JINSEI STORIES

滞仏妖怪日記「誰もいないはずの館で、ピンポンダッシュする新たな妖怪が出現す」 Posted on 2021/05/19 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日のピンポーンの呼び鈴の一件について、結局、眠れず一晩考えつづけた父ちゃん。
表玄関の鉄扉も、建物一階のエントランスのドアの鍵も内側からかけたので、あの時、建物内には、誰も入れないわけで、なのに、ピンポーンは、絶対に、おかしい。
それを考えると、自然に震えてしまう。
なので、朝、9時半くらいに起き、おそるおそる、下までおりて、鍵を確認してみたのだが、やはり、内側からかかっていた。
マスターキーを持っている住人以外は建物内に入れない。じゃあ、誰が・・・

ぼくはドアの鍵をかけたり、外したり、ガチャガチャと何度か確かめてみたが、うーむ、頑丈に施錠されており、建物内に誰かが侵入した形跡などはなかった。
「おかしいなぁ」
部屋に戻ろうと踵を返した時、ぼくの真正面に、男が立っていた。
「ぎゃあああああーーーー」
ぼくは心臓が張り裂けそうになり、思わず、大きな声が飛び出してしまった。
男は暗い廊下の中ほどに立ち、黒いツイードのジャケット、白いシャツ。そして、白人で、、ええと、なんか、目が丸かった。
「だれ?」
ぼくは大きな声を出した。



「すみません。でも、あんた、最上階の日本人だね」
「そうだよ。あんたは?」
40代半ばだろうか、そうだ、マルセル・プルーストにちょっと似ている。
「失われた時をもとめて」を書いたフランスの文豪だ。似てる。
黒い蝶ネクタイをしている。
なんで? 頭はべたっとはりついていて、たしかに文豪っぽい。
「ぼくは一階の・・の息子だよ」
え? ああ、フランケンとベルナデッドの息子さん? 
たしかに、フランケンシュタイン系の顔をしている。
ドラキュラ伯爵みたいでもある。
なんで、蝶ネクタイ? 
ここは何世紀?
でも、カイザー髭やハウルたちと違って、若い。
ぼくより、うんと若いけど、青白い。
血が流れてないみたいじゃないか・・・。
「もしかして、君、昨日、ぼくの家のドアベルならしましたか?」
返事がない。数秒の間があいて、
「しました」
と白状した。
したんかい、こいつだ。なんで?
「なんで?」
「いや、あんた、ギター弾いてたでしょ?」
「弾いちゃだめだった?」
「ぼく、音楽が聞こえてきて、ここで音楽が流れるの20年ぶりくらいだから」
20年? 

滞仏妖怪日記「誰もいないはずの館で、ピンポンダッシュする新たな妖怪が出現す」



あまり細かい突っ込みはやめておくことにした。
頭がこんがらがっているし、なんたって、ぼくはパジャマ姿なのだ。
話し忘れたけど、鍵の確認をしたら、すぐに部屋に戻るつもりで、パジャマ、ギンガムチェックのパジャマとスリッパで階段を下りたのである。
ぼくはいま、現代のプルーストと19世紀中庸にできた建物の薄暗い歴史的な廊下で対面していた。
「先週、パパが、上に日本人の作家が引っ越してきたと言ってた」
「あ、ぼくです」
「ギターも上手だね」
「ミュージシャンであり、作家なんだよ。君は家族と? フランケンは帰ったの?」
「フランケン?」
あ、間違えた。慌てて、ムッシュの名前を告げると、ああ、と息子は言った。
「君は帰らないんだね」
「帰らないよ。ぼくはここに住んでる」
住んでる? おお、住んでる人間がいたんや!!!
「どこに? あそこ?」
ぼくはフランケンとベルナデッドの部屋を指さした。
すると、プルースト君は、いいや、と言って、地面を指さした。
「地下室?」
「うん、この建物の北側に半地下の部屋があって、ぼくはそこに住んでる。君の音楽はぼくの部屋の壁の中を通るダクトを通して聞こえてきた。君はキッチンで歌ったでしょ? 水道管とかいろいろな管が建物内には張り巡らされていて、古い建築物だから、聞こえてくる。君が演奏したモーリス・ラベルのボレロ、あれ、すっごく好きだ」
なんか、どこ見て喋ってるのか、わからないあまりに不思議な人物で、だからかな、なんとなくだけど、家族はいないような気がした。
家族がいないのに、ずっとここに住んでる。20年? 



20年で初めて聞こえてきた音楽って、なんか不気味じゃない?
「ちょっとつかぬことを聞きますけど」
「はい、なんでしょう」
「もしかして、20年、おひとりでここに住んでたりするんでしょうか?」
「そうです」
やっぱり。この青白い顔は太陽を浴びてない。
でも、真っ白な皮膚なのに、毛が黒々としているから、白い肌の下になんとなく、黒い毛の存在がある。
やっぱり、マルセル・プルーストにそっくりである。
プルーストの顔写真を勝手に使ったクッキー缶が有名だけど、それを思い出した。思い出したら、再び悪寒が走った。ここは、やばいかもしれない。



「パパとママが時々、来るから、その時に、地上に出て、と言っても、ぼくはこの敷地内からあまり出ない。
パリには30年前に一度行ったことがある。君はパリジャン?」
ぼくは、頷いたけど、顎が外れそうだった。
「何年くらいここに一人で?」
ええと、と呟いて、マルセル・プルーストは失われた時を求めるような感じで、明後日の方角を見つめた。どこ、見てるんや。
階段のステンドグラスの淡い紫の光りが、プルースト君の眼球で鈍い銀河系的な光りを放った。
「30年くらいかな。もしかしたら、もう少し」
「ここで何をしてるの?」
「ぼくの部屋見ます?」
ぼくは慌てて、かぶりをふった。ぶるぶるぶる・・・
「今日はちょっと、ほら、ぼく、パジャマだから、アンシャンテ(はじめまして)ということで、また次回に」
すると寂しそうな顔をしたプルースト君、回れ右をして、階段横に付随している小さな扉を開けて、その中へと消えていった。
一瞬、中が見えたのだけど、レンガの洞窟のような、そうだ、どくろの地下都市、カタコンブのようなトンネルが続いていた。松明の火のような、揺れ動く光りが見えた気がしたけど、気のせいかな・・・。
そこらへんはあまり追及しないようにして、ぼくは階段を駆け上がったのである。

滞仏妖怪日記「誰もいないはずの館で、ピンポンダッシュする新たな妖怪が出現す」



ぼくは午後、ライブに備えて、歌の練習をした。
キッチンで歌うとプルースト君に聞かれてしまうので、ぼくは北側の風呂場で歌うことにした。
あと、一週間とちょっとでライブなので、力が入る。
2時間、ノンストップで歌った。ふー、疲れた。
練習が一通り終わって、小さな窓から北側の敷地を見たら、レンガ造りの石階段の横から煙があがっていた。
なんか、ぼろぼろの小屋があり、人の出入りがあった。
すわ、火事か、と思って、慌てて身を乗り出して覗いてみたら、プルースト君がバーベキューをしていた。
たぶん、肉を焼いているのだけど、なんでか、それが人肉のようなものに見えて仕方なかった。
その時、プルースト君が、こちらを振り返った。ぼくらは目が合った。
オーノー。
プルースト君は立ち上がり、笑った。白い皮膚、黒い毛の痕跡・・・。
ぼくは見なかったことにして、家の中に身を隠してしまった。
自分の家なのに、ぼくはいったい、何をびくびくしているというのであろう。
あの男と二人きりでこの建物にいるんだ、と思うと、絶望的になった。
早く、カイザーやハウルに戻ってきてほしい。
風呂場の窓から、光り輝く、田舎の空を見上げたのだった。神様・・・。

つづく。

滞仏妖怪日記「誰もいないはずの館で、ピンポンダッシュする新たな妖怪が出現す」

滞仏妖怪日記「誰もいないはずの館で、ピンポンダッシュする新たな妖怪が出現す」

地球カレッジ
自分流×帝京大学