JINSEI STORIES
滞仏日記「パリを離れたいと息子に相談し、快諾を得る」 Posted on 2021/01/13 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ああ見えて、寂しがり屋の息子だし、ぼくがコロナから逃げて田舎暮らしをすると言い出したら、反対すると思っていたので、どうやって切り出すか、ちょっと悶々としていたのだけど、思い切って、夕飯時に、「パリを本気で離れたいので、大学に合格したら、君は大学のある街で、パパは田舎で暮らすのはどうだろう」と切り出してみた。
「やっぱり、コロナはそう簡単に収まらないと思うし、パパはそんなに若くないし」
「結構若くないじゃん」
「47歳になったばかりだぜ」
「(呆れ顔)」
「でね、君もいよいよ来年大学受験じゃないか。ちょうど一年後、君は成人だ」
フランスでは法律上、18歳で成人となる。
小学高学年から、男手一つでここまで育て上げたことを振り返ると、目頭が熱くなる。最近、歳のせいか、涙もろくなったなぁ。
「いいかい、君が大学生になるタイミングで、パパは独り立ちしたいんだ」
「(苦笑い)」
「今まで馬車馬のように創作に没頭してきたけど、今後の人生を考えると大都市パリでコロナを心配しながら生きて行くのはちょっとさすがに疲れたよ。なので、田舎に転居したいんだ。ジャン・コクトーもそうしている」
「ジャン・コクトーと一緒にするなんて、図々しい」
「でも、君がどこの大学に行くかわからないけど、パリとは限らないわけだし、どうせ別々に暮らすことになる。だから、今から準備に入りたい。つまり、パパは自分が生きて行く土地を探したいんだよ、分かる?」
息子が箸をとめて、ぼくの顔をじっと見つめ、
「いいんじゃない、それで」
と言った。
「日本に戻らないで、フランスで生きてくれるなら、ぜんぜん、どこにいてもいい。もしも、パパになんかあったら、ぼくが飛んでいけるところにいてほしい。日本だと、コロナに罹って重症化したら、もう会えなくなるからね」
「そうか、おっけ、もちろん、フランスにいるよ」
「でも、いつから?」
「君が大学生活をスタートさせる時期までには見つけたい。探し始める」
「でも、そんなお金あるの? 」
「銀行から借りるけど、パパは47だから、銀行もそろそろ貸してくれない」
「61だよ」
「だから、急がないとならない。最悪、20年ローンくらいで返済する計画だ」
「81まで生きないとならないじゃん」
「生きちゃダメなのかよ」
「あの、ぼくが稼げるようになったら、ぼくが途中から払うよ。それで、どう?」
う、涙が、…。
「大丈夫。パパはどこにも借金ないから、なんとかなる。お前には迷惑かけない」
「とにかく、パリを離れるのはいいアイデアだと思う。実は心配していたんだ。ワクチンはうまくいかない気がする」
「うまくいってほしいけど、期待できないってことだろ?」
「まぁね。ぼくは接種するつもりだけど、治験をきちんとやった安全なものが出るまでやっぱり待つと思う。それが何年後かわからない。パパも出来れば待った方がいい。だから、それまで安全な場所で潜んでいればいいのにって、思ってた。変異種はぼくらの想像を超える可能性がある。どこの政府も対策をたてられない」
「ああ。わかってる」
ぼくは携帯を取り出し、不動産サイトで見つけた幾つかの家の写真を息子に見せた。
山ん中とか、割と海に近い場所とか、パリから一時間くらいの小さな田舎の村とか、…。パリは高くて買えないけど、田舎なら、なんとかなる、かな、…。
すると息子が不意に笑顔になった。
「いいね。どれも、かなりボロボロだけど、リハウスするなら、手伝うよ」
「マジか? パパは自分でペンキ塗ったり、キッチン作ったりしようって、思ってるんだ」
「え? あ、だから、仕事場の玄関、ペンキ塗っちゃったの?」
「なんで、知ってんの?」
「学校帰りに本をとりに寄ったら、刷毛とかペンキが散乱していて、でも、プロがやったとは思えない酷い出来ばえだったから、どうしたのかなって、思ってたら」
「あはは。どうせ、あそこ水漏れで塗り替えるからね、練習練習」
「あれ、酷すぎる。悪いこと言わないから、お金かかっても、プロに任せた方がいいと思うよ」
ということで、ペンキのことはちょっと考えようということになったけど、息子もぼくが今はパリにいない方がいいということで、納得してくれた。
エクソダス計画は家族会議を賛成多数で通過したのだ! ひゃっほー。
予算案に関しては銀行とか、通帳と相談をしないとならないけれど、どこで買うか、どこまで我慢するか、規模とか、築年数とか、田舎であればあるほど、安くなるし、その分、安全にもなるので、何もない場所であっても光ファイバーさえ通っていれば日記も書けるし、地球カレッジも出来るし、贅沢はしないし、なんとか生きて行くことは可能なのだ。
去年、3月からずっと続く緊急事態宣言、夜間外出禁止令、ロックダウンなどを続けてきて、いまだに続いているわけだけど、この先どうなるかもぜんぜん、わからないし、太陽浴びたいし、大きな声で歌いたいし、パリはあまりにどんよりと暗すぎるのだ。
仏語もへたくそだけど、まぁ、なんとか通じるし、英語もあるし、生きてはいける。
狭い家でも、息子が泊まれるような工夫だけはしたい。
もしかするとこの移住計画そのものが妄想かもしれない、と思うこともある。
でも、ぼくは息子が大学を卒業するまでは親としての責任があるので、あいつの傍に出来る限りいてやりたい。
もしも何かあればパリまで車を飛ばせば、南仏からであっても、スイス国境であろうと、10時間程度で戻ることが出来る。
太陽を浴びて、自分と向き合って生きて行けばいい。
自由は時々不自由に感じることもあるけれど、孤独は意外と楽しかったりもする。
仕事の合間に、椅子に深々と背を凭れかけて、新しい暮らしを想像してみた。人間らしさを取り戻すために、都会の便利さは失わないとならないけれど、でも、贅沢なんかいらない。
とまれ、来年の秋には、エクソダス計画は完了しているはずである。
つづく。