JINSEI STORIES
滞仏日記「不意にNHKから番組依頼があり、悩みまくる父ちゃんの巻」 Posted on 2021/02/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、眠れない夜が続いている。
一瞬、眠れるのだけど、すぐ意識が吸い上げられ、浅瀬でたゆたってしまう。
お医者さんに処方してもらった導眠剤はあるけど、薬には頼りたくないので、あの手この手を使って、自力で寝ようと頑張っている。
でも、やっぱり、コロナ禍のこの厳しい環境でシングルファザーであることに、不安や精神的な疲れや、いろいろと出ているのは間違いない、凡ミスが続く。
でも、今日は編集会議やdancyuスープレシピの撮影や会計士さんとの打ち合わせなど目白押し…。
トップバッターはNHKの番組プロデューサーさんたちとのZOOM会議であった。
仕事場の地球カレッジスタジオ(と勝手に呼んでいる部屋の片隅)のカメラ前に座した。
実は、先週、一度ミーティングをした。持ち掛けられたのは、何十もの応募がある企画とのこと、前回はプレゼン段階の話しであった。
で、ぼくは「変異株が怖いし、家に人をあげたくないし、どっちかいうと鬱っぽいし、大人数の撮影は出来ないし、いつロックダウンになるか全く分からないから無理でしょうね、カメラは友だちのピエールならまあいいですけど」みたいな、身勝手な条件を目いっぱい提示しておいたのだ。(マジで、笑)。
というのはプレゼンだし、だいたい、こういう話しは流れるのが普通だし、ぼくなんかのドキュメンタリーなどいったい誰が見るのか、と半信半疑だったからである。
そしたら、昨日、「決定しました」という連絡が入り、急遽、ZOOM会議となった。
「BSの夜20時から21時までの1時間番組。NHKですからCMはありません。びっちり1時間のフルな番組です」
ハー、とぼく。
「番組のタイトルは「辻仁成の春のパリごはん」と仮で決まっていますが、料理がメインの番組じゃなく、辻さんの日々の暮らしや人との関わりを通して視聴者にメッセージを伝えられたらと思っております」
ホー、とぼく。
制作会社のNさんは何度かNHKの地上波の番組でお世話になった物静かで生真面目な女性。もう一人のLさんは、多分、この人がボスなのであろう、ちょっとパワフルな強い存在感溢れた、不敵な笑みを浮かべる仕事出来まっせっぽい人。対照的なコンビであった。
「しかし、ぼくのドキュメンタリーなんか需要ありますかね」
するとLさんが、
「なんというか、苦しさや辛さも吐露する辻さんの強さと、表現者独特のデリケートさが共存するような生き様とか、パリの生活者であることが圧倒的説得力をもっているので、ドキドキはしますが楽しみな気持ちが大きいです」
と言った。え?
「苦しさや辛さも吐露することは強さ」なのか、と悩んだ。「表現者独特のデリケートさが共存する生き様」って、かなり危うい人みたいじゃないか、…。「パリの生活者であることが圧倒的説得力をもっているので、ドキドキはしますが楽しみな気持ちが大きい」というところ、圧倒的説得力とドキドキと楽しみの相関関係が今一つ掴めなかった。
Lさんはひたひたと迫ってくる人だ。ううう、気を付けなきゃ。笑。
でも、ぼくはロックダウン中、ずっとパリからこの日記で感染症のこと、厳しいロックダウン生活のこと、どうやってこの苦しい日常を生き切るか、その苦悩などを綴ってきた。
それは本にもなった。そういうことのテレビ版だと思っていいのですか? と訊いたら、
そうです、と言って、Lさんがいきなり画面にその本を出したのだ。
あ、そうか、これでいいんだ、じゃあ、出来るかもしれない、と思った。
つまり、この本で書かれたことやそこに登場してくる実在の人々を見せればいいのですか?
「そうです。そうなんです」
とLさんとNさんが同時に言った。
「この本に登場する哲学者のアドリアンさんとか、娘さんがグレて大変なピエールさんとか、バーマンのロマン君とか、ギャルソンのクリストフ、本屋のクリスティーヌ、肉屋のロジェ、パン屋のベルメディさん、フランス人のママ友さんたち、とか、皆さんに出て貰いたいんです」
いやいや、大変なことになった。
ぼくは在仏19年、だいたい、左岸の同じ地区を転々と生きてきた。
左岸はそこら中に顔見知りがいる。そのことをこの日記で書き続けてきた。たしかに、面白い連中ではある。
でも、一筋縄ではいかない。ゴロツキじゃないけど、変わり者だらけで、大人しくカメラの前でニコニコと語ってくれるような連中じゃない。
「っていうか、有名人じゃないし、そんなの誰が見たいと思うでしょう?」
「わたし」
とLさん、小さく手を挙げた。
「わたしも見たいですよ。料理もみたい」
とNさん。
「料理?」
「ええ、タイトルが『辻仁成の春のパリごはん』ですから」
わお。春のパリ、…
「じゃあ、マルシェとかで食材を買って、キッチンで料理ですね?」
「いいですね~」
「しかし、前に言った通り、撮影隊とか、知らない人を家にあげたくないんです。ここまで頑張ってきた、絶対に、コロナに感染するわけにはいかない」
「もちろんです。NHKもそこは慎重に考えて、無理はさせられない、と思っていますよ。たとえば、そこだけ、息子さんが撮影してくださってもいいんですよ。お宅訪問番組をやろうって、わけじゃないんです。でも、コロナ禍のパリで、息子さんを育て、そこで生き抜く普段着の辻さんをみんな見たい」
「普段着、いや、あの、普段、ジャージでゴロゴロの還暦オヤジですから」
「語弊がありました。飾らない辻さんで」
「うーーーむ」
「企画を通ったのはこの一本だけなんです。沢山のコンペの中で」
信じられなかった。
「逆に、撮影隊では撮れない、身の周りの今のこの世界を記録していきたい」
「あの、じゃあ、前回、お伝えした通り、メインのカメラはピエールでいいんですね? 聞いてみないとわかりませんが、娘さんと毎日揉めてる、あの、超ダメオヤジのピエールです。でも愛のある写真家です」
「いいんじゃないですか? ドキドキはしますが楽しみな気持ちが大きいです」
とLさんはまた同じことを繰り返すのだった。楽しみな気持ちが大きい、この人、にかけてみようかな、と思った。
ぼくは毎日、苦しいし、未来と格闘している。それを見て、もしかしたら、この世界のどこかで、「私も頑張ろう」と思って貰えるなら、出る意味が少しはあるかもしれない、と思った。
物書きの仕事ではないけど、今を伝えるのに、こういう手段もあるのかもしれないね。
※ これが素の父ちゃん、61歳だが、なにか、… 大丈夫ですか、NHKさん。