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滞仏日記「ワクチン接種会場で、父ちゃん、かっちーーーーん、連発の巻」 Posted on 2021/04/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、11時少し前にワクチン接種会場にぼくは到着した。普段はバスケットやバレーボールなどをやる体育館である。
大きな扉が開かれており、ぼくの前には一人の男性が受付をしていた。
ぼくの番がやってきて、受付の男性に名前を告げたら、すぐに予約リストの中からぼくの名前を見つけだしてくれた。
接種する人の時間が細かく決められているので、予約制の病院みたいに、混雑する感じではない。
受付の人もとってもやさしく、
「あまり仏語が得意じゃないけど、大丈夫ですかね?」
と伝えると笑顔で、
「ムッシュ、なーんも、大丈夫ですよ。めっちゃ簡単だから、そこまで理解できるなら問題ない。ほら、ここに住所、名前、それから健康保険番号を書いて、あの席で待っていたら、係りの人が迎えに来るからついていけばいいよ」
と言って、クリップボードに挟まれたなにか質問などが書かれた用紙を渡された。
とりあえず、そこに必要事項を書いていると、どっからか、眼鏡のおじさんがやってきて、
「出来ましたか?」
と言われたので、ウイ、と答えたら、こちらにどうぞ、とパーテーションで区切られた個室に案内された。
どうやら、ドクターのようである。
絵に描いたようなドクターで、白衣を着て、眼鏡かけて、老けたプルーストのようないでたち? 

滞仏日記「ワクチン接種会場で、父ちゃん、かっちーーーーん、連発の巻」



で・・・
ぼくはそこで問診を受けることになった。
「強いアレルギーとかあります? 基礎疾患ありますか? 入院経験とかは? 足とか肺とか丈夫ですか? ・・・」
「ええ、全部、問題なし、毎日走ってるから」
「よろしい、いいですね。走るのはいいことです。では、マダム、あちらの部屋で待機していてください」
こう言われたので、立ち上がりながら、マダムじゃなく、ムッシュですよ、と訂正しておいた。
振り返ったおじさん、驚いた顔で、ええええ? と、そこまで驚くか、という感じで驚いてみせて、握りしめていた問診票を穴が開くくらいに覗き込み、
「61歳なの? 61ィ?? 」
と言い出した。
変異株辻か、おれは!
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

滞仏日記「ワクチン接種会場で、父ちゃん、かっちーーーーん、連発の巻」



みんなに聞こえている。めっちゃ、恥ずかしい。
「1959年生まれだけど、エ・アロー(それがなんか)?」
「いや、へー」
へーの意味を教えろや、と腹が立ってきたけど、目の前に座っている方々、多分、今日は60歳以上の方々なので、・・・もちろんぼくはそのグループの一員ということになるのだけど、・・・
えへへ。仲間だ。
みなさんがぼくをじっと無言で見上げた。ふわー黄昏ている。視線が遠い、・・・。
「若作りしてんの?」
とその医者が言ったので、
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
「フランス人は老けるの早いですね」
ぼくの反論が気に入らなかったのか、このお医者さん、こともあろうに、そこらじゅうの人に聞こえるように、
「いいかい、こちらはムッシュだからね、間違えないでよ。ムッシュ、そこの受付のムッシュに問診票を渡してください」
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
とニヤニヤ笑いながら言ったのだ。
なにハラ? こういうバカなフランス人もいる。
そこらへんに座っていた年配の方々(同年代)がぼくをじろじろと見たので、おじさん、うるさいよ、眼鏡買い替えなよ、と日本語で言っといた。
ぼくが暮らす若々しい地区とはぜんぜん違うフランス人たちがそこにいた。
なんだろう、これがもう一つのフランスなんだな、と思った。保守的な空気、・・・
医者はぼくが気を悪くしたのが分かったのか、黙って引き下がっていった。
人間が一番老いちゃいけないのは、心と中身だと思う、とその医者について感想を持った。
受付の若いムッシュが、ごめんね、と謝ってきた。
とんだワクチン会場である。ぷんぷん。

滞仏日記「ワクチン接種会場で、父ちゃん、かっちーーーーん、連発の巻」



10分くらい待合室で待機し、ぼくは接種の個室に案内された。そこのお医者さんは真面目で優しい感じの人だった。
ぼくはドクターが準備をしている間、いろいろと質問をぶつけてみることになる。
「どのくらい、一日に、ワクチンを打ってますか?」
「そうですね、どうだろう、ここは普通の体育館だから、5~600人くらいですかね。でも、他の大きな会場、スタジアムだと数千人単位で打ってると思いますよ。フランス全土で毎日何万人もの人が接種していますよ」
「ワクチンは足りてます?」
「それはいい質問。確保するのにどこの国も必死で、でも、フランスはなんとか確保できているんじゃないかな」
「変異株にも効きますか?」
「あなたが今日、打つファイザーはある程度、効くとは言われているけど、変異の速度が速くなっているから、この先、どうなるでしょうね。ムッシュ、はい、終わりました」
え???
写真を撮ろうと思っていたのに、あまりに手際のいいお医者さんだったから、痛くもないし、あっという間に接種が終わってしまった。
気が付いたら、絆創膏を貼られていた。日記にアップしようと思ってカメラを握りしめていたのに、と地団駄を踏んだ。
40代くらいの若いお医者さんだった。
「じゃあ、ムッシュ、そこの控室で待っていてください。15分以内に、診断書を届けます」
いや、この人は紳士だ。眼鏡もちゃんとしている、きっと、日本製だろう。

滞仏日記「ワクチン接種会場で、父ちゃん、かっちーーーーん、連発の巻」



出口脇の控室で待っている間、目の前のマダムが気分が悪い、と訴えて、係りの人に奥の部屋へと連れ出された。
もっとも副作用というよりも、ワクチンを接種したことによる、精神不安からの問題じゃないか、という感じ。どこからか、ご主人がやってきて、まもなく、二人で退出していったので・・・。
ということで、ぼくは家に戻り、これを書いている。
夕方、ちょっとけ、2,3時間程度、だるい感じがしたけど、とくにアナフィラキシーの症状が出たり、副作用が出るということは無かった。腕も痛くないし、熱もなく、気分も悪くない。
コロナ・ワクチン接種はインフルエンザよりもスムーズだった印象しか残っていない。
でも、これを受けたことで重症化しにくい何かを手に入れたのだ、と思えたことが、まぁ、明日への希望へとつながったかもしれない。



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