JINSEI STORIES
滞仏日記「コロナ出現から一年を経て、街の哲学者アドリアンが今こそ語る」 Posted on 2021/04/10 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくが暮らす町には、奇妙な哲学者が一人いる。アドリアンだ。
彼についてはコロナが出現した直後から、暗示に満ちた言葉を数多く貰った。
去年の今頃、彼がここで語ったあの言葉たちを今、読み返すと、いまだに示唆に富んでいる。
彼は今のアメリカや中国や世界のこと、もちろん、日本のことも2020年春に語っており、2021年の今、それはほぼ彼が言った通りになりつつある。
今日、ぼくは買い物帰りに、いつもの教会の前でマスクもせず、新聞を読んでいる男を見つけた。
その横に腰を下ろし、何でマスクしないんだ、と忠告したら、葉巻を吸う時は外していいのだ、と葉巻も持ってないくせに、言った。
さて、そこでぼくは一年前に彼が語ったことを呼び覚まし、その考えがどう変化したかを確かめることにした。
2020年の3月頃の発言を2021年の今の彼にぶつけてみたのである。
その答えが実に、面白かった。
まずアドリアンは去年3月の時点で、集団免疫についてこう語っている。
【マスクをするのでさえも嫌なんだ。だから俺は、早めに罹ってだな、軽症程度で潜り抜け、抗体を獲得し、早めにこの精神的な苦難から逃げ出したいんだよ。俺にとっては罹ることより、毎日、家の中でじっとしていることの方が命を脅かしている。そういう人間も大勢いるんだ。政府はとっととこういう封鎖をやめて、みんなに感染させるべきだ。集団免疫を持つしか、人類がこのウイルスに勝つ方法はないんだよ】
ぼくは彼の当時の持論を彼にぶつけ、あの時の発言について今はどう思うのか? 訊いてみた。
「そんなことを言ったか、愚かな意見だが、しかし、人類はワクチンを接種するしか、今、この状況を突破する方法を持ってない。集団免疫獲得はフランスの場合、ワクチン接種が進めばこの秋ごろには現実味が出る。そうすれば、今のようなチキンレースは終わりを迎える。ツジ、俺は先々週、アストラゼネカを打った。二本目を待ってる状況だ。副作用も出なかった。英国では不幸なことに19人の人が亡くなった。しかし、欧州は今現在、集団免疫を獲得しつつある。英国がいい例だ。その先はコロナ次第だが、ワクチンの接種でしか、今のところ、人類が生き残る道はない。お前も早く打て」
次にアドリアンは去年の3月の末に、民主主義の終焉、それにとって代わる勢力の拮抗について語った。その部分を抜粋してみる。
【結局、俺は二か月間、このロックダウンを目撃し続けて一つの結論に至ったのだ。それはロックダウンのような強制力で国全体を隔離するってことは、民主主義の国家には向いてなかったという結論。中国のような社会主義の国じゃないと、そもそも国民が従わない。ウイルスを封じ込める能力は中国の方がアメリカよりも圧倒的に強い。国の集中力が違い過ぎる。それは民主主義がはびこり過ぎことによる副作用なんだよ。中国を社会主義と言ったけど、正確には、資本主義体制を大幅に取り入れた中国特殊社会主義国と言えるだろう。ここがトリックだ。アメリカの場合、国民一人一人の意見が壁になる。もちろん、俺は民主主義の恩恵でこんな風に自由に生きてこられたわけだから、民主主義に異論はない。しかし、新型コロナのようなパンデミック脅威に、民主主義はあまりに脆かったということだ。世界のパワーバランスで考えると、今はまだアメリカが若干勝ってるように見えるかもしれないが、今後、間違いなくアメリカは中国に及ばなくなる】
アドリアンはこの過去の持論について、照れ笑いを浮かべた後、こう補足した。この二つの意見の間には1年もの歳月が横たわっていることを意識しながら読んでもらいたい。
「僕らはここで、もう一度、民主主義とは何か、という問題について考えないとならないだろう。新型コロナが何だったのか、という問題の方がうんとミステリアスだということだ。一つ、言えることは、なぜ、コロナが出現し、コロナは何をしでかしたのかを検証する必要がある。このウイルスがやったことは、我々の知能が及びもしない領域からのメッセージである可能性が高いということだ。僕は無神論者だけど、しかし、概念としての神じゃなく、それはこの星とか宇宙と定義してもいいが、人類が持っている価値観とは相反するところの価値観を持った何者かが、このウイルスを人類の頭上に叩きつけたと考えてみてはどうだろう? それを神と形式的に名付けてもいい。宇宙を作った何者かが、好き放題やらかして地球を破壊しようとしている人間にコロナという縦横無尽に進化していく悪魔を放ったとしたら、とお前は考えたことはないか? いろいろ辻褄が合ってくる。PCR検査をすり抜ける変異株の出現などを見ていると、集団免疫の限界もさほど遠くない時に起こりえる可能性がある。人類の知能ではこの感染症は終息させられないのかもしれない。このウイルスはどんどん進化し、今のところ欧米に比べ被害の少ない黄色人種や黒人にも甚大な被害を及ぼす可能性がある。これまでの経緯から、白人は黄色人種を敵対視するようになる。アメリカで流行っているアジア人差別などは一つの例だ。この感染症パンデミックがもたらしたものは分断と崩壊なのだ。一部の人は利益を得る。アマゾンとかネットフレックスとか。でも、飲食業とかデパートなどは壊滅的になり、格差がここで甚大に広がり、民族主義を人々の心に燃え上がらせ、民主主義つぶしにかかる。分断は広がり、崩壊へと亀裂を強めていく。ワクチンがとりあえずの防波堤になるかもしれないが、あるいは、来年には変異が進んだ新しいウイルスを前に無力化させられる可能性もある。世界のバランスを壊すために放たれた悪魔たちが、この世界をひっかきまわし、とんでもない火種をもたらす。台湾海峡しかり、地球はかつてのバルカン半島のような火種をあちこちに抱えているんだ。どれか一つに引火して爆発を起こしたら、今の世界は木っ端みじんになる」
一年前、アドリアンは頻繁に日本のこれからについても示唆していた。
【日本は島国だし、アジアの外れにあるし、世界が沈没しかけても、農業を再建して、新しい鎖国をやったら、生き残れるんじゃないか?世界がグローバル化し過ぎたことがこの時代の不幸を招いた。孤独を愛する者が生き残れる世界がそこにある。日本は外の世界が勝手に押し付けてくるイメージに振り回されることなく、今は、第2鎖国時代に向かうべきだ。中国やアメリカとは距離をとること。農業を他国に任せちゃだめだ。懸命な経営者はこれから農業を始めるべきだ。製造業も自分の国に取り戻せ。これからは日本製のマスクを再び世界に販売する方がいい。多少貧しくなっても日本らしさは残る】
日本でもその後、鎖国をしたら、と言い出す人々が出現した。でも、ぼくが知る限り、君が鎖国に言及したのが一番早かったと思うよ、とアドリアンに伝えた。
「日本が食料自給率を高める必要はあると思うけど、そのためにはかつてのソ連がやったようなコルホーズ、ソフホーズの運動くらいのことをやる必要があるが、残念なことに、日本の政治力がそこまでないのだから、無理だろう。去年ならば鎖国もよかったが、今、鎖国をするべきだ、と言ってる連中はどうしようもない。今はもう鎖国というわけにはいかないだろう。僕が今、一番注目しているのは、東京オリンピックと北京オリンピックなんだけど、この二つのオリンピックは旧G7的世界の最後を代表する日本と、新興国どころか今は台風の目となりつつある中国の、この2大会が分水嶺的な意味合いで行われる。東京は旧先進国の終焉宣言の場になる可能性もあるし、北京は新興国が旧先進国の受け皿を担うことへの宣言の場となる可能性がある。そういう観点から、日本は中途半端なオリンピックを開催して、盛り上がらない空気感を世界に提案してはならない。政治的な理由から、ぼくは反対なのだ。決して、今、オリンピックをやっても日本の国力高揚には繋がらない。むしろ、逆になる可能性が高い。そして、東京がなくなれば、北京にどういう影響が出るかを考える必要がある。今年から来年にかけて、世界はコロナのせいでもっと醜く政治的駆け引きを強めることになるのだ。日本政府は目先の利益だけじゃなく、地域の安定のために動く必要がある」