JINSEI STORIES

滞仏日記「もうどうしようもなく酷い世界で生きるぼくが、自分を保つための一文」 Posted on 2021/01/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、年末に英国からマルセイユに戻ってきたフランス人家族が変異種ウイルスに感染していた件だけど、結局、調査をしたら家族7人が変異型の陽性だったことが判明、残りの陽性15人の親族も変異株の陽性者はほぼ間違いなしって感じになってきた。
一年前にパリで中国から来た観光客のおじいさんだったかおばあさんが感染していることが分かった直後の流れに似ていて、この後の展開が、正直、めっちゃ、怖い。
去年3月、あの後、ばぁ~って感染拡大して、現在に至ってるわけだから…。

滞仏日記「もうどうしようもなく酷い世界で生きるぼくが、自分を保つための一文」



マルセイユで8日に発見された変異種ウイルスに英国からの帰国後感染していたことが発覚した人は最初1人だったけど、もう7人に増えていて、まだ陽性者15人+濃厚接触者が22人くらいいるわけだから、この先も悲観的…。
最初の人がスーパースプレッダーだったら、もうすぐ、マルセイユをロックダウンしないとならないくらい、恐ろしい事態になっているはずだけど、じゃあ、マルセイユを閉めるかというと閉めることが出来ないのが現実…。
目に見えるものがなければ、何も出来ない。
※余談だけど、ぼくがフランスに帰るたびに、日本の方が空港の検査が厳しいのはここでも書いてきた通り、欧州は結構水際対策に甘い。日本政府の肩を持つわけじゃぜんぜんないけど、フランス入国時にぼくは一度もPCR検査を受けたことがない。日本は陰性でも二週間の自主隔離をしないとならない。フランスだと考えられないことを、日本はちゃんとやっている。で、今回、マルセイユの政治家が、フランスに変異種が入ったのは政府のせいだ、英国を出る時に陰性(検査は今回はさすがあったようだ)だったからといってフランスで隔離しなかったのは政府のミス、と文句を言っている。きっと、同じことになれば、日本でもそう言われるだろう。ただし、フランス国内のことで言えば、PCR検査は欧州一多い。検査数は日本の比じゃない。じゃあ、なんで空港とか港で検査をしないのか? さぁ、ミステリー。ずっと気になっていたら、その虞が現実になった。

滞仏日記「もうどうしようもなく酷い世界で生きるぼくが、自分を保つための一文」



この感染症って、正体掴めないからね。どこの国も、政府が対策強化しようという時にはウイルスはすでに社会の中に紛れ込んでいる。
恐怖映画なんかを思い浮かべるとわかるけど、ウイルスはすでにどんどん感染、変異し、市中にゾンビのように、出回っている。
日本でもブラジルから戻ってきた方たち、たぶん、家族(?)なのかな、が新しいブラジル発(?)の変異種に感染していたというニュースをさっき読んだけど、どうなるのだろう。英国発の変異種も日本ですでに発見されているみたいだし、…。
しかも、中国でも新しいのが出たというから、世界各地でコロナが変異して、まるでキョンシーみたいな感じで、ちょろちょろと動き回ってるのかも…。
ぼくは一年ほど前の日記で、日本は地政学的にも「鎖国」的閉鎖が可能なのだから、今すぐ、世界をシャットアウトすべき、と書いたことを思い出したけど、あれから一年経ってるから、今さらやっても、効果があるのか分からない。
というか、鎖国すると経済が回らなくなるし、オリンピックが出来ないということが今頃やっとわかってきた。
(余談。変異株が流行しているところからの、選手を受け入れるムードって政府の皆さん作れるのかな? この問題がこれから出てくるね)
本当に、この新型コロナ、COVID-19というものはよく出来ている。これ、皮肉じゃないからね。誤解のないように。
しかし、なんで、こんなものが生まれたのか、これからどこまで変異して、この世界の価値観や世の中の人やモノの流れやシステムを変えたり破壊するか、って考えると身震いが止まらない。



ぼくは朝起きると、日本のヤフーニュースを斜め読みするのが日課だけど、サっとだし、日本のテレビ番組とかこっちじゃ見れないから、日本の空気感がよくわからない。
芸能ニュース見ても、ほとんど知らない人ばかりだし、ピン芸人はずっと「ピン芸人」というAKBみたいな大型お笑い集団だと思っていたくらいだからね。
でも、今、日本で暮らしている皆さんの心の状態、とくに、このコロナに関してどういう気持ちで日々生きているのか、これは想像だけど、でも、うんざりしているし、苛立っているし、めっちゃ不安だし、いい加減にしろよだろうし、鬱々としている…、今のぼくと似てるんじゃないかな、と思う時がある。

滞仏日記「もうどうしようもなく酷い世界で生きるぼくが、自分を保つための一文」



感染の酷いフランスと比べるな、と怒られるかもしれないけど、数の問題じゃないんだよね、このコロナというものは…。
何が起きてるかわからない不安や恐怖が人間の心をギスギスさせて、考え方が違う人間を攻撃したくなるし、どこか、冷静になれなくなっていく…。
もともとあった人間の対立させる心理をコロナウイルスは上手に煽って世界を分断させているなぁ、と思う。
いったい、こいつら(コロナのことね)、何者なんだろう。今日はずっとそのことを考えていた。新型のウイルスと決めつけるのは科学者の仕事だけど、作家は違う見方をしている。

地球カレッジ

コロナの犠牲になった人の数は確かに多いし、あまりに悲しいことだけど、その数は交通事故やがんなど他の病で亡くなる人と比べて、どれくらい違うのだろう。
数じゃなく、奴らが持ち込んだ恐怖心の方が明らかに大きい。だから、死者数からの恐怖というものじゃないんだよね、ぼくらがコロナに対して持つ畏怖とは。
人間の価値観を変えて、人類の歩みを止めて、人々を窮する状態に追い込む悪魔のようなものだから、生物としての、根源的な畏怖を覚えるのだろう。



で、小説家のぼくなんだけど、今、何を書くべきか、書かなきゃならないのか、その先の先なんかを想像して、見据えようとしているんだけど、結構、混沌としている。
日常に追われる方が圧倒的に大きいから、その振れ幅の中で、自分を保ちながら、風雨の中で必死に、沈没しないように小舟を支えている漂流者みたいな孤独感というのか、その中で堪えながら、真理の光りのようなものを探している小さな人間の、一人みたいに…。
お恥ずかしい話、一年前、コロナなんて知らなかったし、風邪もコロナの一種だって知らなかったし、陽性率とか、実効再生数とか、なんだっけ、変異株とかプロテインスパイクなんて単語、知らなかったし、知りたくもなかった。
でも、身近でも感染者が出て、亡くなった人もどんどん出てきて、あれよあれよという間に、フランス人がみんな気がつけばマスク付けているし、いったい、どうなっちゃったの?



それで、夕飯の時に息子が、
「いただきます、とか、ご馳走様でしたって言うじゃない? パパ、あの日本語ってどういう意味があるの?」
といきなり訊いてきて、油断していたぼくは噴き出してしまった。
なんで、今頃? 
しかも、こんな時に!
だから、ぼくが言いたいことは、いろいろと考えても自分に出来ることは限られているし、そういう宇宙の流れの中に生まれたら死ぬまで間違いなくここに居なきゃならないのだから、ここはしっかりと自分の人生を切に生き切るしかないなぁ、と思ったということだ。
そこでぼくは息子の目を見つめて、こう真面目に返事をした。
「あのね、いただきますは、命を頂く、という意味で、ご馳走様でしたってのは、自分のためなんかに一生懸命奔走して料理を作ってくれて本当にありがとう。美味しく頂けましたよ、という意味なんだけど、わかったかい?」

滞仏日記「もうどうしようもなく酷い世界で生きるぼくが、自分を保つための一文」

自分流×帝京大学