JINSEI STORIES

リサイクル日記「教訓。ぼくはよく騙される。利用されやすい人間の共通点とその対策」 Posted on 2022/07/21   

某月某日、ぼくはだいたいよく利用される。
最初に断っておくけど、悪い人間なんかそうたくさんはいない。
でも、結果として、利用されたな、と思う出来事はごまんと起きる。
なぜか? 今日はそういう話しである。

ぼくは結構、調子がいいので、頼まれると断れないから、本当にいろいろと話を持ち掛けられ、「力かしてください、辻の兄貴」とか煽てられて、ひょいひょい応援をしていると、それが成果だしたとたん、すっといなくなる人ばかり、笑、で困っている。
先日もとある業界の方々がコロナで大変だというので無料奉仕で、全身全霊で支援しのだけど、口約束だからいなくなった挙句、彼らも、嘘はないのだろうけど、ぼくが日記などで一生懸命応援をしても、ブラボー、と言っていた人とかは消えるし、嫌な思いだけが残って残念みたいなこと、ないですか? 



その人たちはもともと法的には傷つかないようにたち動いていて、こっちは誠意だから太刀打ちできないわけで、気が付くと…。
人間って、だますつもりもないのだろうけど、そういうことを信じちゃって一生懸命応援して馬鹿を見るみたいなことはよくある。
実はぼくの仕事の4分の一はこういう社会奉仕のようなボランティアばかり。
個人事務所の人たちから、(実は、社員が数人います。弟の恒久が社長。笑)、またか、と絶対思われている。ごめんなさい。
ボランティアをして、じわっと嫌な気持ちだけが残るというのも本当に割り切れないね。
そうなると、みんな責任を他人のせいにして、逃げるのだろう。日本人もせちがらくなったものである。



実は長く生きているとこういうことは結構、経験するのだけど、結構経験する、というところに注目してみたい。
それはつまり、自分のわきが甘いということに他ならない。
「おひとよしなんですよ、アニキは」と社長の恒ちゃんに言われてしまう。
悔しいけど、後悔先に立たずである。
だから、ぼくは日記にそのことをきちんと書いて、何が起きたのか、何が反省すべきことか、その時、その方々が何を言って近づいてきたのか、を克明に書いて記憶しておくべきだと思ったのである。
そうすることで、二次的な災害を防ぐことが出来るし、そういう連中とは二度とかかわりを持たないで済むのだから、まず、書いておくことが大事だ。
「この会社は危険、近づくな」とタイトルにもしっかりと社名と担当者名を書いておく。
これは大事である。ぼくのように忘れっぽい人間にとって日記は強い味方になる。
そういうものを教訓という。
おだてられてその気になった自分が一番ダサい、とさらに、書いておくといい。



「辻さん、ありがとうございます。今、厳しい時代ですから、応援に感謝します」
でも、みんな厳しい時代を生きてるんだよ、と思わないのかな?

詐欺師みたいな人でも、自分は善意や夢や誠意で動いていると思い込んで動いている人も多いので、そこは最初に契約などをきちんとしておくべきだ。
ぼくの知り合いの大好きな仲間も若い頃にお金を貸して逃げられて破産している。
今、彼は復活して、立派にやっているけど、時々、その時の苦しさを飲んだ席などで吐露する。
ぼくは貸すお金はないから、今のところお金の被害はない。



息子に聞いてもらえばわかるのだけど、人にご馳走になるのが嫌いで、いつも自分でご馳走をするタイプの人間で、交際費が半端ない。恒ちゃん、ごめんね。
でも、作家とかって、編集者にたかるのが当たり前みたいな昭和のルールがあったのだけど、あれが嫌いで。
編集者にもぼくはよくご馳走をしていた。だから、稼いだ原稿料以上の損をしていた。でも、出版社にたかって無頼を気取る作家はあかんね。
でも、ぼくのような人間はもっと危ない。笑。だから、日記にちゃんと書いておくべきだ。
結局、辻よ、お前のわきが甘いからこうなるんだ、と書いている。
教訓から学べない人間は失敗を繰り返す。

リサイクル日記「教訓。ぼくはよく騙される。利用されやすい人間の共通点とその対策」



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