JINSEI STORIES
滞仏日記「食べた料理の写真を毎回送ってくる息子の意図はなんだ?」 Posted on 2021/04/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくが田舎への引っ越しのためパリを不在にしている間、普段ならどういう生活をしているのか見当もつかない息子だが、なぜか、今回は、毎食後、自分が作った料理を写真で送ってくる。
絶対、自慢とかしないやつなので、なんでかわからない。
でも、この子はいつも何か意味があって行動をするタイプなので、彼女に見せるついでにぼくに送り付けるとか、なんらかの理由があるはずだ。
あと、一年で大学生になり、ある意味巣立つので、一人暮らしの準備に入っているのかもしれない。
それなら、理解できる。
ぼくは息子に生きぬくための基礎知識をだいたい教えた。
とくに料理に関しては他のこと、英語とか日本語とか歴史とかよりももっと重点を置いて教えてきた。
まず、最初に教えたのは米のとぎ方、炊き方である。
ご飯を自分で炊けないようじゃ、一人前とは言えない、辻家では、笑。
とくにご飯好きな息子は路頭に迷うので、まずは、そこを重点的に教えた。
それから卵料理を全般的に教えた。ゆで卵、煮卵、卵焼き、目玉焼きなどなど、・・・。
次に味噌汁の作り方を教えた。味噌を使う、うどんとか、ラーメンへの応用なども。
それから、チャーハンの作り方、ペペロンチーノ(基本)の作り方、冷凍餃子の焼き方、冷凍シュウマイの蒸し方、などを伝授した。
ちょっと高度な魚を三枚におろす方法とか、鶏の解体の仕方も教えたけど、やはり必要なのは、すぐに食べることのできるアジア飯全般であった。
最近、教えているのは「皮パリの焼き鳥」「焼肉全般」「皮パリの焼き魚定食」の作り方である。
ものごとには順序があるから、基礎をしっかり学んだら、そこからはどんな料理も工夫次第でこなせるようになる。
大事なのは、包丁の使い方、炊飯器の使いこなし方、フライパンの持ち方などであろう。
だいたい合格点があげられるまでに成長した。
これからの若い人間にとって大事なことは、サバイバル術だとぼくは思う。
新型コロナが蔓延するこのようなパンデミックの時代に、どのような過酷な状況でも生き抜ける力というのは、たぶん、親しか教えることが出来ない。
彼は祖国から一万キロも離れた場所で、異邦人として生まれ、幼いころに親の離婚を経験し、しかもこんな変わったおやじと生きないとならなくなって、弱みを見せないように頑張って生きてきた。
仏語人として生まれ、日本語を親の言語として受け継ぎ、英語をマスターし、スペイン語やイタリア語を第三外国語として学び、習得しようとしている。
強く生きるしかないのだ。
欧州は地続きでいろいろな国がぶつかりあう上に、移民も多く、言語の違いのみならず、文化の壁を乗り越えて混ざっていくことで生み出されるエネルギーは半端ないし、ある意味、とっても現代的だと言える。
そういう環境で生まれ育ったあの子は、この世界で生き抜くしかない状況下にあるので、めったに泣いたことがない。
ぼくは彼が泣いたのを今までに2度くらいしか見たことがない。
幼い頃から仏人の中で育ったせいで、弱みを見せない人間になった。その分、皮肉屋だけど、それくらいじゃないとここでは生きられない。
頭の中はフランス人だが、なぜかこの子は根っからの米好きな日本人なので、このバランスが面白いと思う。
親として、ぼくにできることは、料理を教えるくらいであろう、あとは見守るだけだ。
ま、それはさておき、今日は、なんにもメッセージも食べた料理の写真もこないので、ちょっと心配になった。
だから、ワッツアップにメッセージを送ってみた。
このあと、返事が途絶えた。
大丈夫だとは思うけれど、親というのはいつも心配なものである。食べ過ぎても心配だし、食べなくても心配だし、食べたものを送ってきても、なんかへんだな、と怪しんだり、食べてないといわれると、ちょっと不安になる。
新型コロナの感染拡大が続くフランスは今、もっとも心配されている国の一つであろう。
今夜からフランス全土にロックダウンが拡大される。
かなり緩やかなロックダウンだから、ある程度の移動もできるし、ぼくも月曜日にはパリに普通に戻る予定で、それは可能なのだ。
しかし、問題は人間の心にどのくらいの負荷がかかっているか、その方がもっと心配である。
特に、若い子たちは学校にも行けず、恋人や友達にも会うことが出来ず、家の中にいないとならない。
そうなれば、ご飯も食べたくなくなるし、普通に起きようという気にもならない。
一日も早く、コロナが落ち着くことを願うばかりだけれど、そう簡単には、元の世界には戻らないだろう。人類は新しい世界を生きなければならなくなる。
これはぼくの昼食。田舎のフレンチレストランが作った中華麺のサラダ、下に中華麺が入っていて、だし系のソースがかかっている。おいしかった。侮れない、と思わず食べながら、唸った、父ちゃんであった。
あの子は、そういうことに敏感だから、考え込んでいるのかもしれない。パリに戻ったら、たくさん、語り合い、少しでも子供の不安を払拭できるように親として寄り添い、励ましたいと思う。
寿司とか、天ぷらとか、もうちょっと高度な料理を教えてやることにするか。難しい課題がある方が、人間は生きようとする生き物だからである。