JINSEI STORIES
滞仏日記「人から向けられた期待など気にして生きちゃダメだ。我が道を行け」 Posted on 2020/12/31 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、主夫にとって、年末もまた、超忙しい。
仕事納めならぬ家事納めなどないからである。
コロナ禍の一年だったが、この悪魔のようなパンデミックが奇しくもぼくに教えてくれたものがある。
それは「毎日をきちんと生きること」であった。
日常を丁寧に生き切るということに尽きた。
不安もたくさんあったけれど、ぎゃあぎゃあ騒いでもどうにもならないことも、また、よーくわかった。
どこの国の政府もてんぱっているし、頼みの綱のワクチンだってイスラエルでは二人の方が亡くなってしまい、どこか勇気試し、運試しみたいにもなりつつあり、結論として、ワクチンを打つ打たないも含め、ずっと言い続けてきたように、来年も、「自分の身は自分で守る以外に方法はない」ということである
ともかく、まもなく始まる2021に向けて、主夫である父ちゃんには二つの大きな仕事が残されている。
一つは大掃除であり、もう一つはおせち作りだ。
先の日記にも書いた通り、ぼくは毎年、おせちを作ってきた。
辻家にとっておせちをテーブルに並べて新年を迎えることが、息子に日本的風習を忘れさせないためにも大事だし、また、自分自身にとっても新しい一年を始めるにあたって、今年を締めくくるにあたって、そして、気合を入れる意味でも、重要なのであった。
絶対忘れたくないものがおせちの中に詰まっているように、思う時がある。
フランスのスーパーの食材だけでは、日本のおせちを完全に再現できないので、当然、オペラ地区などにある日本食材店や、或いは日本人仲間と物々交換などをして、毎年、日本に負けない食材を揃えることに努めてきた。
コロナの時期なので、正月に誰かが年礼に顔を出すこともないだろうが、どういう事態が起きようと、慌てないように最低限のおせちは用意しておきたい。
日本では主婦がのんびりと過ごすためにも便利なおせち料理だが、今年は金曜日が元旦なので、フランスも月曜日まで、食いつながないとならない。
通常、フランスは2日から会社がスタートするのだけど、コロナだし、しかも、外出制限が地域によっては厳しくなるそうなので、3,4日分の食べ物は用意しておかないとならない。
ということで、パリ中心部の大きなスーパーに買い出しに出かけた。
だいたいの今年のおせちのイメージは出来ている。息子から、「ぼくは洋風おせちがいいな」とのリクエストも、…。
彼はなんでも食べる方だが、「なます」とか「黒豆」は食べない。
そこで今年は和洋折衷のおせちを頭にイメージしながら、スーパーで物色をした。
和のおせちはだいたい日本と変わらないものを作りたい。
海老とか、タコとか、筑前煮とか、出汁巻きとか、タロイモとか、まあ、縁起物を中心に揃えることにした。
問題は、洋風おせちだ。
フランスのスーパーでも簡単に手に入り、おせちっぽいもので、息子が好んで食べるものとはなんだろう。
魚コーナー、野菜コーナー、チーズコーナー、お肉コーナーなどを歩き回りながら、ふと思いついたのが、ローストビーフであった。
ローストビーフなら、ソース次第で洋風にも和風にもなる。
あと、海老も塩焼きにしておいて、マヨネーズ風味のソースを作っておけば、和洋どちらにでも転べる。
贅沢だけど、オマール海老という手もある。(しかし、去年も入れたけど、ぼくも息子も手が出なかった。豪華なものだから、食べたいというものでもないのだ)
パスタサラダとか、スモークサーモンのチーズ巻きとか、ジャガイモのガレットなどもいいだろう。
洋風おせちは実に幅広い可能性がある。楽しくなってきた。
思わず、広い店内をスキップしている父ちゃんであった。
「あら! 辻さんですか?」
するとワインコーナーを曲がったところで、不意に声をかけられた。
日本の方であった。
「あ、どうも、どうも、タカハシケイゾウです」
今日も爽快なギャグが冴えている。見ず知らずの奥さんとフランス人客の真ん中で笑いあってしまった。あはは…。
「いつも滞仏日記読んでますよ」
「恐縮です」
「渡る世間は鬼ばかりじゃないですからね」
「はい」
「辻さん、世の中から罵倒されても、馬鹿にされても、批判されても、くじけないで、負けないでください」
「・・・」
「そのままのちょっと普通とは違う、変わりものの素敵な辻さんでいてください」
「・・・」
普通とはちょっと違う??? 奥さんはぼくの手提げ袋を指さして、こう言った。
「おせちですね?」
「あ、はい、そうなんです」
すっかり、気力が失せてしまった、父ちゃん…。もう、スキップなんか出来ない。
「毎年、インスタにアップされるおせち写真、すごく楽しみにしているんです。頑張ってください! 皆さんを驚かすような凄いの、期待しています。辻さん、決して独りぼっちじゃないですからね、私も味方です」
そう言い残して、マダムは笑顔で去って行った。スキップしている…。
やばい。いきなり、年末に重たい試練が、ううう、困った。
父ちゃんは、思わず、手提げ袋の中を覗き込んでしまったのである。
いったい、ぼくに本当の味方はいるのだろうか?