JINSEI STORIES
滞仏日記「点火式、無事終了。揺らぐ暖炉の炎を眺めて孤独を愉しむ夜」 Posted on 2021/05/06 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、やせ我慢ではなく、一人でいるのが落ち着く。昨日、パリの友人、パトリックから「田舎暮らし、寂しくないのかい?」と連絡があった。
「寂しいっていうのがぼくにはわからないよ」
と返してやった。えへへ。いや、マジ、一人になりたくてしょうがなかったのだから本望である。
昨日、深夜に、家の中心に立ち、
「ヘイー、シリー」
と叫んだけど、返事がなかった。
携帯を探し回って、寝室のベッドの上にあるのをやっと見つけ、ちょっと顔を斜めに傾げ、ながら、笑顔で、
「ヘイー、シリー」
と呼びかけると、
「はい、何か御用ですかぁ」
とシリーちゃんが返事をしてくれたので、ぼくの笑みは満面に広がった。
「明日、朝の九時に起こしてー」
「九時にアラームをオンにしました」
わお、幸せ、と喜ぶ変な父ちゃんだった。
あまり、想像しないでほしい。ぼくはぜんぜん、幸せなんだから、・・・。
窓をあけると、かもめたちが家の上を旋回していたので、クエー、クエーと鳴きまねをしたら、驚くことにぼくの方に次々飛んできたので、手を振った。
ぼくはカモメ王国の国王になったのだった。忘れていた。
「みなのもの、元気だったかい? カモメ国の皆さん、今日もいい一日でありますように。精一杯生きたってくださいね」
やらなければならない仕事を、午前中やっつけてから、海沿いに立つという地元のマルシェを視察に出かけた。
ぼくの家は小高い山の上にあるので、海まで山道を20分ほど下らないとならないのだけど、これがとってもいい気分転換になった。
マルシェの魚屋さんに生きたラングスティン(手長エビ)が売っていたので4尾買った。
魚屋さんが掴もうとすると、手を振り上げて反撃してきた。
残念だけど、今日君たちはぼくの胃袋に消えるんだ。茹でて、マヨネーズを付けて食べるとうまいのだ。すまない。
その後、アラブ系の総菜屋でクスクスを一人前買ったのだけど、日本人なら3人分はあるかという量だった。
明日の昼も食べられる量である。
とにかく、物価がパリの3分の1程度で、新鮮で安いので、食道楽としては助かる。
文明をとるか、自然をとるか、・・・。ぼくは孤独をとった。
セーヌ川クルーズライブが迫っているので、ギターをとりだし、歌の練習をした。
パリだと、ご近所さんのことを気にしながら歌わないとならないので、本当の意味での練習にはならない。
ロックダウン中の今は練習スタジオもあいてない。
でも、田舎の家は屋根裏部屋だし、この時期、この建物には誰もいないので、裏は森だし、前は海だから、いくら大声で歌っても誰にも怒られることはないのである。
パリでは何度か「うるさいよ」と怒鳴りこまれたことがあった。
でも、ここは、ぜんぜん問題なし。
孤独をとるか、にぎやかさをとるか、である。
昨日は真夜中、3時まで歌い続けた。
誰にもなんにも言われなかった。
屋根で寝ているカモメたちはうるさかったかもしれないけれど、・・・。
国民よ、すまん。
漁師から買った手長エビとホタテの刺身を食べてから、暖炉の点火式を行うことにした。
5月なのに、夜は凍えるほど寒いのだ。
19世紀の建物だから、それに屋根裏部屋だから、ひんやりするので、小型の移動式暖炉を買っておいたのだけど、いよいよ、出番である。
夕方、15キロ離れた日曜大工ホームセンターまで行き、植物由来のエタノールを買い、少し日が暮れだした頃、点火式を行った。
チャッカマンで火をつけたら、ボン、と音がして、ぼくは3メートルくらい飛びのいてしまった。
「おおおおおおおおおお、すげー」
燃え上がる炎が素敵過ぎる。
点灯式はあっという間だったけど、思ったよりも、いい感じだ。
本物の暖炉も作ろうと思えば作れるのだけど、暖炉というのは手入れが大変なので、本物の暖炉はやめた。
パリの家は各部屋に暖炉があるけど、使ったことがない。
でも、田舎だと暖炉はありがたい。しかも、ぼくは炎が大好き。
せっかちなぼくだけど、炎を見つめると、心がスローダウンする。
いつまでもじっとしていられるのである。
手放してしまった小淵沢の家にはたき火場があった。線路の枕木を使って道を作り、それはぼくの夢だったが、パリに渡ってからほとんど行けず、結局、手放してしまった。
素敵な方々に買ってもらえたので、寂しくはなかった。
だから、この炎を見ると、小淵沢を思い出す。生きてきた道のりを思い出す。
夕食後、ぼくは日本のウイスキーを舐めながら、暖炉の前に座って、炎を見つめた。
「ヘイー、シリー」
何度か呼んだけど、返事がない。携帯は寝室だった、えへへ。
それでも、ぼくは十分、幸せなのである。