JINSEI STORIES
子育て日記「息子の整髪剤をしげしげと眺めながら、微笑みを誘われる春の日」 Posted on 2021/04/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ニコラ君10歳が遊びに来ていた時、息子がやってきて、「パパ、ついこの前までぼくはこんな感じだったのにね」としみじみと言いだし、思わず苦笑してしまった。
実はぼくもそう思っていた。
遊びに来る近所のニコラ君を見るたびに、幼い日の息子を思い出している。
こんな日があったなぁ、と・・・。
子育てには、ある意味、終わりがない。
85歳のかあさんの子育てはまだ続いている。
昔のような感じで、ごはんを作ることはもうないけど、85歳のかあさんが凄みをきかせているおかげで、息子たちは日々を乗り越えることが出来ている。
家族とは何かと考えない日はない。
子育てから逃げ出したいと思う日もあったけど、そんなわけで、子育てから逃げ出すことはほとんど出来ないということを知る毎日である。
たぶん、一生、子育てなり親との関係は続くのだ。
なので、「子育て」してます、みたいな気負いは禁物である。
ぼくはある時から、そのことを悟り、楽になった。
子育てのことを「感動の記録」と呼ぶようになった。
苦しいことは感動を呼ぶための修行とか訓練と思うようにした。
朝早くからごはんを作っているのは、いずれ訪れる感動のための土台作りなのだ。
ほんまかいな、・・・
風呂場の洗面台にある時から「マンダム」みたいな男性整髪料とか並び始めて、今はほぼ、一列息子の男性用品に占拠されてしまい、あいつのあとに風呂場に顔出すと、むゥわーーー、なんやこの男臭とのけぞってしまうのである。
昔はあんなに可愛い、それこそニコラ君みたいな「ムスコ」だったのに、今はどこぞのラッパーかいな、という感じのデカイのが風呂場から出てきて、思わず、狭い廊下で、父ちゃんは慌てて壁にどいて、道を譲ってしまうのだった。
やれやれ。
一度、息子が使っている「マンダム」みたいなものを一つ一つ手に取って検証してみたことがあるのだけど、毛髪育毛剤とか、シェービングクリームとか、男性用の石鹸とか、なんだけど、どこでいつ買ってるのか、その姿を想像すると、思わず微笑みを誘われてしまうのであーる。
自分も本屋で週刊「プレイボーイ」とかを買って、母さんに内緒で、ベッドの下とかに隠して、ある日、学校から帰ると、ベッドのシーツが取り換えられていて、慌ててマットを持ち上げ覗くと、プレイボーイが英語の教材に変わっていたことがあった。
しかし、息子の成長を通して、そういうのを思い出せることはある意味、幸福な証拠だと感じる、春の今日この頃なのであーる。
えへへ。