JINSEI STORIES
滞仏日記「息子のデート現場に遭遇してしまった父ちゃん、どうする?」 Posted on 2021/02/11 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、午後、書店のクリスティーヌから「カナダから本が着いたわよ~」と連絡があった。
思わず、ラブレターフロムカナダ~を口ずさむ父ちゃんであった。←懐かしい。
カナダの絵本の翻訳を依頼されていて、カナダから届くのを待つより、こっちで買った方が早いと思って知り合いの書店主クリスティーヌさんに頼んでおいたのである。
「絵本の翻訳、素敵。フランス語から日本語になるとどうなるのかしらね?」
「どうなるんでしょうね。絵本は絵本なりに難しいけど、ぼくは子供が好きだから、子供が喜ぶような翻訳を心掛けたいです」
「いいね、何かわからないことがあれば、手伝わせて、私も絵本が大好きなの」
「ありがとう。お願いします」
クリスティーヌの店を出て、家に帰ろうと思ったのだけど、あんまりにも青空がまばゆかったから、少し散歩することにして、歩いた。
まもなく、昔住んでいたアパルトマンが見えた。
ぼくは立ち止まり、家族が3人だった頃の日々を思い出した。嫌な思い出は消し去っていた。なぜか、いい思いでしか残っていなかった。
その頃、息子はとっても幼かった。
赤ん坊の頃の、まだおしゃぶりを銜えていた頃の、小学生に上がった頃の、いろいろな息子の思い出が脳裏を過ぎっていった。
その当時のアパルトマンにはベランダが二つあって、ぼくの仕事場の真正面がエッフェル塔だった。
今はだれが住んでいるのかな。窓辺に人影があった。え? 自分にそっくりな人がいる。ロン毛のアジア人男性、…。ぼくは怖くなって、その場を急ぎ足で離れるのだった。
そこから、少しセーヌ川を歩いてみようと思い、川岸へと向かった。
聳える街路樹の合間に輝く光りが降り注いでいた。今はまだ寒いけれど、そのうち春が来るな、と思った。
ところが、セーヌ川河畔を歩いていたら、川岸にクレープの屋台があり、そこに見覚えのある人間がいた。誰だっけ?
時間を見ると、15時である。まさか、と思いながら近づいていくと、その見覚えのある人物は、なんと、ぼくの息子であった。こんなところで何してる?
ぎょえ、と父ちゃんは思った。
というのは、息子の横に、若い女性が立っている、…。
二人はクレープを頬張って、立ち話をしている。
変な行為はしていないが、息子は幸せそうな笑みを浮かべている。あの笑みはなかなか家では拝めない顔であった。
学校が終わって、彼女と待ち合わせをして、クレープを食べているのだろう、ということは想像が出来た。
学校を抜け出し、女の子とデートが出来るような子ではない。
授業が早く終わったからデートをしているのだろうけど、ということはその子、同じ学校か、近くの学校の子ということだろうか。
あまりじろじろ見るのも悪いので、ぼくはそっとしておくことにして、セーヌ沿いを再び歩き出した。
とりあえず、フランソワのカフェに立ち寄った。
入り口が台で封鎖されていて、仮設「テイクアウト専用カウンター」になっていた。
「へーい、ツジー、久しぶりやん」
とフランソワはもちろん仏語で言った。砕けた会話である。※ここから、臨場感を出すために、ちょっと超訳でおくります。
「おー、フラ、元気かぁ? 生きとったとか?」ぼくの喋りは博多弁にする。
「生きとったでー。コロナなんかに負けへんでー」
彼は、マルセイユ出身なので、大阪弁にしておこう。その方が二人の親しい関係が分かる。
「そうったい、そうったい。俺もこの通り、ぴんぴんしとるけん」
みたいな、会話が続いた。
すると、不意に
「ツジー、お前は料理人だってな。この間、クリストフが言うとったでー」
クリストフ? あ、レシピ本をあげたから、そういうことにちゃったかな?
なんでもいいけど、料理人に申し訳ないから、
「違うばい、俺は、愛情料理研究家ばい」
ということにしておいた。
「は? まぁ、同じようなもんやろ。それにしても、生きにくい時代になったものやな。コロナなんかに負けたらあかんで」
「おー、フラ、お互い長生きしよ」
もう、博多弁がめっちゃ変だけど、まぁ、いいでしょ。久しぶりに昔の仲間に会えて、嬉しかった。
「おまえんとこの息子は元気にしてるんか?」
「おー、しとったい。なんか、可愛いかおなごとそこの川岸でいちゃついとったったい。やけん俺は恥ずかしゅうて、ここしゃぃ逃げてきたっちゃん」
「おお、ヴァンショー(ホットワイン)でも、飲むか? たまには景気付けたらええで!ご馳走するでェ」
「いやいやいやいやいやいや」
「いやいやいやいやいやいや」
といいながら、ご馳走になった父ちゃんであった。すると、次の瞬間、目の前を息子が通過していったのである。あら!!!
思わず、
「こらー、どこへ行くとやー」
と呼び止めてしまった。
振り返った息子に、フランソワが、
「恋人とはもう別れたのか? クレープはどうやった? 美味かったか?」
といきなり、聞きやがった。わわわ、…。
びっくりした顔の息子に、さっき、偶然、君たちを見かけたから、フランソワに話しちゃったんよ、と言い訳しなけらばならなかった。
「あの子、ガールフレンドやろ?」と父ちゃん。
「そうだけど、なにか」と息子。
「おお、やっぱり、そうか。おめでとう」
「おめでとうって、普通じゃん。ガールフレンドくらい」
「でも、ずいぶんと学校早く終わったんだな? まさか、ずるして、早退とかしてないだろうな?」
「してないよ。早く終わったから、会ったんだよ」
フランソワを振り返ったら、きょとんとした顔をしていた。
「日本語、俺は分からへんで。」
「ああ、すまん。ま、ま、なんての、よかったんじゃないのって、話しだよ。こんなご時世に春が来たなってこったい。オー、プランタン」
「夜間外出禁止令は18時まで外出できるのに、もう、さよならしたのか? 」とフランソワ。
「あ、彼女はこれから、課外授業があるので、学校に戻ったんです」
「へー、健全な恋やなー。でも、コロナで恋愛も制限があって、大変な時代やね」
「すいません。先に失礼します」
息子は踵を返し、歩き出した。もしかしたら、怒ってるのかも、…。
でも、なぜか、相好が崩れて仕方なかった。ぼくは、成長した息子をじっと見送った。
「ツジー。もう一杯、ホットワイン飲むか?」
「よかね。フラ~、メルシーばい!」