JINSEI STORIES

滞仏日記「311」 Posted on 2021/03/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、十年前、その日、ぼくは起きていて、仕事をしていた。
当時、ぼくはツイッターをはじめたばかりで、47都道府県で暮らす任意の47人の方をフォローしていた。
なぜかというと、ぼくはフランスで暮らしていたので、日本の方々の日常を知りたかったからだ。
ちょうど、朝、ツイッターを覗いたら、
「地震だ」
という誰かのツイートがタイムラインに上がった。
ところが普通、地震があっても、数人程度で終わるはずの「地震だ」ツイートが、日本全域に及ぶ広範囲のフォローしている人たちから上がったのである。これはただ事じゃない、と思った。
それが東日本大震災のはじまりだった。

子供を学校に送り届けると、同級生の親御さん、先生たちが駆け寄ってきて、日本は大丈夫ですか、と心配された。
家にテレビがなかったので、情報はほぼツイッターからであった。
時間が経つにつれて、次第に、恐ろしい出来事になっていき、もちろん、仕事も家事も手が付かず、情報を必死で集めることになる。
とにかく、テレビが必要だと思って、隣街にある大型電化製品量販店に行くと、ずらりと並んだ大型テレビ画面がすべて津波の映像で、絶句し、涙があふれ出てしまった。
あの時の、無数の画面から迫ってくる巨大な波の映像を前に、その瞬間の出来事を想像してしまい、声にならない悲鳴を発していた。
その日本から届けられたあまりに悲しい光景がぼくにとっての311でもあった。
それは音のない衝撃だった。
ツイッターだけでは伝わらなかった地震の巨大さを思い知らされたのだ。



その後は福島の第一原子力発電所の事故へと続き、一万キロも離れた場所で何もできずに祖国の惨状をみていないとならないことへの言葉では言い表せない絶望感と自己嫌悪に陥ることになる。
家族や知り合いや仲間たちの安否を確かめる数日間が続くことになった。
日本にすぐに飛んでいかなきゃ、と思うのは一週間後くらいのことだった。
実は隣人の言葉がきっかけであった。

隣にはご年配のおばあさんが一人で暮らしていた。
差別主義者ではないとは思うけど、口も悪く、冷たい人で、挨拶をしてもあんまりちゃんとした反応を返してくれたことがなかった。
なのでぼくもできる限り、かかわらないように、声を潜めて暮らしていた。
週に一度くらいの割合でその人の息子さんや娘さんが交代で会いに来ていたのだけど、もめてる感じで、怒鳴り声が聞こえたり、気難しい人だというのが伝わってきていた。
ところがその日、誰かがドアをノックした。



扉を開けると、そのお婆さんが立っていたのである。
「あなた、日本に帰るんだろ? 私が坊ちゃんを預かるから早く帰りなさい」
最初、何を言っているのかわからなかった。
怖い人がいきなりやってきたので、口調も厳しかったし、何か小言をいい来たのか、と思ったのである。
ギターの音がうるさいとか、子供の声が大きい、とか、…。
ところが、その怖い隣人の目に涙が溜まっていたのである。
「私は一人ものだから、1,2週間くらいなら、あなたの子の面倒をみれるわよ。優しくするから安心をして、あなたはご家族のもとへ、飛んで帰って。祖国のために何かしなきゃならないでしょ」

ぼくはその夜から、絵本を書くことになる。
知り合いの絵描きの方に相談をし、出版社の社長さんに頼み込んで、眠れない子供たちがよく眠れるような絵本を作った。※チャリティ本だから初版だけ刷って、今は絶版になっている。
震災の恐怖で眠れない子が増えているというツイートを見つけたから、子供を寝かしつけるのに役立つ本を作ったのだ。

でも、あのおばあさんに言われなければ、もしかしたら、ぼくは絵本を書かなかったかもしれない。
紙芝居を三部、それとは別に作り、福島の幼稚園に行き、子供たちに読み聞かせをすることになる。
向かい合った子たちはうちの子よりももっと小さな子供たちだった。
幼稚園の先生方が泣いていて、でも、紙芝居に集まった子供たちは笑顔だった。
パリに戻り、その絵本を隣のおばあさんに渡したのだけど、その方は数年前に他界した。
異国で生きるぼくの心にいくつかの光景が今も残っている。
あのおばあさんの赤い目、そして、テレビ画面の音のない津波の映像である。
あれから十年が過ぎた。
十年も過ぎてしまった。

滞仏日記「311」

※「ラぺのくにでは」というタイトルの絵本。ラぺは仏語で「平和」という意味です。震災や原発事故、津波のせいで、眠れない子たちをどうやったら寝かせられるか、考えて書いた絵本です。夢の世界に行くと、こんなに楽しいことがあるんだよ、だから、一緒に寝ようね、とたくさんの空想世界のお話しをしました。真剣に話しを聞いてくれたこのお子さんたち、もう、中学生ですね! 父ちゃんも今より、十歳若いんだね。

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