JINSEI STORIES
滞仏日記「役者が一枚上な相手とどうやって渡り合うかについての考察」 Posted on 2021/02/20 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、撮影機材をピエールに手渡すことになり、ジャン・フランソワのカフェ前に顔を出すと、ピエールを囲むように、邸宅のセキュリティ責任者ブリュノ(アフリカ系のおじいさん)、管理人のマダム・ドラガー(東欧出身のおばあちゃん)、ドライバーのユセフ(モロッコ出身の謎の運転手)、ユセフのガールフレンドのルーシー(官庁で勤めているらしいけれど、よくわからない)、お馴染みリコ、名前は知らないけどご近所の顔見知りが他に数名、あ、街の哲学者、アドリアンも(なんと彼の本名はアドリアーノで、ベネチア人であった)…、とにかく、人だかりになっていた。
「やあ、ピエール。なんだいこのにぎやかな感じ」
「やあ、ツジー、みんな、君のドキュメンタリーに興味津々なんだよ」
は? 八百屋のマーシャルとパン屋のベルマディさんに出演交渉したのはいいが、どうやら噂が広がってしまったようだ。
「なんのドキュメンタリーを撮るの? あんたが我が町の素晴らしさを日本に届ける番組って聞いたわ」
と管理人のドラガーおばあちゃんが言いだした。ぼくを人差し指で、つんつん、しながら。
「実はまだ、よくわからないんですけど、ここで生きるぼくのドキュメンタリーみたい」
「まぁ、あなた有名人なの? タダモノじゃないと思ってたわー。変わってるもんねー」
「ドラガー、どんな風にぼくはただものじゃないの?」
「なんか、みんなと服装違うし、夏でもブーツだし、サラサラのロン毛だし。仏語話せないのに、ぐいぐい、会話に参加してくるし、態度もでかいし」
一同が笑いに包まれた。ぼくのライブに何度か来たことのあるモロッコ人のユセフが、
「ムッシュ・ツジはミュージシャンなんだよ。チャンバラロックなんだ。侍が刀を振り回して、その横でブルース叫んでる」
と説明したものだから、時間を持て余しているこの通りの連中が、へー、とか、ほーとか、どんな歌なんやろ、とか、ぺちゃくちゃ喋り出したのだった。
たしかに一、二度、居合道の松浦師範に真剣を振り回してもらい、その横でソーラン節を歌ったことがあった。笑。
「ひとなりさん」
哲学者、アドリアンが横から割り込んだ。彼はぼくの本を読んだことがあるのと、日本語を少し勉強しているようで、さん、付けである。いわゆる知識人、笑。
「ぼくの撮影はいつになるの?」
とアドリアンが言ったものだから、ユセフはじめ、一同が、ええええ? と唸った。
「出るんだ。すげー」とリコが言った。
「ああ、喜んで引き受けた。ひとなりさんと対話をするのが楽しみだ。ピエールが撮る」
「アドリアンが去年ロックダウンの時に語ったコロナ語録が、ぼくが主宰するウェブサイトで話題になったことがあってね、NHKのプロデューサーもアドリアンに注目している」
慌てて、ぼくが説明をした。ピエールが肩を竦めた。
すると、一同は『NHK』にめっちゃ反応した。
「えぬあっしゅかーーーーー!」
NHKのフランス語読みはちょっとダサいけど、エヌアッシュカー。こちらフランスでは、BBCとかCNNみたいなイメージ。なので、NHKのドキュメンタリーというとみんな「喜んで出演します」と言ってくれる。
「私も出たい。移民の苦労話しいらない?」とドラガーが騒ぎだし、横にいたユセフが「ムッシュ・ツジー、最近、俺はモロッコで事業を立ち上げるんだけど、番組で喋ってやってもいいぞ」と言い出した。ルーシーも出る気満々であった。もちろん、リコも!
ということで街の協力は簡単に取り付けることが出来そうなのだけど、来週から本格的な撮影が開始されるのを前に、しかし、これが思った以上に大変だということを今更ながらに気づいてしまった。
まず、まだディレクターがいないのである。
急に話が決まったので、ぼくを中心に撮影はすでに開始されてしまったのだった。
先々週の雪景色などはピエールがおさえた。田舎に買ったアパルトマンの視察の時も自撮りカメラを回したし、一応、5月初頭、ぼくが日本に戻るまでの3か月くらいを密着で撮影する予定だけど、日本から誰も撮影隊がパリには入れない、コロナ禍で。
なので、ピエールと息子とコーディネーター氏と小さな撮影隊を作った。
ぼくは出演者なのだけど、立場的にも、自分を自分で演出しなければならない。これはある意味、面白いことなのだが、よく考えてみてほしい、実に奇妙である。
制作会社のLさんとは連日、メールやZOOMでやり取りを続けている。一本の映画を撮るくらい大変な作業が予期せず不意に始まった。
Lさん、とにかくメールのレスポンスが、dancyuの植野編集長並みに早い。いつ寝てるんだ、と思う時間帯にも返ってくる。ぼくも作家業界では一番レスが早いと言われてきたので、24時間、メールでチャットみたいな関係になっている。
レスポンスが早いだけじゃなく、メール文が長い。毎回、原稿用紙、2~3枚くらいの量が届く。
しかも、仕事に関係ない内容も含まれているかと思うと、【社外秘】と書いてくることもあるし、一応、タイタンの小野寺さんとか数名がCCで共有されているにも拘らず、都合が悪くなると、ぼくだけにダイレクトでメッセージを送りつけてくる。
でも、全部ぼくは日記に書きますけどいいですか、と一応最初に断っておいたら、「NHKさん側も、どんどん、日記で宣伝してください」とぼくを放し飼い状態にしたので、ぼくは調子に乗って、すべてドキュメンタリーにしてしまおう、と心に決めた。
そういえば、前回、Lさんのことを「ちょっとパワフルな強い存在感に溢れた、不敵な笑みを浮かべる仕事出来まっせっぽい人」と称したら、その翌日のメールに
「私はLさんとして強く生きていきます」
と謎の宣言が戻ってきた。
て、手ごわい、と思った。
それ以上、強く生きないでも、十分、強い方だと思います、はい。
なので、あれから二週間ほど、毎日、この手ごわい、Lさん相手に、どうやってドキュメンタリーを作るか、で苦悩している父ちゃんなのであった。
それでも、誰かがここで陣頭指揮をとらないとならないのは確かなので、昨日、ぼくは5月初旬までの撮影行程表を作って提出したのだ。
これは実に奇妙な話しで、だって、ぼくは最初、出演を打診されただけだった…。
出演を打診されたのだけど、始まってみたら、誰もパリに来れないので、自分が撮影隊を動かさないとならない。経費の計算なども最初はやったのだった。今も頻繁に、機材がアマゾンから自宅に届けられているのだ…。
ぼくの日常をぼくが撮って、もちろん、ピエールも撮るけど、コロナ禍だから、他人を家にはあげられないから、家庭内の撮影は、自撮りか仕込みカメラか息子撮影しかないので、そういう状況を考えながら、視聴者が何を見たいか、自分で考え、カメラの前に立つ自分を演出するという、前代未聞のコロナ禍自撮りドキュメンタリー撮影がスタートした、というわけである。すでに、凄いドキュメンタリー感ではないか、…。
先日、海に行った時の自撮り映像を日本に送ったら、Lさんから長文の感想文が届き、そこには、言い難そうな言い方ながら、本音がドバっと書かれてあった。
ということで、えらいことを引き受けてしまったことにやっと気がついたという次第である。
でも、こうやって現状を赤裸々に文章化できるということは、次第にチームが、ゴールに向かって、一丸となっている証拠でもあるのだろう。
最後に、毎日届くLさんからのメールの中から、海で自撮り撮影を敢行した直後に戻ってきたメール文の一部を抜粋してみた。
Lさんごめんなさい。
でも、これも、ドキュメンタリーなので、お互い頑張って、強く生きていきましょう。
『辻仁成さま
素敵な映像、ありがとうございます。
お返事が遅くなりました。すみません、大至急、だったのに。
自撮り、すごく安定してますね。筋肉痛になっているのではないか、と心配になるほどです。
練習してくれたのでしょうか? 画角もキレイに収まっているし・・・
寒い中、ありがとうございます。その寒さまでも伝わってきました。
海の映像も魅力ですが、海での辻さん、とても可愛い、ナチュラルな魅力ですね。
そうかあ、作家は境界線をそんな風に感じるんだなあ、とも。
都会にいる自分とは違う自分・・・必要な時間ですね。
しゃべらず、作家ならではの思考を巡らせているんだろうなあ・・・という姿も見たいです。
辻さんは今何を考えているんだろう・・・とこちらが想像してしまうような素の姿。
孤独な辻さんも魅力ですが、その辻さんが、孤独の中で獲得した考えをカメラ(自分)に向かってしゃべってくれたら、スペシャル感あります。
ちなみに、孤独=不幸ではないです。
映像的にはフロントカメラでも、全く問題なさそうです。
欲をいえば、しゃべりはじめの目線が上にならないといいですね。
自分の横、そばにいてくれるような、辻さん。
自撮りなので、上を向くことは自然なことですので、それほど、気になさらないでください。
しゃべりはじめのことです。
自撮り棒を用意して、撮影を始めるストロークさえあってもいいくらいです。
強欲をいえば、
黒いワンちゃんを見つけてからワンちゃんをちょっと見たかったです。辻さんの視線の先にあるものとして。
🐾の発見もあるので🐾
とっても、とっても、これからが楽しみで仕方ありません』
ううう、手ごわい、…