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滞仏日記「嵐が過ぎて、号泣した息子は、笑顔になり、未来を語る」 Posted on 2021/05/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子は雨の中、昼過ぎに出かけていった。
一応、昨日、あんなに心を乱した我が子なので、軽く様子を見ていたが、変わった様子はなかった。
ぼくはライブに向けて、歌の練習をしたり、その準備に追われた。雨が激しく、ぼくは家から出ないで、(今日は祭日)おとなしくしていた。
夕飯の準備をしていると息子が外から戻ってきてキッチンの戸口に立った。視線を感じたので振り返ると、昨日、あんなに泣いたやつが微笑んでいた。
「どうした? 」
昨日は、目が赤くなり、そこに涙があふれ出し、それが大粒の涙になり、頬を伝い、それを手で拭うこともせず、いろいろな記憶がごちゃまぜになっていたのだろう、取り乱しはしなかったが、土砂降りの中で立ち尽くす人のようだった息子が、今日はすがすがしい顔をして、こっちを見ていた。
「急に自分が大人になった。昨日までの自分とは違って、不思議な感じがするんだ」
ぼくは黙って、すき焼き風煮物を作り続けた。
「それが昨日までは子供だったのに、自分がもう子供ではいられないことを悟った」
今日の息子は饒舌だった。

滞仏日記「嵐が過ぎて、号泣した息子は、笑顔になり、未来を語る」



何かをふっきろうとしているのだろう、というのがわかる。
「よかったじゃないか。いつまでも子供じゃダメだ。ステファニーのことは吹っ切れたか?」
「うん」
「愛とは疲れたり、泣いたり、苦しんだりするものじゃないのが、わかったかい?」
「うん」
「誰かのために生きるのが愛だとみんな誤解する。それは間違いだ。愛ってのは、お互いが傷つかないことを言う。どっちかが泣いたら、それは愛じゃなく、束縛だ」
「・・・」
ぼくは玉ねぎをみじん切りにした。
「よくわかったよ」
「じゃあ、よかったじゃん」
ぼくはそれ以上は何も言わなかった。
もう十分わかったようだからだ。しかし、戸口の青年は立ち去らない。

滞仏日記「嵐が過ぎて、号泣した息子は、笑顔になり、未来を語る」



それから、なぜか、自分が小さかった頃から今日までの人生について語りだした。
ずっと子供だったのに、昨日から今日に移り変わるどこかで、ぼくは不意に大人になってしまったみたいな・・・。たぶん、パパが何かを手渡してくれたんだと思う。自分から、あんなに涙があふれ出るってことにも驚いた。もしかしたら、あの涙がぼくの涙腺のつまりを洗い流してくれたのかも、何かが外に出て、世界がよくみえる。ステファニーのことはもうよくわかった。ぼくにいろいろなことを教えてくれた人だ。でも、パパの言う通り、それはヤングラブだった。ぼくは勉強に戻るよ。ちゃんと大学を目指す。きっと、ここからどんどん大人になっていくんだな、と思ったら、今日は世界が違って見えて仕方がないんだよ。
ぼくは料理をしながら、くすっと微笑んだ。それでいいんだよ、と思った。



「今日はなに?」
「冷凍のシュウマイと、賞味期限切れ間近の残りもので作ったすき焼き風の煮物だ。あと15分くらいで食べられる」
「何か手伝おうか?」
「いいよ」
「今度、また料理教えてよ」
「そうだね。喜んで」
ぼくらは一緒に料理をテーブルに運んで、向き合った。息子はどんぶり飯を頬張った。
昨日の泣き顔を思い出した。小さい頃から子供っぽっく泣いたりしない子だった。
何かをずっと我慢して生きてきた子で、よく寝言でうなされていた。
きっと、フランス人社会の中で、自分だけ肌の色が違って、親が日本人でまともに仏語を喋ることが出来なかったし、途中で離婚して、ぼくが育てることになり、それ以降は父親への不満というか、ぼくが壁になって生きてきたので、泣きたくても泣けなかったのだろう。
一度、いとこのミナと(彼の母親代わりのような存在)、買い物に出かけた時に、ミナに向かって謝って「ママー」と叫んでしまい、古い記憶を呼び覚ましてしまったらしく、その場で泣き崩れたというのをミナから聞かされたことがある。
記憶は消せないから、彼はずっとそのことを抱えて生きていたのだ、とぼくは想像した。
だから、家の中ではいつの間にか、昔の家族のことはタブーになり、話題に上らなくなった。
避けてるわけじゃないけど、様子をみていたら、いつのまにか、高校三年生になっていた、という感じだ。
ぼくはその時、息子がスーパーで泣き崩れた現場を見てないので、息子がどこまで号泣したのか、わからない。
離婚直前にも、一度、ものすごい号泣があった。
その光景はぼくの記憶の中から消えない。
でも、あの時と今はぜんぜん、違っている。
昨日の号泣は、成長するための号泣だった。
だから、ぼくは心の中で微笑んでいた。
そうだ、この子が泣きながら生まれてきた時も、ぼくは笑って見ていた。
赤ん坊は泣いているのに、親のぼくは笑っていた。
あれから、17年が経った。
お互い大変な人生だったけど、それなりに、ぼくらはいいタッグを組んでやってこれたんじゃないか、と思う。
この子はいつも泣く時は真剣なのだ。

滞仏日記「嵐が過ぎて、号泣した息子は、笑顔になり、未来を語る」



「ウイリアムとアレクサンドルとトマと4人で来年の夏、日本に行く計画があるんだ」
「いいね。ワクチン・パスポートがあれば、可能かもね」
「コロナ次第だけど、もし行けるなら、男四人で北海道から九州まで旅したい」
夢を壊したくないので、いいね、とだけ言っておいた。
考えてもみてほしい。一番多感な時期、青春の真っ盛りの時期を、この子たちは家の中で過ごしてきた。いつも、パソコンの中に自分たちの荒野を作って生きてきた。
一日も早く、この子たちに健全な時代を取り戻してやりたい。親のぼくは思う。
「他の3人は恋人とかいるの? めっちゃ、オタクだからね」
「いないよ」
「じゃあ、まだ子供じゃん」
「だから、彼らはまだ泣いたこともないんだよ」
ぼくは笑った。
「やっぱ、女性にふりまわされて君みたいに大変な思いをしなきゃ、大人にはなれないってことだね」
息子は満面の笑みを浮かべて、まぁ、そういうことかな、と言った。
ぼくは大笑いをした。



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