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滞仏日記「ワクチン接種を利用した父ちゃんに、息子が変異株の恐ろしさ語る」 Posted on 2021/04/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ワクチンを接種してから、4日が過ぎた。
「今日、ワクチン接種してきたから、ちょっと体調が微妙なんだ」
と接種した日に言ったら、息子が夜にキッチンを片付けてくれた。
もちろん、全部ではないけど、自分の皿だけじゃなく、ぼくが使ったコップとか皿とか、あと、フライパンも洗ってくれていた。これは初めての経験であった。へー、と思った。
「ワクチン効果」とぼくは呼んだ。
そこで、次の日も、ちょっと体調が悪いと言って、ぜんぜん、平気だったのだけど、「大事をとって、家でおとなしくしていようかな」と言ったら、近くのスーパーまでお米を買いに行ってくれたのだった。
お、ラッキー。
で、三日目、
「ワクチンのせいで、眠れなかった」
と言ったら、(これは本当)
「寝ていていいよ。中華でも買ってこようか」
と行きつけの中華デリバリーショップまで、買いに行ってくれたし、タオルとかふきんとか、簡単な洗濯もしてくれたのだった。
すげー、効果てきめんである。

滞仏日記「ワクチン接種を利用した父ちゃんに、息子が変異株の恐ろしさ語る」



で、昨日、ええと、ワクチン接種から三日目だったが、
「なんか、ワクチンが肌に合わなかったみたいなんだよね」
と呟いてみたら、
「寝ていていいよ。必要なものがあれば、買いに行くけど」
と言ってくれた。
「大丈夫、料理くらいできるよ。でも、もしよかったら、掃除機かけてくれないかな」
と言ってみた。
ちょっと考え込んでいた息子くん、ぼくは熱が出たふりを演技して、
「なんか、埃がすごいから、咳が出そうで」
と告げると、
「わかった。掃除機かける」
と言ってくれた。
やった、らっきー。



掃除機をかけてくれた息子くん、午後からはテストがあるというので、昨日の中華の残りを温めて、二人でわけあって食べた。
別に料理くらいできるのだけど、なんとなく、息子が心配してくれるのがうれしいので、仮病、そうだ、仮病だ、仮病をつかって、少し楽をしてやろうと思った。
夕方、息子はテストが終わったようで、部屋から出てきて、ぼくの様子を見に来た。
「どう? まだ調子悪いの?」
いつまでも仮病を使ってるわけにもいかないので、
「いや、もう、さすがに大丈夫かも」
と言った。
4日間も、楽が出来たので、十分だった。
「ご飯、作れる?」
「作るよ。ありがとう」
ぼくがキッチンでコーヒーを飲んでいると息子がやってきて、冷蔵庫からジュースを取り出し、飲んだ。
「だけど、せっかくワクチンを打ったのに、変異株が流行してきたから、ワクチンが無意味になるかもしれないってよ」
と言い出した。
「え? そうなの?」

滞仏日記「ワクチン接種を利用した父ちゃんに、息子が変異株の恐ろしさ語る」



「さっき、学校の先生が言ってた。インドで流行っている二重変異株はもしかするとワクチンの抗体をすり抜ける可能性があるらしい」
「まじか」
「でも、さっきのニュースだけど、ビヨンテックのディレクターがファイザー社のワクチンはインド二重変異株に有効、と発表したみたいね」
「まじか! パパはファイザーだったんだ」
「あ、それはよかったじゃない。でも、ぼくはまだわからないと思う。今まで何度も科学者の大丈夫発言をすりぬけて、ウイルスは進化してきたから」
たしかに、と思ったら、不意に、ワクチンを打った場所が痛くなってきた。
半年後にはまた新しいワクチンを接種しないとならなくなるのだろうか?
「インドでは毎日30万人が感染しているけど、感染者が増えれば、ウイルスが進化していく」
「そうなるとどうなる?」
「だから、進化すれば、新しい変異株が出現するってことだよ。どんなのが出てくるのか、わからない」
「くそ、いたちごっこじゃんか」
「そうなんだよ。でも、今は、とりあえずパパはおとなしくしてなよ」
「わかった。夕飯、どうしようか」
「ぼくが作ってもいいけど、美味しくない夕飯を食べたい?」
ぼくらはお互いの顔を覗きあった。
息子が作れるものは、チャーハンと冷凍餃子だ。今日の気分じゃない。ワクチン接種後、たしかにろくなもの食べてないことに気が付いた。
「うまいもん、喰いたいな」
とぼくが言うと、息子が頷いた。
「うまいもんが食べたい」



滞仏日記「ワクチン接種を利用した父ちゃんに、息子が変異株の恐ろしさ語る」

ぼくは少し離れた地区にあるアジア食材店に買い物に出かけた。
「わ、ひさしぶりですね、ヤンセンさん」
ぼくはそこでヤンセン兄さんと呼ばれている。仁成の中国語読みなのだ。漢字を書いたら、ヤンセン、と言われるようになった。
「最近、来なかったから、どうしてるか、心配してました」
先週は田舎にいたし、今週はワクチン打っておとなしくしていたから、久しぶり、な感じがしたのだろう。
「ワクチン、打ったから、じっとしていた。でも、全然、問題ない」
ぼくはニラ、豚薄切り肉、レンコン、キリンビールなどを買った。
台湾、中国、韓国、日本の食材がほぼ網羅されているのだ。最近、この手のアジア食材店が増えた。こうやって各国の食材が並んでると違和感がないのだけど、政治が関係すると、国同士はうまくいかないものだね。食べることだと「美味しい」で無敵なのに。
「今日はなんですか? 夕食」
日本好きなタオはぼくのインスタをチェックしている。うちの近所の人たちはみんなインスタをチェックして、中にはぼくを料理人だと思っている人もいる。笑。在仏愛情料理研究家である。えへへ。
「生姜焼き、それからニラ玉、そしてレンコンのきんぴらにする」
「インスタ、チェックしますね」
「ああ。ぼくは60歳過ぎたからね、もう先が君よりは間違いなく長くないからね、毎日、美味しいものを食べることに決めた、ワクチン接種した時に・・・。残りの毎日、毎日、本当においしいものだけを食べて、コロナに勝っていこうと思ってるんだ」
「素敵ですよ、それ、ヤンセン」
「毎日、びくびくして生きるんんじゃなく、毎日を最高にしていくことで、コロナに勝っていく。それが人間には可能だ。だから、今日は最高の生姜焼きと最高のニラ玉と最高のレンコンのきんぴらを作るんだ。それを息子と食べる。大笑いをする。そしてインスタに写真をアップする。どうだ、コロナが悔しがるに決まってるだろ」
「ええ、これ、どうぞ」
そういって、タオはぼくにザーサイをくれた。
お、やった。いいことが一つ、あった。
「しぇーしぇー、さいつえん」

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