JINSEI STORIES
滞仏日記「息子に愛想つかされた最悪の日曜日に、鳴くな父ちゃん平安京の巻」 Posted on 2021/02/08 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ということで一難去ってのまた一難の日々が続いている。今日はランチの準備をしていると息子がやって来て、
「パパ、この前の日本史の件、ちょっとわからないことがあるんだけど、あとで少し教えてもらえる?」
と言った。珍しくお願い事、嬉ピー。(頼られる父が自慢です)
前回の日記を参照にされたしだが、「パパは若い頃、日本史が超得意だったから、なんでも教えてやるぜ」みたいなことを偉そうに言ったのだった。
しかし、実は得意なのは世界史であって、日本史はぜんぜんわかってない。えへへ。
ま、でも、相手はフランスの高校生である。ちょろいもんだぜ、と思っていたのは確かである。
パパは作家だぞ、なんでも聞いてこい、と偉そうに言っちゃった。
なんで、こう嘘がペラペラと口から飛び出すのか、いや、嘘ではないのだ。小説を書く時にいろいろ調べるので、得意な時代や分野もある。
でも、中世はなぁ、ちょっと苦手かも、…。ま、なんとかなるやろ、…。
「本当? 聞いていいの?」
「ああ、矢でも鉄砲でも持ってこい」
と言ってしまった。えへへ。これが、全ての過ちの始まりなのであった。
いつものことである。
昼食を食べた後、じゃあ、ちょっと聞くけど、
「しゅごってなに?」
と質問された。
「主語? 述語とか動詞の?」
「守護大名の守護だよ」
「ああ…」
なに? しゅごだいみょう? 知らない。やばい。
「ええと、ちょっと日本語で説明するの難しいなぁ。(英語もフランス語ももっと難しいけれど、…)」
「そうか、じゃあ、一向一揆の一向って何のこと?」
「うえええええ? 聞こえません。もう一度」
「一向一揆の一向だよ」
「ああ、一揆のIKKOさんね。そこかぁ、OK、ちょっと時間くれる~?」
「うん、いいよ、じゃあ。歴代の天皇家の方々は仏教を信じてたの? 神道との関係性は?」
「おおおお、そう来たか、それはいい質問だ。日本人なら知らないとならない重要な疑問を突いてるな」
「で?」
「それもちょっとだけ時間くれるか? というのは変なこと教えられないから」
この辺から、息子の目つきが変わってきた。何か疑念を持つような、細い、新月のような目つきである。
「なんか、まだ一つも答えて貰ってないんだけど、超簡単な疑問」
「いいね、超簡単なら、目を瞑ってでも答えられるわ」
「安土桃山時代って、中世に入るの? それとも近世?」
「ぐえ~。しょっぺーーーー」
新月がさらに極細になった。
「平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代とあるじゃん」
「あるね」
「これって、遷都に関係しているんだよね? じゃあ、戦国時代って、どういう時代区分なの? 戦国時代だけ、なんか、よくわからなかった」
「ほえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
息子が黙ってぼくを厳しく冷たく見ている。
答えないとならないが、難しすぎて、父ちゃん、わきゃらにゃーーー。
固まったまま、視線は息子を通り越して、南南東へと向いていた。
「パパ?」
「へ」
「大丈夫?」
「鳴くな鶯平安京」
ということで、すっかり父親の面目丸つぶれの衝撃的な日曜日の昼下がりになってしまったのである。
だいたい、どれ一つ分からない。なんで?
フランスの高2の歴史ってめっちゃハイレベル過ぎる? それともぼくが超バカすぎる?のか、…。
例えば日本の高2がフランスの中世の、ペスト流行語の暗黒時代と呼ばれる時代の、政治と宗教の専門的な関係を語れるだろうか? いや、やってるんだろうね、きっと。世界中の中世が何たるか、勉強している子たちは知ってるということなのだろう。
ぼく、ぜんぜん、門外漢だった。えへへ。
すると息子が不意に、もう、ダメだ~、とわめきだした。
「どったの?」
「だって、パパが任せろというから、ぼくは相棒のトマに、父は日本人で作家だし、日本の歴史のことなら任せといてって言っちゃったから」
「ぎょえ~」
「明日が発表なのに、あいつ、何にも調べてないんだ」
「えええええ? それめっちゃ責任重大じゃん」
「だって、任せろって偉そうに言ったのパパじゃない!!!」
「でも、それ、お前らの仕事だろ? なんでパパがやるんだよ」
「任せられないとは最初から思ってたけど、任せろって豪語するから、基本的な疑問だけ聞いただけじゃん。でも、それさえ答えられない」
「ぐええ~」
「日本人の恥、失格だよ」
「ほえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
ぼくはミスタービーンみたいな顔で、へらへらと笑って逃げるしかなかった。
しかし、息子はテーブルにうっぷし、
「この発表会は成績に物凄く反映される。コロナでバカロレア試験がどうなるかわからない今、毎回、好成績をとっておかないと…。弁護士目指す以上、歴史を落とすことが出来ないんだ。ぼくの未来はパパのせいで、撃沈しちゃう」
「撃沈?」
「トマはぼくが日本人だから、この後の近世の宗教と政治が彼の担当なんだけど、全部、ぼくに、というか、パパに丸投げなんだよ」
「パパに? 近世?」
「だって、パパはそういう小説を書いたって、この間、自慢してたじゃないか?」
「したっけ?」
ということで、昼食後、暗くなったぼくは『日本の中世の宗教と政治の関係について』、自分の仕事をそっちのけで、調べることになる。これがネットにあんまり出てないのである。
いやあ、修羅場だった。しゅらしゅらだばだば~であった。
まず、一向一揆についてなんとか調べて、それをフランス語に訳し、息子に送った。
この仏語論文を作るのに2時間くらいかかったのであーる。あはは。
『Jodo Shinshu Honganji-ha est la religion avec le plus de croyants et de pouvoir au Japon. Au début de la période des Royaumes combattants, Jodo Shinshu Honganji-ha, connue sous le nom de «secte Ikko», a étendu son pouvoir. Ils étaient bouddhistes, mais ils avaient des armes et des troupes. En 1488, une action militaire (Putsch) appelée Kaga Rebellion a lieu. L’armée de Jodo Shinshu Honganji-ha a détruit le daimyo à ce moment-là. Et bien que ce soit une organisation religieuse, ils ont créé un système de municipalité semi-indépendant.…』
4000字ほどを費やした力作になったので、即、息子のメアドに送り付けてやったのだが、…。夕方、息子がやってきて、
「パパ、これは全部知ってたよ。それにところどころ仏語も変だし、なんか簡単にまとめ過ぎてて、事実と異なる箇所あるし」
と言いやがった。
「どこが」
「細かいニュアンスだから、説明しても分からないと思う。それに、このくらいは調べられるよ。フランスの高校生を舐めたらあかんよ」
とのことであった。
かっちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
ぼくの日曜日、返せ~。一揆おこしたる。
つづく。