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滞仏日記「息子と大揉め、新たなコロナ問題が勃発! 腹が立つ!!」 Posted on 2021/05/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、実は、ずいぶん前に、息子から「22日(土曜日、つまり今日)に、アンナの家で誕生日会があるのだけど、泊ってもいい?」と言われていた。
ちゃんと返事が出来ておらず、というのも、アンナのご両親は二人とも高校教師で、しっかりされている。
そういうご家庭だから、お泊りしても、感染の問題はないだろうと思っていて、ああ、そうだね、と曖昧な回答をしておいた。
忙しかったので、そのお泊り会のことを細かくチェック出来ていなかった。
ところがである。
数日前、デザインストーリーズで掲載させていただいた照明アーティストの石井あかりさんの記事の中に、北九州の光りの祭典に出席しようとしていたところ、フランスの保健省から「あなたはコロナ濃厚接触者になったので10日間の自主隔離となります」と連絡がきて、急遽日本に飛べなくなった、と書かれてあったのだ。
もしも、息子がアンナの家に行き、そこに集まった数人のアンナの学友たちの中で感染者が出た場合、出る可能性はある、・・・息子が感染していなくても、濃厚接触者ということになり、その親のぼくも10日間家から出られなくなる。

滞仏日記「息子と大揉め、新たなコロナ問題が勃発! 腹が立つ!!」



陰性であろうとなかろうと、である。フランスはそうやって、徹底した検査と隔離で感染を減らしてきたのだ。従わないとならない。
問題は、もし、息子が濃厚接触者に認定された場合、30日の「セーヌ川クルーズツアー&ライブ」は中止しないとならなくなる。
これは法律なので、ぼくの力ではどうにもならない。
今日まで、一番の心配事は天候であった。
フランスの気象庁からの予報によると、30日は快晴となっている。でも、どんなにパリが晴れていても、ぼくが家から出られないのじゃ、どうにもならない。
2019年の10月のライブが台風上陸で中止、2020年10月、21年5月の二回がコロナで中止、それを受けてのセーヌ川ライブが、濃厚接触者になり中止となれば、さすがにぼくはもう立ち上がれない。
こんなことで、30日のセーヌ川ライブを中止にはできないのである。



しかし、息子には半ば曖昧に許可を出してしまっている。彼がアンナの家に行くのは明日(すでに今日)なのだ。
行くな、というにはあまりに急なブレーキになってしまった。
悩んだ。でも、なんとかしないとならないので、昨日、田舎から息子に電話をし、ここまでの経緯を簡単に説明しておいた。
「もしも、セーヌ川ライブが中止になったら、主催者の中原さんは路頭に迷うかもしれない。彼は過去、三度のライブのキャンセル料を払ってる。音楽業界は苦しいんだ。知ってるだろ? あの大阪のイベンターのチューちゃんだよ」
息子はぼくのライブで何度か中原さんとは会ってる。大阪で、お好み焼きをごちそうになったことがあり、たぶん、彼の中で、いい思い出が残っている。
「パパ、大げさなんだよ。そんなことで人間死なないって。ドラマチックに言いすぎだよ。ぼくだって生きてるんだ。急にそんなこと言われても、アンナの誕生日なんだから、仲間たちが集まって一晩盛り上がるの、みんな、楽しみにしてきたのに」
「でも、しょうがないじゃん。パパを支え続けてくれた大勢の人がライブを愉しみにしている。お前はまだ人生長いだろ。パパはこれしかないんだよ。何でわからないんだ」
「感染しないよ。ぜったい、気を付ける」
「そんなのわからない。子供たちは無症状でうつしあうから、どういう経緯で感染が広まるのか、学校も国も掴めないで困っている。そうだ。今日、お前の学校から連絡があり、バカロレア試験の時に濃厚接触者になったら受験受けられなくなるから、その時期は家から出るな、とメッセージが回覧されていた。みんなそのくらい神経質になってるんだよ」
「でも、急過ぎるよ!」
息子には酷な話しだ。

滞仏日記「息子と大揉め、新たなコロナ問題が勃発! 腹が立つ!!」



「でも、実際に、濃厚接触者に認定されて、フランスのアーティストのライブやイベントが中止になったりしている。お前はパパが廃人になってもいいのか?」
「なるわけないじゃん。また、頑張ればいいでしょ?」
「パパがどんだけ、このロックダウンの中、頑張ってきたのか、お前見てきただろ?」
「ぼくだって頑張ってきたよ。ずっと家にいた」
「ここで、最後に、パパのために我慢してくれてもいいんじゃないのか? お前はそんなに冷たいやつだったのか?」
息子は電話を切った。
ぼくは言い過ぎた、と反省したが、腹が立ってしょうがない。
息子にじゃない。コロナに。コロナのバカやろう、と思った。



一晩、考え、いろいろとフランスでのルールを勉強してみたが、濃厚接触者に認定されたらどのような状況であろうと、10日間、石井さんのように、家から出られないのは間違いなかった。
ぼくはパリに戻る車の中、意を決した。
高速のガソリンスタンドから息子に、以下のようなメールを送ったのである。

滞仏日記「息子と大揉め、新たなコロナ問題が勃発! 腹が立つ!!」

※カ・コンタクトとは、濃厚接触のことである。

「今度だけは我慢してくれ」
と書いて送ったのである。
息子は学校にいたが、驚いたのだろう、何で早く言わないの、とメッセージを戻してきた。
ぼくはパリに戻り、夕飯の準備をしながら、息子の帰りを待った。夜の19時、息子が帰ってきた。すると、息子はまっすぐ自分の部屋に入った。静まり返っている。
ぼくは様子を見に行った。
暗い部屋の中央でたたずみ、携帯を見ていた、その背中に、ごめんな、と声をかけた。
「いいよ」
と息子は言った。その声が決意したような声だった。この子は、我慢することに決めたのだ。それが伝わってきた。
「すまん、本当にごめんなさい」
「いいよ」
優しい声だった。
「誕生日会、変更になった?」
「いや、大丈夫」
「・・・・」
「すまん」
父ちゃんはなんだか、泣きそうになった。
くそ、コロナめ、てめー、いいかげんにしろや、と思ったけど、言葉にはできなかった。



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