JINSEI STORIES
退屈日記「自分と考えが違う人間を暴力で従わせるのが嫌い」 Posted on 2021/02/01 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、眠れない。身体は眠いのに、頭がどうしても身体と和解してくれない。
そういえば、ここ10日間ほど、走ってない。
人々が寝静まった世界で、冴え冴えとした意識を持て余しながら、耳を澄ませている。
日本は昼の時間だけど、コロナ禍のパリは真夜中である。
気力を削がれて、騒ぐ人もいない。
起きているのは自分だけじゃないか、と思った。
そういえば、中学生の時、ぼくは帯広市に住んでいたのだけど、眠れなくて小さなラジオをつけたら、誰かがしゃべっていて、まだ起きてる人がいる、と驚いたことがあった。
深夜放送との出会いだった。中学一年生くらいだったと思うけど、その時、DJ(たぶん、糸井五郎さんだったと思う)がかけたのがローリングストーンズだった。
あれは「ペイントイットブラック」だったかもしれない。
衝撃的だった。
あの頃から、音楽とか文学とか、特にちょっと不穏なものに心惹かれていくようになる。
世界って、なんて、果てしないものだろう、と思った。
今の、息子より、もう少し若い頃のことだけど、でも、重なるものがある。
昨日、息子とちょっと話す機会があって、夕食の時間に。
「パパ、もしよければ、ぼくの曲でギター弾いて貰えない? ああいうギターの生の演奏を入れたい」ともちかけられた。
「ああ、いいよ」と軽く返事をしておいたけど、実は、飛び上がるほどに嬉しかった。
息子はなかなかぼくやぼくの音楽を認めようとしなかった。
ライブに来ても、楽屋から出ないし、でも、実際はぼくのギターをいつも聞いていたんだ。
気をよくしたぼくは少し彼と話しをした。そしたら、いろいろな話しになった。
「パパってさ、普通の60歳じゃないね」
といきなり言われた。
「君の友達のお父さんたちよりはうんと年寄りだよね?」
「いいや、パパよりも年上の人がいるから、そんなに悲観しなくていいよ」
ぼくは笑った。
「一つ、言いたいことがあるんだ」
「ああ、いいよ」
ぼくはちょっと相談(?)を持ち掛けられたことが嬉しかった。
でも、ぼくの微笑みは次の瞬間、消えた。
「あのね、ぼくの友だちに、モロッコの子がいるんだよね」
「うん、モロッコか、遠いな。ネットで知り合った子?」
「音楽の繋がりで。DJやってる」
「おけ」
息子は言葉を探していた。
「その子はゲイなんだ。でも、彼のお父さんはそれを許さない。だから、その子はいつもお父さんに殴られているんだよ。どう、思う?」
この展開は意外だったので、どう返事をすればいいのかわからず、ちょっと悩んだ。
「で、パパは広い世界を持っている人で良かった、と思ったんだよ。パパは差別しないし、殴ったりしないでしょ?」
殴られているその子のことを想像してしまった。
ユセフとか、タリクとか、モロッコの友人がぼくにはたくさんいる。
彼らが生きる世界が物凄くマッチョなことを知っている。
男らしさを強調しないと生きにくい世界もまだまだある。息子が言いたいことはわかった。
「あのね、パパは人間をそもそも認めるとか、認めないとか考えたことがない。だから、逆を言えば、LGBTというカテゴリーわけもあまり好きじゃない。でも、自分と考えが違う人間を暴力で従わせるのは一番嫌いだ。人間にはその人が生まれ持ったオーラがあるから、パパはその人の固有の存在をリスペクトしたい。それだけだ。それがパパの音楽や文学の基本なんだよ」
息子は、いいね、と小さく呟くと、食べ終わった食器を持ってキッチンに消えた。
ぼくはギターを掴んだ。
ちょっと、ローリングストーンズを演奏してみたい、と思ったら、震えてしまった。つづく。
※筑前煮、五香牛肉、高菜ライス、という最強家庭料理です!!! 詳しくはインスタに譲る。