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退屈日記「雑感。人生、24時間、真剣勝負なのである」 Posted on 2021/03/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今、息子君が登校をした。ドアが、バタン、と閉まる音が聞こえてきた。
日常のはじまりの音である。ドアの閉まる音で一日が始まるって、不思議だ。
ぼくは起きるとこうやってパソコンを開きメールを確認し、それから「退屈日記」を書く。
まず、メールはいろいろなところからやって来るけど、プライベートのメールはゼロ…。
ここ最近、一番やりとりしているのはNHKのドキュメンタリー班プロデューサーのLさんである。
ちょっと頂いたメールを暴露してみよう。
「ここまで撮影をしてくださり、さらにその映像をご覧になって、辻さんはどのような感想をお持ちになりましたか?辻さんの今の心境を、ざっくばらんに伺いたいと思っています。実際に撮影をしてみて、辻さんがやりづらいと思う点、こんな風にしたらどうか、というアイデア、お仕事や子育て、家事、移住計画等々、多岐にわたる日常を抱える中で、実際に撮影してみてのご負担、等々。かなりお疲れの様子でしたので、改めて辻さんの状況を把握させていただいたうえで次のステップにいけると建設的かな、と思うのですが、いかがでしょうか? (原文ママ)」

退屈日記「雑感。人生、24時間、真剣勝負なのである」



などなど、毎日、東京からこのようなメッセージが届いている。
Lさんはプロデューサーさんだけど、コロナ禍なので、誰もパリに入れない。なので、リモートで番組が作られていく。
でも、ぼくの日常をドキュメンタリーにしなきゃならない、なのに、撮影はぼくが仕切ってるので、非常に奇妙な前代未聞の大冒険撮影となっている。
よくNHKがこういうめちゃくちゃな番組を作ろうと思ったものだが、ぼくは妥協したくないので、カメラのピエールとコーディネーターさんと3人で、ぼくの日常を追いかけるというありえない撮影が、つまり、撮る人が撮られる人という、笑、しかも、中身は今のところ任せられているので、ある意味、監督みたいな立場で、主演であるぼくの日常を撮影するというまさに異常が続いているのである。
カット数でいうと今日までに数百カットは撮影されているはず…。



カメラは買い物にもついてくる。八百屋に行き、マーシャルと話すのだけど、マーシャルには前もって撮影許可を貰って、先の買い物の時なんかに、普通にやってね、とお願いしていたりするので、そこから実はドキュメンタリーが始まっているのだ。
しかし、普通にしてね、と頼んで、カメラも気にせず、堂々と普通にできるフランス人は本当にすごい。肉屋のロジェ、パン屋のヴェロニク、など、みんな、立派な俳優みたいで、面白い。何が普通か、をぼくは勉強させられている。
ぼくはそこで、息子に作るための食材を買う。その合間に、ロックダウン禍での日々はどうだったか、と質問をぶつけたりもする。コロナで何が変わったのか、とか、今日はクスクスを作りたいのだけど何買えばいい、とか、奇妙な進行状況である。
カメラが回っているのと、自分が監督みたいな役割をしているので、普通を装いながら、カメラの位置を指示したり、そもそも、撮影の前に編集のために必要な開始前の合図(業界用語でカチンコ)も打ってる。
用意、スタート。英語だと、レディ、アクションになるけど、フランス語だと、シロンス(静かに)、モター(回ったよ)、オントゥルヌ(撮影開始)になる。
この合図も、ぼくが出し、そのあと、何食わぬ顔で日常生活の大冒険がはじまるのだから、笑えるでしょ? 

退屈日記「雑感。人生、24時間、真剣勝負なのである」



家の中には、コロナが怖いのでピエールをあげたくないから、(笑)、自撮りが中心だけど、料理の映像がみたい、とLさんからリクエストが来るので、(タイトルが辻仁成の春ご飯、仮)、小型カメラを設置したキッチンで料理をしたり、苦労している。
自分は手持ちカメラを持って、…。
しかし、二度ほど試したのだけど、悲惨だった。まず、完成した料理が信じられないほどにまずいのである。パスタは伸び切ってるし。普通に出来るわけがないので、画面はぶれてるし、自分、画面に入ってないし。で、息子に頼んだのだけど、やりにくい。
「日常を撮ってください。普通に、リラックスしてやってください」
Lさんの注文は続く、東京から。
でも、カメラが回っているのに、普通の自分出すのはフランス人じゃない、ぼくには難しい。全国で流れると思って料理して、それが自然って、おいおい、そもそも自然な自分見たことないし。笑。
で、撮影したものをパソコンに取り込んでみるのだけど、湯気と汗で髪の毛が1-9分けになっているし、眼鏡が曇ってるし、美意識の高い辻仁成的には、許せないので、毎回、絶望して、データを送ってない。
こういう風に書くと、
「なんでもこちらに一度送ってください。大丈夫です。辻さんが合意しないものは出しませんから」
と言うに決まってるんだけど、そうはいかないでしょ? 
鶴の恩返しじゃないけど、見られたらおしまいな世界もあるんだよ。
とまれ、これは今まで引き受けた仕事の中でもっともハードルが高い。と思って小言を返していたら今日、Lさんから、
「芥川賞作家が、演出ありの文章力で書く日記と並ぶ番組を作るのはハードルがめちゃくちゃ高いです。(原文ママ)」
と戻ってきた。
ただ、世界最小撮影隊は八百屋の色とりどりな美しい春の野菜を丁寧にとることも出来たし、肉屋の普段侵入出来ない冷凍庫の中にも入って説明を聞けたし、今朝は明け方、ピエールがパン屋の職人がバゲットを焼く、フランス人でも普段覗くことの出来ない世界の撮影をやっているはずで、Lさんはそこまでいらないと最初おっしゃったけど、そういう細部こそが大事だとぼくは監督っぽく思うので、妥協せずに、世界の細部を撮り続けている。
皆さんも、見たいでしょ???
自分が演じているうわべだけの日常を追いかけたくないのだ。



ぼくが自分で撮影している以上、皆さんには、ぼくが知っている本当のパリを見て貰いたい。
パリ発のニュースって車が燃えたり、差別されたり、デモやテロやフランス人やフランス社会を悪くいうものがあふれているのだけど、しかし、そんなフランスって、一部でしかなく、97%は穏やかな優しい世界だったりする。
変異株が増えているし多くの方が亡くなったけど、そこで、支えあってみんな文化や食を守ってる。
子供を励まし、コロナに負けないようパン屋や肉屋やスーパーや八百屋はロックダウン中も休まず、働き続けた。
ぼくはそこをこそ、地味でも、本当のフランスの姿を、日本に届けたい。
ロックダウンになった日、顔を引きつらせてマーシャルが目を血走らせながら、野菜をぼくに売った、あの瞬間こそが、ドキュメンタリーだな、と思う。
あの日の映像が頭に焼き付き離れない。
異国でシングルファザーで生きてるぼくが静かに感動をしている、でも、このようなその日常をこそ届けたい。
だからぼくはLさんに今日、返信をした。
「ぼくが頭を抱えないと、予定調和になっちゃいますよ!
うまく言えませんけど、結構、大変な撮影ですけど、編集し完成したものが、ぼくのイメージを突き抜ける作品になってないなら、Lさんを、恨みます。マジです。笑」
そしたら、今、Lさんから返事が戻ってきたのである。
「恨まれないように、取り組みます。byL」
人生、24時間、真剣勝負なのである。

追記、今、長文の注文メールがLさんから届いた。長文である。なんでもぶつけてほしい、と書いたら、素直過ぎる。撮影は四月末まで続く。

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