JINSEI STORIES
滞仏日記「ポーランド人とブラジル人とフランス人と日本人が奏でる音はどんな?」 Posted on 2021/05/26 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日のリハーサルの風景をちょっとまずは見てもらいたい。
スタジオに入って、15分くらいしたときのぼくらだ。初対面のマレック(バイオリン)、そしてパーカッションのジョルジュ、それからピアニストのエリック、4人が揃うのは今日が初めて。
で、いきなり、この音が飛び出したのだから、音楽って、すごいね。
ほぼ、挨拶もそこそこ、楽譜もなし、せーの、でこれ。
ぼくは40年近く音楽で仕事をしてきた。
バイオリンのマレックはロシア系のポーランド人で祖国ではクラシックの音楽大学でマスターの資格をとった。
初対面だけど、延々と喋ってる。
冗談ばっか。
ずっと地球をバイオリンだけで渡り歩いてきたのだとか、わかるそんな人。
ジョルジュはブラジル人でフランスでは引っ張りだこのパーカッショニストだ。
大地から生れ出たような、プロレスラーのような体躯を持った、でも優しい男。
時間前に来ているけど、時間前に帰る。いつも子供の話しばかり。
エリックはお母さんが日本人、お父さんがフランス人という日仏のピアニスト。
物静かで観音菩薩のような人、いや、男だから仙人かな。
その四人が顔を合わせた瞬間に出たのがこのサウンド。
今度のセーヌ川クルーズで演奏するぼくのナンバー「ガラスの天井」という曲だけど、え? こんな曲だったっけ? ま、いいか。
ぼくはちょっと元気がなかったのだけど、とにかく10区の、インド人街というか、アラブ系アフリカ系入り乱れる、かなり混沌とした活気ある地区にあるスタジオの一番広いスタジオに入った途端、どこからかパワーがあふれ出した。
やっぱ、ミュージシャンなんだろうね。
リズムやメロディが流れ出すと、本当に苦しいことや嫌なことは全部、吹っ飛ぶ。
このコロナ禍のロックダウンの日々、ぼくは何度音楽に救われたことか!!!
音楽っていうのは、共通言語だから、言葉なんか通じなくても、みんな本当に、意思の疎通がすぐにできる。
いいミュージシャンになればなるほど、言語なんてどうでもよくなる。
マレックが少し遅れてスタジオに入った時、ぼくら3人はすでに演奏していたのだけど、いきなり、(・∀・)ニヤニヤっと笑顔向けられ、
「やー、ツジー、おれ、マレック。今日から仲間だ」
みたいなこと叫んで、いきなり取り出したバイオリン演奏しはじめ、すぐに上のインスタみたいに、場を持っていかれた。
ぼくらは曲が終わるとガッツポーズをしあった。欧州のような異民族が入り乱れる場所で生きる百戦錬磨のミュージシャンたちだと、セッションがあいさつみたいになるのが普通。
余計なご挨拶言葉とか握手とかいらない。
ぼくは彼らにデモテープを送っているのだけど、たぶん、ちゃんとチェックしたのはエリックくらいで、あとは、やった、と言ってるけど、ぜったいやってない。笑。
ちゃんと聞いてきた? と訊くとウインクが戻ってくる。
とくに、ジョルジュは、曲の最中もずっと微笑んでいて、決めのリズムを演奏する直前は、だいたい、ウインク。あはは。いいなぁ、こうやって奥さんを口説いたんだろうね。チャーミングだ。
「ツジー、このブルーのバイオリンでいいかい?」
一曲目が終わると、マレックが言い出した。なんでもいいよ、とぼくは答えた。
「ところで何色を持ってるの?」
「赤と青と白と普通のウッドのがある」
「何人彼女がいるの?」
「あはは、最初と最後は覚えているけど、どうしても真ん中が思い出せない」
ぼくらは爆笑した。冗談ばっかり。
仏語が飛び交うのだけど、ぼくが一人参加できない。
通訳はピアニストの日仏ハーフのエリックがやる。といっても訳して、と頼まないと、ずっと微笑んでるだけ。仏様だぁ。
ぼくらは4時間くらい練習したのだけど、最後のほうはもう宇宙に到着していた。これ、セーヌ川で演奏したらすごいね、と言ったら、マレックが、
「晴れ。ツジー、晴れだよ。間違いない」
と話しが飛んで、断定。天気予報は晴れだっつの!
言っときますけど、初めてあったのだよ、このおっさん。
お父さんとお母さんがロシア系なのだけど、彼はポーランドのワルシャワで育ち、ワルシャワの音楽院を首席で卒業し、クラシックのマスターを持っているのに、クラシック嫌い、ロシア嫌いで、今彼はパリで生きている。子供は上の子が33歳だそうだ。そりゃあ、真ん中の彼女は覚えてないかもね。「ぼくね、身長74センチなんだよ、ツジー」訊いてねーよ。
ジョルジュの腕にはマリア様の巨大なタトゥーがある。信仰心が強すぎて掘ってしまったのだとか。奥さんはダンサーでブラジルで出会い、二人で夢を見てパリに来た。米国在住のお父さんが有名なドラマーだ。お父さんはブルーノート東京などでもたまにライブをやってる。その息子なので、みんなにジュニアと呼ばれている。でも、息子もフランスでは偉大になりつつある。フランスの音楽シーンでは名前が通っている。二人のキッズのパパで、いつも子供の話しをする。
エリック・モンティニーは2019年のオーチャードホールのゲネプロまで一緒にやった
仲なんだけど、あの日は、一緒に苦い思いをした。パリでは何度もライブを一緒にやったし、ま、ぼくの右腕のような存在だ。お父さんとお母さんをこよなく愛する素直なおじさんである。多分、独身だと思う。笑。プライベートが一切見えない人・・・。
生まれも、国籍も、人種も、肌の色も、育った環境も、生い立ちも、宗教も、何もかも違うというのに、出会ったその日に、その瞬間に、ぼくらはすでに一つの世界を奏でることが出来たのである。
それって、すごいことじゃない?
という四人で、30日はセーヌ川の上でライブをやるのだ。