JINSEI STORIES
滞仏日記「洗濯機がジャンプしダンスし大惨事の新居にて混乱する父ちゃん」 Posted on 2021/04/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、今日は朝から大忙しの超大変な一日になった。
自分の田舎の新居から生配信をすると宣言して意気揚々と田舎入りした父ちゃんだったが、肝心要のキッチンが全然できてなくて、たとえばカウンターの板はあるのだけど下はスケルトン、冷蔵庫の背後がまる見え、食洗器は半分も扉があかないし、ともかく開いた口がふさがらず落ち込んだのは昨日の日記で書いたとおり・・・。
そのことをSMSでジェロジェロを傷つけないように、「あの状態じゃ日本に生配信はできないし、ぼくはちょっとショックです」と伝えたら、不可能はありません、とジェロジェロからやたら自信たっぷりな返事が戻ってきたのだけど、田舎からの生配信は多くの人をがっかりさせる可能性が高く、無理にやらない方がいいかもしれない、と思いパリに帰るか、なんとかごまかしてここで頑張るか、で、マジ悩んだ。
「ムッシュ、明日、ぼくにチャンスをください。必ず、ご期待に添えてみせます」
この言葉、いったい何度聞いたことだろう。ジェロめ、・・・
田舎の朝は早い。
今日は8時にホテルの人に起こされ、コーヒーを飲んでから、足りない材料を買いにホームセンターへと出かけた。
ジェロジェロのようなフランスの内装業者さんは材料を買いに行ってはくれない。(お金を積めば可能、・・・)
彼らへの謝礼の中に材料代は含まれてない。
すべてこちらが揃えないとならない。
で、ぼくが今日、何を買いに行ったかというと、照明、暖房器具全部(今か?)、カウンターの周辺をカバーするアカシアの板、掃除道具一式などなど。
朝の8時半にはホームセンターはすでに多くのお客さんで賑わっていた。
ぼくは暖房器具を4つ買い、車に積んで新居に行き、一人で、荷物を上まであげた。ふー。エレベーター無しの5階、・・・
とりあえず、ジェロジェロが来るまでにいろいろとチェックをしないとならない。
明日から、ここで寝る予定だったので、まずは寝具一式を洗濯するべく、全自動洗濯機のスイッチをおしたら、最初は調子よく動いていたのだけど、脱水の時、突然、洗濯機が、ガタガタいいだした。え???
洗濯機のドラムが回転するたびに、振動が激しくなり、ついに洗濯機がダンスしはじめ、ぼくはびっくりして、後ずさりしてしまう。
すると、ダンスしていた全自動洗濯機が今度はジャンプしはじめたのだ。
どーん、どーん、と突き上げるような音をあげて、宙に浮いた!
これにはさすがに固まってしまった。60年間生きてきたけど、マジ、こんなの見たことがない。
さすがに初めての経験で、ぼくは言葉を失った。
脱水が進むにつれ、ドラムの回転数が信じられないくらい早くなり、ダンスからジャンプへ移った洗濯機ちゃん、暴れ馬みたいになった。
これは止めないと家が壊れる、と思ったぼくは、怖かったけれど洗濯機に近づき、顔を背けながら、必死でダイヤルを回した。
どうやったら止まるかわからなかったけど、ダイヤルを一番上にしたら、不意に、おとなしくなった。
そこに、ジェロジェロの会社の工事人たち(チェチェン、モルドバ、アゼルバイジャン系の移民の子たちで構成されている。ジェロジェロはイタリア系)がやってきた。
ぼくが涙ながらに目の前で起きた大惨事を説明したら、責任者のバジルが、ムッシュ、任せてください、と言いながら、洗濯機に近づき、一瞬で問題を解決してしまったのだ。
何をしたの?
「水平に設置してないとこうなるんです。洗濯機の問題じゃないですよ。安心してください」
「マジか(設置したの、ジェロジェロだったと思うのだが・・・)」
このような大惨事が、てんこ盛りの新居のスタート、しかも、フランス全土にロックダウン拡大が決定した翌日のことである。
「ジェロジェロは来るの? 給湯器が付かないとお風呂にも入れないんだけど」
「来るはずです。給湯器の専門家と一緒に」
でも、その分、モルドバ人のバジルが頑張ってくれた。
「ムッシュ、キッチンをどうしたいんですか?」
「あのね、どうしたいって、ここで日本向けの生料理教室をやるんだ。日曜に。でも、見てよ。食洗器の扉は開かないし、冷蔵庫は露出し放置した状態で、引き出しには把手もついてないし、アカシアのカウンターは傷だらけで、ニスも塗ってないし、何より、板がぼんと置いてあるだけで、これじゃ、キッチンとはいえないだろ」
「OK、落ち着いて、ぼくらが必ず日曜までに仕上げて見せますから。こうしたい、と全部忌憚なく言ってください。満足してもらえるように頑張りますから」
「信じていいのかな? 」
「もちろんです。弱音を吐いたって、誰かに怒りをぶつけても、問題は解決しますか?」
「そりゃあ、そうだけど。ジェロジェロが、今日までに完璧にしておくって言ったんだよ。ぼくはジェロジェロを信じたんだ」
「ムッシュ、弱音を吐く暇があったら、戦いましょう。ぼくがムッシュに笑顔を取り戻して見せる。安心してください。日曜までまだ今日、明日、明後日と三日もある」
「三日しかない。キッチンは骨組みが出来ただけだ」
「三日ある。なんで、ネガティブに考えるんですか? なんで、ポジティブに考えられないんですか?」
バジルのフランス語はぼくの仏語並みに酷いのだけど、でも、パッションは半端ない。
「わかった。バジル、信じるよ」
ちなみに、バジルはいつも、半ケツなのだ。いつも、おしりの割れ目を見せている。というか、ジェロジェロのスタッフはみんな半ケツ野郎ばかりだ。どうも、これが今時のフランスの若い男たちの「ア・ラ・モード(流行)」のようである。
バジルともう一人のムッシュの二人組は寡黙に仕事に没頭していった。
分厚いアカシアを巨大なカッターを駆使してカットし、キッチンらしくしていった。最初は半信半疑だったが、バジルたちの仕事ぶりはぼくを安心させるものだった。
「おお、すげー」
「ね、ムッシュ、諦めなければできるんですよ。人生と一緒です。ぼくはモルドバでは貧しい生活をおくっていた。でも、ジェロジェロに拾われて今、ここフランスで幸福に生きているし、お金を親に送ることもできている。コツは諦めないことです。ジェロジェロの口癖があります」
「なに?」
「トゥッテ・ポッシーブル!(不可能はない)」
たしかに、ジェロジェロは毎回、不可能はありません、と言う。やれやれ。
そして、夕方、バジルが、この続きは明日になります、と言って帰っていこうとした。
「バジル! ジェロジェロは来ないの? 給湯器は?」
「ムッシュ、明日があるでしょ? ジェロジェロは今日来なかった。ということは明日やるということです。なんでもネガティブに考えるのはよくありません」
「しかし、なんであいつは電話一つしてこない? 給湯器はどうする? 髪の毛洗わないで生配信できないよ」
「大丈夫ですから」
「バジル!」
「トゥッテ・ポッシーブル!」
そう言い残して、バジルたちは帰っていった。もちろん、ジェロジェロから連絡はない。あの野郎、・・・
ちなみに、今、この日記をはホテルで、マルちゃんの正麺を食べながら書いている。ジェロジェロには裏切られてるけれど、マルちゃんは裏切らない。ありがとう。正麺! がんばる。