
「やあ、いい天気だね」
と背後から声がした。
振り返ると、窓から顔をだしている一階の住人ことフランケンさんであった。
ぼくを見ているのだけど、目線は遠くにあった。相変わらず、額が広く、視線がおぼつかなく、フランケンシュタインのような不思議な存在感を放ってる。
「あ、今日からしばらくこちらですか?」
訊いたが、窓辺に立つフランケンは遠く海の方を見ている。聞こえてないのかな、と思い、歩きかけたら、
「そう、今日からね」
と20秒遅れくらいで戻ってきた。ぼくは驚き、振り返った。
英国の作家、メアリー・シェリーが1811年に出版した小説「フランケンシュタイン」を思い出した。
若い主人公のフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし自在に操る改造人間の制作に取りつかれていた。
かなり常軌を逸した研究の末、「理想の人間」の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも計画を実行に移してしまうのだった。
墓場に行き、掘り返し、人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで怪物の創造に成功する、というあらすじだけど、ぼくは窓辺に立つこの人をフランケンと名付けてしまったことをちょっと後悔した。
なんとなく、この人、マジで、怪物にしか見えない、失礼・・・。
「じゃあ、また、今度」
返事がない。鉄扉に向かおうとしていると、
「君、よければ、茶でもどうかね」
と言い出した。
普通だったら、喜んで行くかもしれない。でも、フランケン、ぼくを見てない。その視線がこんな真昼間から宇宙へ向けられていて、・・・怖い。
お茶に呼ばれて、薬をもられ、寝ている好きに怪物に改造されていたらと想像し、怖くなった。
「いや、それはなんか、どうでしょうねー」
とごまかす父ちゃん。
「来なさい」
いきなり、ぼくを見下ろし、命令口調のフランケン。視線があってしまった。
ぎゃあ、怖すぎる。すると、フランケンの後ろから奥さんのベルナデッドが顔をだしたのである。
「まぁ、日本のムッシュ。ちょうどよかった。今からお茶なんですよ。美味しいティーでも飲みませんか?英国のお茶ですよ。私が焼いたクッキーと一緒に」
ということで、逃げられなくなった父ちゃんなのだった。
フランケンとベルナデッドと父ちゃんの三人は、円卓を囲んでお茶となった。すると、そこに、地下で暮らす、二人の息子のプルースト君がやってきたのである。
どこからともなく、不意に現れ、ぼくの横に腰を下ろしたプルースト君。普通だったら、こんにちは、とかなんか言うのだけど、なんも言わん。なんか言えよ、お前、・・・
ベルナデッドが一人楽しそうにお茶の準備をしながら、陽気にしゃべっているのだった。
「ムッシュ、ここって、かつては外科医が住んでいたんですよ。知ってましたか? 19世紀は病院だったの。この場所が手術室だったみたい。なんか、当時としては画期的な手術をやってたんですって・・・」
「画期的な?」
「なんか脳外科医だったみたいです」
「(マジか)」
ぼくはシェリーが書いた小説のことを思い出した。舞台は同じ19世紀じゃないか。
なんで、そんなこと楽しそうに語るんですか・・・。
それにしても、フランケンとプルーストはマジで何もしゃべらない。ぼくはその恐怖から、とりあえず、お茶に口を付けた。す、すっぱい。しかも赤い。おお、ハーブティーじゃん!なんだよ、脅かすなよ。
それにしても、こんなに会話の弾まないお茶は久しぶりだった。ぼくはいったいどうなるのだろう。その時、プルースト君の指が、テーブルの淵を叩きだしたのである。え?
トン・ツー、トントン、ツーツーツー、・・・・
ひえええええ、怖すぎる。
いやだけど、たぶん、つづく・・・。