JINSEI STORIES

滞仏日記「くんくん、くんくん。息子の体から、なんか変なにおいがする!」 Posted on 2021/05/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリに戻ってきたはいいけれど、なんだか落ち着かない。
せっかく引っ越した田舎のアパルトマンも思っていたほど安楽の場所ではなさそうだし、パリに戻ると、息子問題がくすぶり続けているし、セーヌ川ライブが迫っているが、天候のこともかなり気になる。しかし、もう一つの心配事はやはりコロナだ。
25日にゲネプロを行うにあたり、そこで一人でも感染者が出ると、ぼくは濃厚接触者ということになり、ライブが出来なくなる。
大丈夫だとは思うのだけど、こればっかりはインド変異株次第のところもあり、安心できない。
そこで、メンバーには24日と29日の二回、PCR検査をやってもらうことにした。
天気は雨でもやる予定だけど、今日のパリは大雨で、さすがにここまでどしゃぶりだと厳しい可能性がある。
2019年の10月は台風の直撃を受けてオーチャードホールのライブがゲネまでやっておきながら、直前で中止となった。
その後、二回はコロナで中止で、ぼくはとことん神様に見放されているので、5月30日が記録的な嵐とかコロナで中止になっても不思議ではない。
加えて妖怪たちに包囲されているし、もっと気になるのは息子だ。
息子が嘘をついているかもしれない、と思うと、やはり気落ちする。
不安しかないこの世界で、ぼくは自身を盛り上げて、生き抜くしかないのである。

滞仏日記「くんくん、くんくん。息子の体から、なんか変なにおいがする!」



今朝、息子と廊下ですれ違った。
なんか、匂う。
「何のにおい? シンナー?」
息子が立ち止まり、ハぁ、と言った。
まさか、薬物とか手を付けているのじゃないか、と頭を一抹の不安がよぎった。ぼくは小学生の頃、プラモデルをよく作っていたので、シンナーのにおいにだけは敏感なのだ。
「ちょっと待て」
「なに」
「何のにおいだ。このケミカルなにおい。まさか、シンナーとか吸ってないだろうな?」
「シンナーを吸う? どういうこと?」
息子の目を睨みつけた。息子は肩をすくめた。
ぼくは近づき、くんくん、した。
な、なんだよ、キモイな、と息子。
黙ってろ、つきとめてやる。くんくん、くんくん、くくんのくん。
お、ここだ。ぼくは息子の手を掴んで、においを嗅いだ。
くんくん、くんくん。
「なんだよ、そのくんくんは?」
「うるさい、この不良め、つきとめてやる。くんくん、くんくん」
ぼくは息子の指先を掴んだ。
「シンナーのにおいだ」
「どれのこと?」
「このツーン、とケミカルなにおいだよ」
「え? どれ?」
息子が自分の手のにおいを嗅いだ。
ぼくも一緒に、くんくん、した。
「パパ、このにおい?」
息子がぼくの鼻先に、中指を突き付けた。その指の中ほどに指輪がついている。くんくんしたら、シンナーのにおいがした。
「おお、これだ」
「トップコートだよ。このにおい」
「トップ? なんだ、それ」
「トップコートってマネキュアが剥がれないようにするために塗る薬品だよ。これを指輪に塗ると、指輪の塗料が剥がれないから、やるんだよ。彼女とおそろいを買ったんだけど、二人の思いが剥がれ落ちるのよくないからさ、あの子が塗ってくれたんだ」
「はー。お前が何を喋っているのか、全くわからん」
「だから、簡単に言うと、この指輪をニスみたいなものでコーティングしたんだよ」
「なんで?」
「だからー、愛のメッキが剥がれないようにだよ」
「お前、詩人か」
ぼくらは、笑いあった。



昼は牛肉とニラの焼きそばにした。
ぼくらはテーブルを挟んで一緒に食事をした。息子の指先でちゃらちゃらした指輪が偽物の光りを放っている。それだけじゃない。首にじゃらじゃら、へんな鎖のようなネックレスをつけている。だせー。一昔前のちんぴらのルックだ。くんくん、くさい。
「それも二人で買ったのか?」
「うん、買った。似合うでしょ」
「なんか、マルセイユあたりのギャングみたいで、父ちゃんはすかん」
すると息子が携帯を取り出し、なぜかぼくがECHOESをやっていたころのモノクロの写真を取り出し、ぼくの鼻先に突き付けてきたのである。
「これ、パパが25,6歳の時の写真でしょ。これと今のぼくとを比べてから意見してくれないかな?」
う、ひよった。

滞仏日記「くんくん、くんくん。息子の体から、なんか変なにおいがする!」



「何で、お前、そんな写真持ってるんだ?」
息子が笑った。
「対抗策だよ」
「対抗策?」
「人間っていうのは、だいたい自分のことを棚に上げて文句を言ってくるだろ。だから、ぼくがネックレスとか指輪とかイヤリングとかしはじめたらいちいち小言をいうに決まってるから、その時のためにネットでパパの写真をあらかじめ拾っておいたんだ」
「なんてことすんだよ」
「自分はこんなチンピラみたいな恰好していたのに、文句言えるの?」
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
しかし、ぐうの音も出ない。
「もっとあるよ。見る?」
「見ない。わかった。もういい。好きにしろ」
息子がべろをだした。くそーー。ぼくは焼きそばを食べた。

滞仏日記「くんくん、くんくん。息子の体から、なんか変なにおいがする!」



「しかし、パパは親に嘘はついたことがない」
「・・・」
「お前が彼女の家に泊まっても、別に文句は言わないけど、よく考えてほしい。君らはまだ17歳だ。半年後には成人になる。それまではルールを守ってほしい」
「守ってるよ」
「信じていいんだな?」
息子が視線をそらした。あたりまえじゃん、と呟き、焼きそばを胃に流し込んだ。
「パパはお前を育ててきた。お前は立派に育ったと思う。だから、大目にみている。パパだって、若いころ、やんちゃだったし、ロックンロールだったから。でも、やっちゃいけないことはしなかった」
「やっちゃいけないことはやらないよ。あたりまえじゃん」
「あと、一年で君は大学生になる。だから、それまでは、羽目を外さないでほしい、それだけだ」
「だから、わかってるって」
「しつこくする気はないから、わかってくれるなら、それでいいんだ」
「だから、パパをがっかりはさせたくないから、そこは信じてよ。わかった?」
「ああ、わかった。月曜日からパパはまた田舎に行く。歌の練習をするんだ。一週間、戻ってこないけど、約束守ってくれるな?」
「一週間、長いね。あっちに友だち出来たの?」
「ああ、妖怪たちに囲まれて楽しくやってるよ」
「妖怪? パパは、昔から霊感が強かったからね、気を付けてよ。何度か霊に攻撃されて、死にかけたこと、忘れないで・・・。ごちそうさま。ちょっと出かけてくる」
息子はそう告げると、食べ終わった食器をキッチンへと運んだ。
そうだ、ぼくは青山墓地の近くのホテルで霊に投げ飛ばされ、頭を手術したことがあったんだった、気をつけなきゃ。

つづく。



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