JINSEI STORIES
退屈日記「セーヌ川ライブ・ロスから一週間、次のライブ考えなきゃいかん」 Posted on 2021/06/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、セーヌ川ライブからちょうど一週間となった。
オーチャードホールのライブ、二年も延期や中止が続いたあげくの、セーヌ川ライブだったので、終わってホッとして、気が付いたら、一週間、ギターもそのままケースから出せず過ごしてしまった。
これまでにアーカイブを3回観て、アーカイブも今日で終わるので、改めて、ライブ・ロスみたいなものに襲われている。
家事と育児に戻り、日常生活を取り戻したのだけど、ライブが楽しかっただけに、何やら、力が出ない。笑。
マレック、ジョルジュ、エリックらミュージシャンたちからも「またすぐにライブやりたい」と連絡が来ている。
でも、こういう時代だから、ライブハウスですぐにというのも難しいし、また作戦考えなきゃ、ね。
いくつか案があって、秋にもう一度、セーヌ川の秋バージョンをやるというのが最有力だけど、観光客が戻ってきているので、船を借りるのがかなり難しくなりそうだ。
ピレネー山脈の最高峰まで楽器を持ってあがり、雲海をバックに演奏するとか、どこかの古城でやるとか、ニースの海岸線でやるなど、途方もないアイデアは噴き出しているのだけど、どれも途方がなさ過ぎて、実現は無理だろう、と苦笑しながら、餃子を焼いたりしていた、この一週間であった。
※手作り餃子。ニラが多め、大好物です!!
あのセーヌ川のライブの、たしか、ポンマリーの橋の上から船目掛けて日本の方が投げてくれた一本の薔薇・・・。
ぼくは自宅に持ち帰り、花瓶に入れて飾っていたのだけど、ご覧のようにまだ、元気なのである。
この薔薇を眺めながら、あの日のことを思い出している。
二年も心待ちにして、指折り数えたあの日が、もはや過去になって、今度はどんどん遠ざかっていくのは人間が生きるということを表している。
未来、現在、過去の中にぼくらはいるのだ。
この薔薇も一週間も生きながらえているが、そろそろ、枯れるだろう。
そして、過去になる。儚いものである。
ミュージシャンたちは、このライブのために集まったインターナショナルな方々だったけど、たった一度の練習で2時間ものライブが出来てしまうそのスキルの高さに、改めて映像を見ながら、驚いている。
コロナでリハーサルスタジオを借りれなく、なんとか交渉をして一度だけの練習となった。
でも、見事にやりきった、この3人の強者たち、何より、人間味があって、面白かった。
ぼくらは片言の英語や仏語、時にブラジル語、日本語、ロシア語が飛び交い、でも、音楽という言語が4人をつないでのライブとなった。
ぼくはマレックとはあのライブの日をいれて、わずか二度しか会ったことがない。
ジョルジュだって3回程度である。
なのに、何年も一緒にやってきた仲間みたいな意思の疎通が完璧で、例えばどの曲も終わり方など何も決まってないのに、ちゃんと終わる・・・。
曲によっては構成も決まってないのもある。でも、出来ちゃうのだ。
ぼくも40年近く音楽をやってきたので、こうやって外国のミュージシャンたちと同じステージにあがっても、普通にやれちゃってるのが、観ていて、へー、父ちゃん、ちゃんとミュージシャンじゃん、と笑えた。
ぼくは作家でもあるけど、小説は日本語にとらわれるので、どうしても言語の枠からはみ出せない。
外国人に理解してもらうためには翻訳が必要になる。
でも、音楽は関係がない。音楽の持つもう一つの言語感覚というのがあって、これは文芸評論家や美術評論家にはたぶん、わからない特殊なものなのだけど、ある種の経験とスキルがあると、一瞬で接続できる国際感覚でもある。
これがクラシックだとセッションが(あまり)出来ないのだけど、ロックやジャズならできるし、ぼくのようなフリースタイルの音楽だと本当に国境とか無くて、往来がいくらでも出来ちゃう。
今回の気づきは、ぼくはもっと音楽をやるべきだ、といことだった。(仕事があれば、4人で飛んでいきます。ライブ依頼があればコラボ欄から、どうぞ。欧州ならどこでもドアで・・・)
この連中とあちこちでライブをやり、交流を続けることだ、と思った。
何のために? さぁ、ビジネスではないだろう。
でも、それが出来るのだから、音楽を通して伝えたいことは無限にある。
セーヌ川ライブから一週間経った今日、ぼくはギターケースからあの子たちと取り出し、再び弾き始めることになる。次のライブに向けて。