JINSEI STORIES
滞仏日記「二コラのお父さんに呼び出され、衝撃的な相談をもちかけられた」 Posted on 2021/04/17 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくは昼前、日記を一つアップした後、ランニングに出た。
息子はウイリアムやアレクサンドルたちとブーローニュの森を走るというので、一緒に家をでた。
ぼくはセーヌ川を走ろうと思っていたが、家を出たところで携帯に二コラのお父さんから「相談したいことがあり」とSMSが入ったので、会うことになった。
何か、仕事の都合でバスティーユ広場あたりにいるというので、走るついでにそこまで行くことになる。
肌寒かったけど、快晴だったので、ぼくはジャンプしながら、走った。
そして、着地するたびに、地球にハイタッチをしていたら、通行人の人に怪訝な顔をされてしまった。
あまりやると日本人の恥さらしになるので、地球とのハイタッチは数回で、やめることにした。
ぼくの家からバスティーユまで走って30分かかった。
二コラのお父さんは分厚いコートを着ていた。ぼくはジャージ姿だ。
あまりに身軽な恰好でぼくが出現したので、面食らったようだった。
「走ってきたんですか? ここまで?」
「ええ。たいしたことないです。ところでどんな相談ですか?」
ぼくは汗をかいていた。
一昨日まで突発性難聴で寝込んでいたとは思えなかった。本当に変な持病である。倒れた時のために、ポケットにIDカードだけは忍ばせておいた。
二人は公園のベンチに並んで腰かけた。
「離婚の後、二コラの様子がちょっと変なのです。どう思います?」
「いや、ぼくの前では普通ですけど」
「実は新しい恋人がおりまして、出入りしているんです。彼女は子供好きなんですけど、二コラがわざと冷たい対応をするみたいで・・・、なんとなく、ぎすぎすしています」
なるほど、と思った。それはしょうがない。
しかし、次の瞬間、意外な言葉がお父さんの口をついて出てきた。
「実は、その人は妊娠しています」
おっと。これは衝撃的であった。
「そのことを二コラにもマノンにも言えずにいます。これは予期せぬ出来事で、もちろん、生ませるつもりでいますが、マノンはもう15歳だからまだしも、さすがに二コラにはまだ複雑かな、と思いまして。私がもちろん、二コラには折を見て話すつもりですけど、もしも、ムッシュが力を貸してもらえるなら、その、すごく助かります」
ぼくは一気に暗くなってしまった。そういう話しか、やれやれ、と思った。
汗が引いてきたので、ぼくは立ち上がり、ちょっと運動をはじめた。耳の奥が何かに引っ張られた感じを覚えた。突発性難聴の名残りかな、・・・
「大丈夫ですか?」
「ちょっと冷えてきただけで、すいません、運動しながらになりますけど、続けてください」
二コラのお父さんは、ぼくが言うのもなんだが、ちょっと頼りないタイプのフランス人男性なのだ。
実は、フランス人男性に結構、多いタイプでもある。
「あの、いいですか? この問題は皆さんが思っている以上に二コラの思春期に影響を与えると思うので、じっくりと話し合って、ぼくももちろん、方法を考えますから、時間をかけて解決しましょう。その、新しい人はもうおなかが大きいですか?」
「いいえ、まだ3か月という感じです」
「なるほど。どこで生むつもりですか?」
「それで悩んでまして、・・・」
ぼくは運動をやめて、空を見上げた。
街灯の上の方に鳥の巣がたくさん括りつけられてあった。
生きているものには、家族が必要だし、いずれ、二コラもこのことを理解しないとならない。でも、それには時間がかかる。
まだ早すぎる、時間が必要だ、とぼくは思った。
「その、別れた奥さんにはいいました?」
「いや、彼女には関係ない問題というか、それはあなたがちゃんと二コラに言うべき問題です、と言い返されるに決まってますから、だから、ムッシュに相談をしています」
おっと。なるほど、・・・
「数日、考えさせてもらえますか?」
「もちろんです」
フランスの離婚率はもの凄く高いので、子供たちもたいがいのことは理解できるし、学校や回りの親も、そういうことを隠さないような教育をする。
しかし、離婚間もない上に、お父さんに新しいお子さんが出来る、となると、ちょっと二コラの許容量を超えそうな気がしてならない。
「出産するまで、二コラはお母さんの方で、というのがいいような気がします。赤ちゃんがやってくるまでの間に、少しずつ説明をしていく、というのは、どうでしょうね? そのためには二コラのお母さんの理解と協力が必要ですけど」
「その、もし、可能だったら、ムッシュ、彼女と話しをしてもらえないでしょうか? ムッシュがあいだに入ってもらえると、ことが荒立たないと思うのです。ごめんなさい。でも、二コラをこれ以上、傷つけたくないんです」
ぼくは身体が冷えてきたので、家に戻ることにした。結論はでなかったが、お互い持ち帰ることにしたのだ。
フランスの子供たちは、正直、離婚では驚かない。
ちゃんと説明をすれば、たいがいのことは理解出来る。
息子のクラスでも、半分以上の生徒の親が離婚をしているし、子供たちは双方の親の家を、フランスの法律にのっとって、行き来している。
フランスではいかなる事情があれ、子供は両親の家を半々で移動しないとならない。
でも、今回は、法律では簡単に解決できないデリケートな問題をはらんでいる。
もう少し、大人たちが冷静になり、協議しあう必要があるだろう。
二コラのお父さんを責めたからといって、問題は解決しない。
ムッシュ・ツジは地球とハイタッチをしながら、左岸を目指した。まばゆい光りが救いだった。
でも、なんとかなる。みんな生きているのだ。あまりシリアスになり過ぎないことも、この国では大事だったりする。
ぼくはストレスを振り払うために走った。今日も走った。(つづく)