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退屈日記「いつまでも落ち込んではいられない。さぁ、生きることが動機だ」 Posted on 2021/01/22 辻 仁成 作家 パリ

英国のロジャー・ウォーターズやスティングをはじめ百人程度のミュージシャンが、英国政府に対して、EU離脱が英国のミュージシャンのコンサート活動に支障を生じさせていると危機感を表面した。
EU離脱に際して、ビザや就労許可なしに欧州で演奏活動が出来ると約束していたのだけど、実際、それが反故にされたことへの反発を強めているというニュース、なぜか、他人ごとに思えない。

ぼくは台風の直撃とコロナで二回もオーチャードホールのコンサートが延期になった。映画「真夜中の子供」も制作側の問題とコロナのダブルパンチで、どうなるか宙に浮いた状態が続いている。創作活動に支障をきたしているのはEU離脱をもろに受けた英国のアーティストだけじゃない。

退屈日記「いつまでも落ち込んではいられない。さぁ、生きることが動機だ」




昨日は、毎日大事に着ていたセーターを乾燥機で子供服にさせられ、衝撃で寝込んだぼくは何にも食べずに一夜を明かしてしまった。地球カレッジの打ち合わせがあり、チコ・シゲタさんに
「もしかして、辻さん寝てないでしょ」
と言われ、よくわかりますね、と言ったら、日記読んだ、と。
「こうなったら辻さんが小さくなるしかない」
と冗談を言われて、やっと生き返った気持ちに。人間って、こういう時に、冗談で和まされるのが一番かもしれない。

しかし、コロナ禍のせいで、ぼくのような創作で生きてきた人間にとっては、ふんだりけったりの状況であるのは間違いない。
それでも、何かものをうみだしていかないと死んでしまう回遊魚のようなぼくは、こうやって、パソコンに向かい、何かを書いているのだ。

退屈日記「いつまでも落ち込んではいられない。さぁ、生きることが動機だ」




 
「辻さんはよく働くね、頑張るよね」と言われる。働いている、と言うような感覚がないので、本人はよくわからない。
とくに何かがほしくてよく働いてるつもりもなし。
何かを作り出すこと、生み出すことが、生まれつき大好きだし、じっとしていると、思いついてしまうのだ、次々に、だから、困っている。

で、なぜか周囲には「がむしゃらに仕事をこなす人」と思われている。
ただ、頑張る根本にはモチベーションがある。
たしかに、モチベーションだけは消えてなくなったことが無いのが、不思議だ。

モチベーションとは人が行動を起こす時の原因、つまり「動機」のこと。
意欲を持つことやそれを引き出すことを「動機づけ」と呼ぶ。
モチベーションが高い、という言い方をするけど、たぶん、ぼくの場合、仕事とか勉強で結果を出すためにつかう動機づけではなく、そもそも生きることそのものがモチベーションなのかもしれない。
もちろん、作品が評価されたい、とか、ヒット作になればいいなぁ、とかぼんやりと思うこともあるけれど、出世したいとか、金持ちになりたい、とか明確なイメージではなく、別に人に理解されなくても、無理して受けなくても構わない、というのが根底にあったうえでの、それでも、興味あるものへ向けて動きたい、やり尽くしたい、究めたい、というモチベーションがどんどん出てきて、ぼくをじっとさせないのである。
だから、冗談じゃなく、ぼくは休んだことがない。
土曜も、日曜も、毎日、パソコンとか、仕事に向かう。
だから、仕事と言えば仕事なのだけど、仕事と思ったことは正直ない。全部やりたいことだし、楽しいことだから、大中小はあるけれど、表現できるなら、どんどんしたい、と思うタイプなのである。
 

退屈日記「いつまでも落ち込んではいられない。さぁ、生きることが動機だ」




 
仮にだけど、この世が、戦争の時代で、独裁者がいて、思想統制されていても、ぼくは地下に潜って創作を密かに続けているだろう。間違いなく。
誰も読みはしない、日の目を見ることもない小説を書き続けているはずである。
何度もそのことを自分に言い聞かせてきた。
地下活動をしてまでも、秘密警察に殺されるかもしれないと危険を感じながらも、絶対、何かを創り続けてると思う。
それが自分のものづくりの根本で、しかも、そこにペンがなくて、小麦粉があればパンを、粘土があればずっと彫刻をしていると思われる。

だから、依頼がなくてもこうやってどんどん書いている。笑。
ツイッターも、インスタも、滞仏日記も、ばんばん書いている。
ある時、人に言われて、去年から広告が入るようになったけど、それまで広告のことなんか知りもしなかったので、ずっと広告なしで、運営していた。自分のお小遣いだけで…、だからお金が無くなったのだと思う。笑。

それでも、続けていたら、どこからか、広告いれませんか、もったいないよ、と言ってくださる会社が現れ、スタッフが勝手にやってるけど、(持ち出さずに済むようになったのは有難いことで)でも、ぼくは、ただ、書けることがもっとありがたくて、毎日、日記を書かせてもらっている。
俵万智さんに、辻さんの日記は「筋トレ」だと言われた。
桐野夏生さんには「日記は立派な仕事です」と言われた。

原稿料を頂いて書く仕事に負けない勢いで書き続けている。
いや、ウェブマガジンの「デザインストーリーズ」自体、依頼されてやってることじゃないのだけど、気がついたら、ちゃんとしたプラットホームが出来上がっていた。
直観で、これは中途半端にやってはならない、とまたまたある時、気がつき、続けていたら、そこから新世代賞や地球カレッジなどが生まれた。
始めたばかりの頃、デザインストーリーズに関しては毎月ひっくり返るような金額(製作費)が懐から飛び出していた。
主に海外取材費も、構築費も、交際費、ありとあらゆる経費、スタッフの給料さえ、ぼくがひとりで払っていたのだから、馬鹿としかいいようがない、と弟に怒られたこともある。
去年から、やっといろいろな人に手伝ってもらい、運営っぽい感じが出来るようになった。それでも、ぼくの仕事は変わらない。書くことだ。
映画もコンサートも出来ないので、去年は書きに書きまくった。
でも、今は小説が書きたい。

贅沢は言いたくない。
自由に書ける場所を持つことが出来たことは、結果オーライであった。
人間、のめり込む、ことが大事なのだと思う。
それでも一生懸命続けていたら、ある日、ツイートを本にしませんか、と出版社から話が舞い込んだ。
そして、何冊か、ここから巣立って行った。
デザインストーリーズは、母体みたいな存在になりつつあるね。
 

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モチベーションを持つということに「高いも低いもない」。
「高いモチベーションを持て」と会社で教えられたからと言って、人はそう簡単にそれを行動には移せない。
むしろ、自分の内面の底にある、そこへ行ってみたいという意欲に忠実になる時、ほんとうのモチベーションが生まれる。

生きている限り人間には大なり小なりモチベーションがある。あるはずだ。
それは本来、上からの力や誰かの命令で、アップさせることのできるような動機じゃない。
ぼくは、生き切りたい、と思って生きている。
自分に与えられた生に浸り、その一生を全うしたいと思っている。

人は納得するために頑張る。
それが生きることのモチベーションだからだ。
類は友を呼ぶのだ。
ここが、自由に離着陸できる想像の大空港になれば、ぼくらは再び、旅に出れるのに、と思った。
だから、楽しく頑張っている。
 

自分流×帝京大学

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