JINSEI STORIES
滞仏日記「パパ、ぼくが家族を作ったら、パパはどうするつもり?」 Posted on 2021/04/07 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、午前中、晴れていたのに、午後から急に雪が降りだした。
雪?
先週末、27度とか28度の夏日だったのに、週明けと同時に雪というのには驚いた。
ラジオのアナウンサーが「異常気象」と言っていたけど、コロナですでに異常事態なので、雪くらいじゃ驚かなくなった。
目の前を過ぎっていく子供の写真を撮り、夕飯の時に息子に見せたら、
「ぼくにもこんな時があったでしょ」
と言ったので、彼の幼い頃の写真を探した。
「ちょうだい、彼女にあげたい」
「ああ、いいね」
ハードディスクに眠っている息子の写真を次々引っ張りだし、息子に送っておいた。
彼が5歳とか、7歳とかの写真である。
絵本の翻訳をしていたら、息子がやって来て、
「彼女がね、もっとほしいって」
と大きくなった息子はぼくの仕事部屋の戸口に肩を預けて、笑顔で言った。
「ああ。あとで探しとく。今、仕事中だから」
「OK」
行きかけた息子の背中に、
「でも、なんで、昔の写真がそんなにほしいんだろうね」
と投げつけてみた。
「なんかね・・・」
息子がこちらを振り返って言った。
「二人が結婚をして、家族になったら、どういう家族になるのか、想像をしているみたいだよ」
ぼくは心臓が止まりそうになった。
「ちょっと気が早くないか?」
「もちろん。でも、コロナがこんなに酷いと、ぼくらには希望や未来が必要だから」
う、胸が痛い・・・。
「たしかに」
「暗い世界の中に、明るい未来を持って生きないと、現実に押しつぶされちゃうからね」
息子は笑顔だった。
「パパ、フランスの失業率、もうすぐ10%になる。10人に一人は仕事がない時代だから、大学を出たからって安心して生きていけるか、わからない。でも、人間、やっぱり幸せになる権利があるじゃない」
「ま、そうだね」
「パパを見てると、特に、そう思う」
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
「パパ、だから、家族がいると、安心だから」
「まぁ、そうだけど」
「ぼくらがませているのはわかるけど、どういう家族が出来るか、話し合うのは、夢があって幸せな感じがする。こうやって家から出られない日々が続いてるから、空想の世界で、幸せをイメージできるんじゃない? 」
先週、土曜日からフランスは三度目のロックダウンに入っている。
外出は出来るけど、外を歩いている人は少ない。
子供たちはネット授業に移行しており、家から出ない。
息子は土曜日以降、一歩も出てない、ということだった。
遠方で暮らしているガールフレンドとは会いたくても会えないのだそうだ。
5月3日まで学校の閉鎖は続く。
その先はその時にならないと分からない。
それまで息子はずっと地下生活を続けることになる。
昔の写真を彼女と交換して、未来の自分たちの姿を想像するのを愚かなことだとは言えない。
もう、何も言えない時代になった。
勉強もしないで音楽ばかりをやってる息子に「勉強しなさい」とも言えなくなった。
「パパ。もしも、ぼくがルーシーと結婚をしたら、パパはどうする?」
なんでか、そこだけ、仏語で息子は言った。
一瞬、意味が分からなかったので、え、と訊き返した。
今度は日本語で、もう一度、同じことを言った。
「パパは、どうしよう。田舎で生きてるから、たまに遊びに来ればいいじゃん」
ちょっと答えになってないけど、一応、微笑みながら言っといた。
「あ、じゃあ、フランスにいてくれるんだね? これからも」
「もちろん、もう少しいるけど、コロナ次第かな」
「田舎の家に、家族で遊びに行っていいの?」
「もちろん。ぜひ、遊びに来てくれよ」
今度は、ぼくが仏語で返した。多分、日本語だと気恥ずかしいのである。
「・・の家族も、みんなで集まろうよ」
血を分けた兄の名前をあいつは口にした。息子には尊敬し続けている兄がいる。
「OK、いいんじゃないの? でも、田舎の家は小さいからな、君たち2家族を招けるほどのスペースはない」
ぼくは英語で言った。仏語も日本語も気恥ずかしいからだ。
息子は、OK,と言った。
OKは英語だけど、仏語でもあり、日本語でもあった。
今日は、やたら、タブーに切り込んでくる息子だ。世界が容赦ないのだと思う。
「家族がいるって、素晴らしいことじゃない?」
息子が日本語で言った。
「ああ、そうだね」
「コロナが収束したら、みんなで田舎に行きたい」
「いいんじゃないの」
「それはとっても大事なことなんだ」
息子は日本語で言った。
©️Hitonari TSUJI
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