JINSEI STORIES

妖怪日記「もしかするとぼくは大変なアパルトマンを買ったのかもしれない」 Posted on 2021/05/14 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、思わぬ難関に見舞われた父ちゃん、さあ、どうしたものか、と昨夜は一晩悩んだけれど、もうアパルトマンを購入し、工事まで済んだので、撤退はできない。
つまり、歴史的建物に住む住人たち、つまり、フランスのご老人たちと仲良くせざるを得ないということである。
ぼくのアパルトマンは最上階の屋根裏部屋なので、自分の部屋に戻るためには、正面玄関を入り、一階、二階、三階、四階を通らないとならない。
つまり、4家族と接触する可能性が高いということになる。
ちなみにぼくは五階の住人である。
1860年建立のこの建物は今のところ幽霊は出ていないが、妖怪たちがいる。失礼・・・。
まだ全員に会ったわけではないが、フランスは今日から4連休なので、たぶん、おそらく、ぼくははじめてここの生霊たち、失礼、住人の皆さんと会うことになるのだろう。

妖怪日記「もしかするとぼくは大変なアパルトマンを買ったのかもしれない」



4階のご夫婦は昨日も書いたが、カイザー髭を生やした蝶ネクタイの校長先生みたいなムッシュ・ベルナールと、ハウルの動く城の荒地の魔女のようなマダム・サンドリンヌで、二人とも70代半ばくらいだと思うが、かなりのインパクトである。
その下の階にはフィリップ殿下とエリザベス女王のようなご夫婦が住んでおられ、フィリップ殿下とは一度階段ですれ違った。
4メートル弱はある巨大な扉が少し開いていて、ちらっと家の中が見えたけど、うちの屋根裏部屋とは大違い、天井から燦然と輝くシャンデリアがぶら下がっているのが見えた。バッキンガム宮殿みたいだった。すげーーーーー。
2階と1階の人たちにはまだ会ってない。
しかし、とりあえず厄介なのは下のカイザー髭とハウルの魔女さんである。
ライブが近いのでギターを持参していた。
アパルトマンを買ったのにギターも弾けないのか、とだんだん腹が立ってきて、ぼくは夜、ついに歌の練習を開始てしまうのである。それもかなりの大音量で・・・
「愛をください~うおううお~」
しーん。
誰も何も言わない。時計を見たら、22時であった。このくらいにしておくか・・・



地球カレッジ

今日、マルシェで買ったいちごでぼくが「いちご大福」を拵えていると、呼び鈴が鳴った。ここのドアベルが鳴るのははじめて、おののいた。この建物にはインターホンはない。
家の戸口にある呼び鈴が鳴ったのだ。これを鳴らせるのは住人しかいない。
考えられるのは4階のカイザー髭である。
実はぼくのアパルトマンは5階だが、4階のカイザー髭の階にある小さな扉から専用の階段を上って5階まで上がらないとならない。
これも結構肩身が狭いのだ。ちなみに、カイザーさんの扉はフィリップ殿下のところの扉より、1メートルほど低い。
ここも両開きの扉でかなりゴージャスな造りである。
うちのは、かつて使用人の方々の居住空間に行くための片開きの小さなドア、しかもかなり簡素なのだ。
そこのドアベルが鳴ったのである。ぼくがいることはカイザー髭は知っているので、居留守ということはできない。
もしかしたら、昨夜ギターを弾いたのでまたしても小言を言われるのかもしれない。ぼくがびくびくしていると、ピンポーン、と再び大きな音がした。
やばい、いきなり怒鳴られる。
そこで、ぼくは出来立てのいちご大福をプレゼントして機嫌をとろうと思いついた。
さっとサランラップに包んで、階段をおり、ドアをあけることになる。やはり、カイザーが立っていた。
その後ろにハウルの魔女がいる。目が合った。蝋人形のようなカクカクという動き・・・。カイザーさんの髭がぼくの目の前でつるんと反りあがった。宮崎アニメのような世界に、思わず苦笑しそうになった。いちご大福・・・どうしよう。

妖怪日記「もしかするとぼくは大変なアパルトマンを買ったのかもしれない」



「やあ。こんにちは」
カイザーさんが言った。
「おはようございます。すいません。ギターうるさかったですか?」
「いいや、そうじゃない。それは問題じゃない。実は、今、1階のご夫婦が来ているから、君に紹介しておこうと思ってね」
その言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、カイザーさんの家のドアの向こうから小柄なご婦人とすらっと背の高いちょっと青白い顔の病的な紳士が姿を現した。
うわー、とぼくは声をあげそうになる。彼らが出現したとき、一瞬、ぐんと光りがおちて、踊り場が暗くなってしまったからだった。な、なにーーーー。



背の高いご主人は、そうだ、人造人間のフランケンシュタインに似ている。
ぼくが話しをしているのに、一人だけ、天井を見上げ、無視しているわけじゃないのだけど、ぼーっと無表情なのである。
背が高いのに前屈みで、やはり、動きが変だ。現実離れしている・・・
額がやたら広く、目が窪んでいて、青い。一瞬、その目と目が合ったけど、さっと逸らされてしまった。な、なんで??? 怖い・・・
で、小柄の奥さんの方は真逆でシャキシャキした人物、ぼくの顔を覗き込むように下から上までじろじろと見つめ、あー日本人なのね、日本ね、日本から、遠いのに、こんな田舎に、ようこそ、しかし、はじめてのアジア人よ、アジア人珍しいわ、と独り言を喋っている。ぼくは貧血がおきそうになった。
なんかの妖怪に似ているけど、すぐには思い出せない。たぶん、誰もわからないと思うけど、故・シラク大統領のご婦人のベルナデッドさんに似ている。ベルナデッド、なわけないか・・・



ぼくは家の前の階段の踊り場でこの面々と向き合っていたのだけど、ベルナデッドが不意に、
「管理組合は1866年から続いているのよ。あなたは日本人としてそこにはじめて参加することになる。それは名誉なことよ、いいこと、155年の歴史の中ではじめての外国人メンバーになるんだから」
と宣言したのだった。え? なんなの、ここは、そんなのに入りたくないもん・・・
「あの、ぼくで務まりますでしょうか?」
とぼくは仕方なく、きいてみた。すると不意にフランケンがぼくをじっと見た。こ、こわい。目が青い。真っ青なのである。なんか、言えよ、じっと見てないで・・・
その後ろからハウルの魔女が顔をだし、値踏みするようにぼくを見た。ぼくは苦笑いを仕方なく浮かべて、小さな声で、ハーイ、と英語で言ってみる。
カイザー髭ががぼくの肩をポンと叩いて、
「ともかく、君は会員になった。おめでとう」
と言ったのだ。だから、会員になったら、どうなるんですか・・・
今気が付いたのだけど、ぼく以外、誰もマスクをつけていないのである。しかも、みんなニヤニヤと不気味な笑いを浮かべている。ぼくは卒倒しそうになった。
「い、いちご大福をどうぞ」
ぼくは持っていたいちご大福を西洋の妖怪たちにギフトするのだった。

つづく。

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