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滞仏日記「ついに、明日、ぼくはワクチンを打つ、緊張の前夜に思ったこと」 Posted on 2021/04/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは田舎の家で仕事をしてから、昼過ぎにパリを目指した。
明日はいよいよ初ワクチン接種が待っている。
思いのほか、早い展開だった。
フランス政府が4月16日より60歳以上のワクチン接種の予約開始、と発表して、毎日、アプリとにらめっこをしたが、殺到したのか予約は当初とれなかった。
ところが4日後、4月20日に、たまたま、一つ、空きが出たのだ。しかも、ぼくが接種を希望していたファイザー社のワクチンであった。
慌てて、予約ボタンを押したら、「予約完了」となり、ぼくは新居で大喜びした。
凄いのは、その後、今日まで、空きが出てない。まさに、奇跡の瞬間でもあった。
正直、ぼくはどこのワクチンでも、打てるなら打つつもりだった。
できれば、ファイザーがよかったけれど、ファイザーも、たとえば歌手の大江千里さんは二回目の接種の後、強い副作用があった、ということだから、どのワクチンが自分にあうか、接種してみないとわからない。

滞仏日記「ついに、明日、ぼくはワクチンを打つ、緊張の前夜に思ったこと」



ということで、明日、(日本だと今日ということになる)ぼくはワクチン接種会場で11時4分に、ついに、この一年の苦しみを乗り越えて、打つ。11時4分だ。
正直な気持ち、打つことへの覚悟も期待もできているけれど、副作用が出ないか、ちょっとだけ不安もある。
けれども、一年前のあのロックダウンで経験した絶望感を少しでも払拭できるのならば、ぼくは打ちたい。もう、あれは嫌だ。
打つことで、少しでも希望が持てるなら、やはり、感染被害の大きかったこの欧州で息子を育てあげるのには、やはり、打つしかないのだ。
ここじゃなくても、世界中どこであろうと、今はワクチンを打つしかない。



ぼくの予約時間は、11時4分である。11時10分の人、11時16分の人がいるのだ。
6分刻みで接種が行われている。6分? 5分じゃなくて、6分というのが面白いね。
今、マクロン政権のスローガンは、「1にワクチン、2にワクチン、3,4もワクチン、5もワクチン」なのである。
実際、もの凄い勢いでワクチンの接種が進んでいる。その結果、じわじわと感染者数や陽性率が下がり続けているのも事実だ。



EUはすでに6億回分のワクチン契約をファイザーと結んでいるので、7月までには成人の70%に接種を完了する勢いである。
昨日のニュースによるとさらに追加で18億回分のファイザーワクチンの契約をまもなく締結、ということらしいので、安定的なワクチン供給が続くことになる。
そして、新しい契約には当然、変異株対応のワクチンが含まれている。
さて、パリへの帰路、ぼくの携帯にはフランス政府からSMSとメールとアプリで「ムッシュ、明日だからね、ちゃんと来るんですよ」という確認の連絡が相次いだ。
神経質なほど、ワクチン接種にエネルギーを注ぎ込んでいるのがよく伝わってくる。それしか、もう手がない、ということだと思う。



ぼくは送られてきたメッセージを何度も確認した。持参しなければならないのは、滞在許可証、健康保険証、そして、パスポートである。
パスポートについては一応、ぼくの判断で持参をする。提示を求められることはない,
とは思うが、念のため・・・。
そして、注意事項を確認した。以下に該当する人は接種を受けることが出来ない、と書かれてあった。
1、強いアレルギーを持っている人
2、今現在、風邪の症状のある人、38度以上の熱がある人
3、七日以内に感染者と濃厚接触した人
4、3週間以内に他のワクチンを打った人
5、3か月いないにコロナに罹った人。
注意点。3か月以前に罹った人はその時の診断書を持ってくること。場合によっては、二回目の接種が免除される可能性がある、と追記されてあった。
ぼくは基礎疾患もなく、非常に健康体なので、もちろん、今現在、熱もなく、たぶん、明日はまちがいなく、ワクチンを接種できるはずである。
まさか、ワクチンを打つことがここまで大イベントになるなどとは思ってもいなかった。
新しい時代の一ページ目を捲ることになるのだ。

滞仏日記「ついに、明日、ぼくはワクチンを打つ、緊張の前夜に思ったこと」



夜、久しぶりに息子と食卓を挟んだ。
「明日、いよいよ、ワクチンなんだよ」
「え? そうなんだ」
「もし、アレルギー反応とか出た時は、ちょっと迷惑かけるかもしれない」
「わかった。どこで受けるの?」
「なんか、大きな会場(バクサンドローム)」
「一人で大丈夫?」
「うん。なんか証明書を発行してもらうのに、質疑応答があるらしい」
「やばいじゃん。パパの仏語、ぜったい通じないでしょ?」
「通じるよ。ダメなら、英語で言う」
「英語もっとひどいじゃん」
かっちーーーーん。
「あいあむOK、まいボディいずパーフェクト。ノープロブレム。これでいいでしょ」
ぼくらは笑いあった。
「困ったら電話頂戴、通訳するから」
ちょっと嬉しかった。かっちーーーーんは取り消す。
ともかく、今日は早く寝て、明日に備えることにする。ぐんない。

滞仏日記「ついに、明日、ぼくはワクチンを打つ、緊張の前夜に思ったこと」



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