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滞仏日記「暗雲立ち込める田舎のアパルトマン問題、さぁ、どうする父ちゃんの巻」 Posted on 2021/03/02 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは暗澹たる気持ちで朝を迎えた。
内装業者のジェロジェロと工事責任者のビクト―を捕まえ、彼らが近代的に作り変えてしまった120年前の柱が復活できるのかどうか、彼らの気持ちを害さないように、なんとか説得しなければならないのだった。
本来なら今すぐに、近代的内装工事が進んでしまった我がアパルトマンに出向き、誤解を解くために説明したかったが、連日の仕事を動かせず、どうしてもパリを離れられないのであった。
しかし、昨日送ったメールに対するジェロジェロからの返事は戻ってこない。なんどもしつこく、メッセージを送り付けるわけにはいかない。
ここは冷静になりちょっと待て、と自分に言い聞かせた。

滞仏日記「暗雲立ち込める田舎のアパルトマン問題、さぁ、どうする父ちゃんの巻」

※こちらはイメージです。笑。この建物とだいたい同年代の建物になります。



在仏歴19年目に入ったぼくは、ここフランスでシングルファザーになり、子供を育てあげつつあるが、還暦を超え、この先の自分のことを考えて、田舎に小さなアパルトマンを買った。
そこで余生とは言わないけれど、感染症パンデミックから遠く離れて太陽や青い海を見つめながら生きて行こう、と決意した。
イメージとしてはアルプスの少女ハイジのような世界を求めていたが、昨日の日記で書いた通り、何度か打ち合わせをやって、設計イメージ図なども手書きで書いて渡しておいたにもかかわらず、蓋をあけてみると超モダンな内装が出来上がりつつあった。
パリから離れているので、しょっちゅう様子を見に行くことが出来ない。
ジェロジェロはすごくいいやつだから、彼らを落ち込ませたくもない。でも、あそこまで出来てしまったものをもとに戻すことは簡単ではない。悩んでいたら、ママ友のオディールから電話が入った。
「ハロー」
「やあ、オディール」
ぼくはオディールに写真を見せ、相談をした。



「それは心折れるわね」
「でも、仕方ないかな、と思っている。諦めるしかない」
「結構、しっかり出来ちゃってるから、これを壊すとなると、一から工事をやり直さないとならないわよね」
「お金を余計に払ってでも、そうしてもらった方がいいかな。のちのち、気に入らないとなると、莫大な費用がかかりそうだから」
「今、やって貰った方がいいわ。行った方がいいんじゃない?」
「行く? 今から? 明日、午後に大事な仕事があるんだけど」
「でも、夕方には着くでしょ? まず話しをして、一晩、ホテルに泊まって、戻ってくればいいんじゃない?」
「片道3時間半もかかる」
「私なら、行くわ。メールで済む問題じゃないし。仕事が午後なら間に合うでしょ? いいこと、アパルトマンの内装は何度も行かなきゃダメよ。一生のものが今、決まっちゃうのよ。夜間外出禁止令だろうがなんだろうが、行って直接話さないと。工事責任者が臍まげて適当な状態にされたら、あなたの人生が台無しになる。今日を失うのと、残りの人生を失うのとどっちがいいの?」
「行きます」



ということで、息子の夕飯を作り置きし、昼の打ち合わせ終わりと同時に、ぼくは車に飛び乗った。
パリから400キロの距離にある田舎町を目指したのだ。息子には「緊急事態で家をあけるから、適当にやっとけ」と仏語でメッセージを送り、ジェロジェロには、「このままにはできないので、そっちに行く。30分でいいので、話をしよう」とSMSを送っておいた。
「ムッシュ、今日は、俺は別現場があるから顔出せないけど、ビクト―がいるから、彼と話をしてもらえますか? 明日の朝に、あなたがパリに帰る前にホテルでミーティングしましょう」



急展開だったが、オディールの助言は正しかった。
メールのやり取りで済む問題じゃない。自分の人生がかかった大事なことであった。
ナビによると、到着予定時間は17時半となっていた。
18時以降は一応外出できないので、ジェロジェロに頼んで、工事関係者用の外出許可証を作成して送ってもらった。警察に呼び止められた場合、それを見せればなんとかなる。
ぼくは近所のパン屋で差し入れの総菜パンを10人分買って出発したのだった。



冬休みが終わったばかりで、高速道路はガラガラであった。
普段であれば、休憩所でコーヒーを飲んだり、道中の撮影をしたりするのだけど、そんな余裕は一切なかった。制限速度130キロを踏み続けることになる。
田舎のアパルトマンの前に到着したのは17時20分、ぼくは車を建物の前にとめ、階段を駆け上がった。
ぼくのアパルトマンは最上階で、しかも、120年前の建築物なので、階段が急であった。息があがる。ドアをあけ、中に入ると、階段の壁を塗っていた青年と目が合った。
「君のボスはどこにいる? 話しに来たんだ」
と告げたが、彼はかぶりを横にふり、片言の英語で、
「喋れない。言葉わからない」
と繰り返した。そうか、彼らはチェチェンから来た移民の人たちなのだった。
ぼくは階段を再び駆け上がり、室内を見回した。一番奥の部屋で帰る準備をしているビクト―を発見した。向こうもこちらに気がつき、あ、という顔をした。
話しはジェロジェロから聞いているようだった。ちょっとだけ、気まずい空気が流れた。
なぜなら、この柱は彼の自信作だったからだ。彼はこの柱のどこが気に入らないのか、分かってくれるだろうか? 
それを説明するだけの言葉を思いつかない。彼を傷つけたくない。気持ちが揺れる。

滞仏日記「暗雲立ち込める田舎のアパルトマン問題、さぁ、どうする父ちゃんの巻」



ぼくらは暫く黙って見つめ合った。仕方なくぼくは、背後を振り返り、柱を指さした。
「これ、すごく素敵だけど、でも、ぼくが持っていたイメージとは違うんだ」
すると、工事責任者のビクト―は、
「ジェロジェロから聞いた。分かった。心配するな」
と片言のフランス語で言った。いい目をしている。ピュアな目である。
「ありがとう。君の仕事は素晴らしい。でも、ぼくはもともとの古い柱が好きなんだ。本当に申し訳ない。最初にちゃんと説明しておくべきだった。言ったつもりだったけど、ぼくが日本人だから、ジェロジェロにうまく伝えられなかった」
ぼくはちゃんと伝えたつもりだったし、彼はわかった、と言った。でも、伝言ゲームのようなことは起こる。それはこの距離のせいなのである。
ビクト―は頷いていた。ぼくとジェロジェロのコミュニケーション不足で、彼に無駄な仕事をさせてしまったことでもう一度、胸が痛んだ。
逆を言えば、古い柱にカバーをかけて、ここまで綺麗な近代的な柱にした彼らの仕事ぶりを評価してあげたかった。
ぼくは総菜パンを「差し入れ」と告げビクト―に手渡した。ビクト―はパンの入った袋を覗き込んだ。そして、ニカっと微笑んだ。工事人たちが集まってきた。お腹を空かせていた彼らはパリのパンを覗き込んで、みんな、満面の笑顔になった。
「ムッシュ、大丈夫、不可能ないよ。全部、ポッシブルだから。でも、もし、何かあるなら、今、言ってほしい。出来てから、直す、難しいね。今なら、全部、可能だよ」
ぼくは泣きそうになった。本当に、いい連中であった。
ここまで来てよかった。メルシー、メルシー、とぼくは連呼した。

滞仏日記「暗雲立ち込める田舎のアパルトマン問題、さぁ、どうする父ちゃんの巻」

※で、今夜は料理も作れないから、スーパーで買ったフランスのお弁当!!!

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