JINSEI STORIES

滞仏日記「82歳のジャン・カルロが脱リタイアして作ったプロセッコ!」 Posted on 2020/12/11 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子を送り出し、仕事場に行き、さあ、仕事しようかな、とコーヒーを淹れて飲んでいると、
「マジで、これ出すんですか? それって、恥ずかしくないすか? ってか、短歌、バカにしてません? 才能ないっすね」
と地球カレッジ担当のM氏から朝、ラインが入った。
「え? ダメって、そんなにダメかい?」
「っていうか、マジで、辻仁成とは思えない」
「真剣に書いたんだけど」
「ああ、小説を書く才能と短歌の才能って全然別なんですね」
とこき下ろされて、午前中から調子が出ない・・・ううう。
日曜日の地球カレッジで短歌教室をやるので、俵万智さんに「辻さんも提出してください」と宿題が出ているのである。
一応心配だから、発表する前にスタッフさんに送っておいたのだ。
まさか、こういう返事が戻ってくるとは思わず、驚愕…。
「ちょっと試し書きだから、これから本気出します」
そう返信をして、さあ、困った。お題は「手」である。
携帯を、掴んだ瞬間、ボンジュール、ロベルト今から、会いに行くよと
えへへ。ぜんぜん、手が入ってない!
というわけでロベルトがちょっと仕事場にやって来ることになった。



「ムッシュ・ツジー、ミラノに帰る前に、ちょっと渡したいものがあるから、5分だけ」
ロベルトは、この日記でも最多出場の友人で、息子の親友アレクサンドル君のお父さん。
もっとわかりやすく言うと、エッセイ集「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」の表紙の人。
誰もいないロックダウン下のシャンゼリゼ大通りに座ってるあの男性が彼である。
息子が幼稚園の頃からの仲だから、もうかれこれ、10年来の付き合い。
ロベルトは玄関口で、カバンからシャンパンのようなボトルを取り出し、ぼくに差し出した。
「なに?」
「パパが作ったんだよ」
「お父さんが?」
「プロセッコ」
「マジか!」
プロセッコとはイタリア、ヴェネト州で作られる白のスパークリングワインの総称である。
シャンパーニュ地方で作られるものだけをシャンパンと呼ぶように、イタリアのプロセッコはヴェネト州の限られた地域だけで作られるもの。
製法が全然違うので、シャンパンと比較しちゃいけないけど、プロセッコはカジュアルでフルーティで糖度も高く、何よりも値段が手ごろ…。
「お父さんが作ったって、どういうこと?」
「82歳の父が、一昨年から手掛けてるんだ」
「え? ってことは80から?」
「そう。リタイアしてたんだけど、プロセッコの小さなシャトーを買ったんだ。で、去年、4000本を生産した」
「それ、にわかに信じがたい」
「前にちょっと話したことあるけど、あ、ちょっと見てほしい」
そういうとロベルトがぼくにお父さんのワイナリーのHPを見せてくれた。ワオ~~。
本格的!!! かっけー。

滞仏日記「82歳のジャン・カルロが脱リタイアして作ったプロセッコ!」



「話すと長くなるから、手短に言うと」
「ちょっと、待って。まず、飲もう。美味しければ、紹介したいから。ちょっと取材させて」
「でも、ロックダウン中だから」
「外出許可証を仕事に変更したらいいよ。ぼくが許可する」
ということで、ロベルトが仕事場にあがって、ぼくらはちょっとテイスティングすることになった。

味はフルーティで思ったよりもドライ。
エチケットを見るとエクストラ・ドライと表記されている。
一本に5g以内の糖が入ってるのがエクストラ・ブリュット、次がブリュットで、その下がエクストラ・ドライになる、らしい。
シャンパンでは見ないランクだけど、ぼくも詳しくないから、今度、ソムリエに聞いてみる。でも、すっきりとした中にほのかな甘さの漂う上品なプロセッコであった。
もともとプロセッコはシャンパンよりも糖度が高めで、飲みやすい。
日本では女性に人気があるんじゃないかな。
ロベルトのお父さんがはじめて作ったプロセッコは意外に香りもしっかりあるし、プロセッコにしては甘くなくてすっきりしているし、うんうん、悪くない。
「いくらなの?」
「まだ、市場に出てないんだ。ぼくがフランスで売ってくれる人を探してる段階」
「マジか? 銀行マンが?」
ぼくらは笑いあった。
「プロセッコを作ると言い出した時、最初は、ジョークだと思った。80だったし。でも、昔からやると言い出すときかない人でね、本当にシャトーを買って、自分でエチケット作って、4000本、一人で作っちゃったから、驚いたんだよ」
「マジか? 自分でラベルも? 凄い」
「だって、その時、80歳だよ」
「信じられん」
「今、82歳だ。来年、2万5千本、出荷の予定」
「マジか? 君のお父さん、何やろうとしてるんだよ」
「だからさ、世界一のプロセッコを作ろうと80歳の時に決めたんだって」
「オーマイガッ」
ぼくは心底、驚いた。彼の名を、ジャン・カルロという。そして彼が作ったプロセッコはサン・カルロという名前なのだ。

滞仏日記「82歳のジャン・カルロが脱リタイアして作ったプロセッコ!」



自分が80歳の時に、ワイナリーを買って、いくらシャンパンが好きでも、財産をつぎ込んで、そこから新しい事業をやろうと思うだろうか? 思わない。
きっと、情けないぼくは、余生を心配していることだろう。
それに比べ、ロベルトのパパの、なんて、ロックンロールな生き様か。
ぼくの母は85歳だ。割りと元気な方だけど、比較にならない。ロベルトのお父さんのエネルギッシュな行動力が信じられない。
「誰が継ぐの?」
「そこだよ」
「君か?」
「実はね、これを飲んでみるまではそういう気持ちにならなかったんだけど、ぼくは銀行員だし。でも、あの人、ここまでやっちゃったから、ここで終わらせるの、もったいない。なんとか続けたいとは思ってる。どうなるか、分からないけど、今は、これをフランス人に飲ませようと企んでる」
「4000本はどうなった?」
「完売したよ。市販はしてないけど、飲んだ業者がうまいって、全部買い取ってくれた」
「マジか?」
「マジか、しか言えないのか?」
ぎゃふん。



「いや、だって、驚くじゃん。普通じゃないもの」
プロセッコは今、シャンパンの販売数を抜いて世界一売れてるスパークリングワインなのである。
ぼくは泡ものが大好きで、稼いだお金はほぼ、泡と消えてる。えへへ。
そんな泡好きのぼくが、まるでダメなら、もうそこでこの話しは友だちだからこそ、しないだろう。
でも、一からではないにしても、自分なりの味を追求して、途絶えていた古いワイナリーを買って、やらかしたものとしては、申し分ない。
プロセッコの市場価格は日本だと1500円とか2000円程度かな。(ごめんなさい、よく知らないです) フランスだとその半分くらい? ということは、原価はいくらだ?
「卸値は?」
「・ユーロ」
「マジか? マジか? 買う。ぼくが買うよ」
ということで、これを日本で売ってみたいと思った。
もちろん、ぼくには出来ないことだけど、誰か手をあげてくれる輸入業者を探してみたい。
そこで扱ってもらい、それをぼくの好きなイタリアンレストランなどに置いてもらえたら、なんて素晴らしいんだ、と思った。
「ミラノに行く。コロナが落ち着いたら。その時、お父さんに会わせてくれよ」
「もちろんだよ。それは素晴らしいアイデアだ。パパも喜ぶだろう」
ロベルトは夕刻の飛行機でミラノに戻るというので、あっという間に、出て行った。
ちょうど、自分用に買っていたジャック・ジュナンのチョコがあったので、「君のママに」と言って手渡した。
その夜、ミラノに戻ったロベルトからこの写真が送られてきた。
ああ、なんて素敵なお母さんだろう? 
で、お父さんは、ジャン・カルロはどこだ?!

葡萄摘む、見えざるその手、腰にあ手、リタイアやめ手、泡のごとき手 (才能無し♪)
 
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ジャン・カルロのプロセッコを地球カレッジ、ワインカリスマ講師の杉山明日香さんが輸入販売してくれる事になりました。
杉山明日香氏による地球カレッジ、シャンパーニュの魅力に迫る回、まもなくです!!

杉山明日香× 辻仁成 「世界最高峰の泡、シャンパーニュの魅力の力」(当日、シャンパーニュを飲みながら受けたい方のための推奨リスト付き)

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