JINSEI STORIES

リサイクル日記「身体の別離と心の別離の違いについて」 Posted on 2023/01/05 辻 仁成 作家 パリ

※ こちらは、少し前の懐かしい日記を掘り起こす、リサイクル日記です。

某月某日、ぼくの息子は17歳だが、ピエールの娘のローザは15歳である。
で、この日記でも何度か書いたけれど、この子がかなりやんちゃな鉄砲玉ちゃんで、妹のエリーズちゃん(10)曰く、「パパに向かって、お前なんか父親じゃねーよ、とか言っちゃうからパパが怒って携帯をバキっとへし折っちゃうのよ」ということだった。
悪い子じゃないのだけど、みんながいる前で、学園映画さながら、身を乗り出して、手を振り上げ、唇震わせて、自分の父親を罵倒する姿は、なかなか迫力がある。
可愛い子なんだけど、かすれ声で「なんで、私の携帯壊す権利があるのよ、直してよ、あんたが買ったもんじゃないでしょ」と通り中に響き渡る声で訴える。
で、ピエールは大人しい男なんだけど、さすがに堪忍袋の緒が切れる。エリーズがぼくに肩を竦めてみせ、またはじまったわ、あの二人、やれやれ、と呟く。ませてる…。。

リサイクル日記「身体の別離と心の別離の違いについて」



で、数日前、このおてんばちゃんが男の子と電動キックボードで二人乗りしていて、その男の子の顎がローザの肩にのっかり、ほぼ抱き合ってる状態で、市中暴走していた。
ぼくは「やばいな、ピエールとかち合ったら、大騒ぎになる」と周囲を見回したほどだった。
そのピエールが今日、ランチミーティングのためにぼくの仕事場にやって来たのだ。
NHKさんに、ピエールを紹介したのだ。彼らはピエールのドキュメンタリー動画を見て、気に入ってくれたので、両者を繋げるために、ぼくが動いたわけである。
で、可愛い撮影助手さんと一緒に、やってきた…。

リサイクル日記「身体の別離と心の別離の違いについて」



地球カレッジ

ランチミーティングということにしたので、弁当ボックスを作った。
おにぎりの具はツナマヨとカツオ梅昆布である。それに卵焼きと唐揚げとほうれん草のお浸しを添えた。弁当屋が出来るレベルだな、と自分でも関心をした。
なんとかこの仕事を引き受けて貰いたいから、奮発してしまったのだった。えへへ。
ところがである。
一昨日、ローザを目撃したことを、言うつもりはぜんぜんなかったのだけど、ストレスがたまっていたせいか、つい、口が滑ってペロッと言ってしまったものだから、不意にピエールの顔が鬼の形相となった。
「男と?」
「あ、いや、男だったかな? よく見てなかった」
慌ててごまかしたが、手遅れ。ツジ~、はっきり言えよ。一昨日って、あいつ、暗くなって戻って来たんだよ、あの野郎、とぶつぶつ、言い出した。
撮影助手のマルゴちゃんが、写真家を目指しているカメラウーマンだが、「でも、あまり厳しくしない方がいいですよ、だって、年ごろですから。自由ですしね」とローザの肩を持ったものだから、さぁ、大変。ピエールの血管がひくひくと脈打ちだした。
「何を言ってる。あの子はまだ15だよ。男があいつの肩に顎載せて、電動スクーターでべったりいちゃいちゃ市中暴走は絶対ダメだろーが。しかも、このコロナの時期に」
と騒ぎだして、NHKの撮影の話しどころではなくなった。
失敗したな、と思ったけど、後の祭り…、ちゃりーーーーーーーん。
マルゴちゃんと二人でピエールを宥めるのに45分は費やしてしまった。
でも、その間、お弁当は美味しいのであろう、箸は止めずに、食べながら、怒っている。
やれやれ。

リサイクル日記「身体の別離と心の別離の違いについて」



「あのさ、ピエール。でも、ローザのことが可愛いんだよね? そんなに怒るってことは、やっぱり、目に入れても痛くないってことなんだろ?」
こう告げると、ピエールがぼくをじっと見つめて、くすっと微笑んだ。
怒っていた顔が柔らかくなり、まぁ、そりゃ、そうだよ、あいつはちょっとおてんばだけど、ある意味、社会性のある子だし、人気者だから、モテるし、可愛いからね。だから、つい、怒っちゃうのかな。
「ピエール、あの子が結婚するとか言い出したら、どうする気? 送り出せるの?」
「マルゴ、何言ってんだよ。当たり前だろ。相手にもよるけど、俺は基本寛大なんだ」
まんざらでもないのが、めっちゃ伝わって来て、うううう、むず痒い。
「奥さんにも愛されているし」
と、マルゴの放った一言で、ぼくは飲みかけていたお茶を噴き出しそうになった。
奥さん? あれ、離婚してなかったっけ? 離婚しているから、子どもたちが双方の家を行き来しているのだ、とずっと思ってた! 



「別居して7年だよ。離婚してるも同然なんだよ。あいつは一駅となりの街に住んでる。子供たちは毎週、そことこことを行き来してるってわけだ」
「何で、7年も別居しているのに、離婚しないの?」
「離婚してくれないんだよ」
ピエールが、ふふふ、と微笑んだ。はぁ~? このォ、ロバートレッドフォード崩れめが! 何が、ふふふ、じゃ。で、マルゴちゃんみたいな若い美人を連れまわしやがって!
「違うよ。ツジ、マルゴはアシスタントだよ。純粋な」
「本当です。私には恋人がいるので」
と、マルゴちゃん、きっぱり。

リサイクル日記「身体の別離と心の別離の違いについて」



あれ? 思い出した。そう言えば、ピエール、去年、恋人が出来たって、写真見せてくれたよな? 
そうだ、思い出してきた。たしかに、日記にも書いたと思うのだけど、ある日、ウハウハしていたので、どうしたの? と訊いたら、ソフィー・マルソーのような美人さんの写真を見せられて、俺は世界一幸せな男だ、こんな素敵な人に慕われてって、自慢してたじゃんか!!!
ピエールはきょとんとした顔で、
「ああ、いたよ」
と肯定。言い訳は一切しない。
「離婚してないのに? それ、不倫じゃないか! そういうの、ぼく許せないなぁ」
と指摘すると、ピエールが、ふふふ、と含み笑いをした。
「ツジ~、フランスでは、2年間別居すると、身体の別離(separation de corps)という法律かな、が適用されて、離婚も同然の扱いになるんだ。もう、7年だから。法律の上では離婚の扱いになるんだよ。日本はないの?」
「そうなんだ。日本? どうなんだろう?」
「たしかに、去年、素敵な人がいたけど、でも、いろいろとあって、多分、ぼくが離婚していないことが原因しているのか、その子とは進展なし」
「身体の別離か、なんか、悲しいね。でも、それでも奥さんは別れたくないんだね? 法律があるなら、離婚できるんじゃないの? なんで、別れない?」
ぼくがしつこく問い詰めると、下の子のエリーズとおんなじように肩を竦めてみせ、
「そこは心の別離の問題になるからね、二人で納得できないと、ぼくが無理やりの離婚はしたくない。元嫁が納得して新しい未来をみつけられるまでゆっくり時を待ってるんだよ。でも、ローザとエリーズを通して、ぼくらは親だから、協力しあって、育てている」
ぼくはおにぎりを一口頬張った。塩加減が優しかった。日本の味である。渡仏して19年になるけど、いろいろと考えさせられることがあった。
「戻ることもありえるの?」
「それはないでしょう。元嫁にも、信頼できる男性がいるようだし、今は…。でも、激しい恋情はなくなったとしても、愛情というのは残るから、簡単に割り切れることも出来ない。ローズのことでは協力しあってる」
これは難しい問題だ。答えなんかないし、と思った。さて、仕事の話しをしなきゃ、…。
身体の別離という言葉が頭の中でぐるぐると回って、何から話せばいいのか、ちょっと分からなくなったので、とりあえず、おにぎりを食べてしまうことにした。

つづく。



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