JINSEI STORIES
滞仏日記「Yahoo!検索大賞2020の作家部門賞をもらった。ありがとう」 Posted on 2020/12/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、Yahoo!検索大賞というのは全く知らなかったけど、検索された数で決まるのかなぁ、審査員って誰だろ?
ともかく、作家部門賞を頂いたので、皆さん、検索してくださってありがとう。
コロナ禍のパリで書き続けたこの滞仏日記がたくさん検索されたみたい。
で、この日記をまとめ緊急出版したエッセイ集「なぜ、生きているのかと考えてみるのが今かもしれない」もその対象のようだから、版元のあさ出版さんがめっちゃ喜んでる。
コロナできつい一年だったから、皆さんに検索して貰えたからだと分かって、ぼくも嬉しい。
日記、実は毎日2本書いていて、朝のが「滞仏日記」で、夕方のが「退屈日記」なんだけど、気づいてた?
ユーモアを交えてるのが滞仏で、ちょっと真面目なのが退屈。
辛い世界だから、笑いがないと息詰まる。コロナは本当に面倒くさい。
ずっと書き続けられているのは、多分、自分も負けそうだから、負けないために書くことで、きっと、なんとか立とうとしているからだろう。
書くことが自分を維持するための光りになっている。
昼少し前に息子が帰ってきた。通知表を持って。
「これはどうなの?」
「悪くないと思うよ」
実は、あまりよくない。普通、という感じ…。
「そうなんだ、どのくらいいいの?」
「クラスで4位だよ」
「凄いじゃん、マジか?」
「でも、20人中だけど」
やっぱり、と思った。この成績だと彼は志望大学には到底入れない。
「その20人を相手にしていても、ダメだね」
「うん、そうなんだけど…。頑張るよ」
息子に昼食を食べさせて、ちょっと落ち着かなかったから、自分を落ち着かせるために、外に出たら、物凄い光りに出迎えられた。
2001年に最初のアパルトマンを借りて、日仏の行き来が始まった。
暮らしだしたのは2002年からだと思うけど、なんだかんだ言って、もう20年近く、ここフランスで生きている。
そんなパリの街の中を、今日は歩いた。2時間以上も歩いた。
途中でコーヒーを買って、公園のベンチに座って、通り過ぎていく人を眺めたりしながら、自分の半生を振り返った。
とにかく、いろいろと考えた一日だった。
何をこんなに考えることがあるのだろう、と思うほどに…。
これから先、ぼくはどうやってここで生きて行くのだろう?
息子はどうするのだろう?
どんな人生が残っているのだろう?
楽しかったか、辛かったか?
死んだらどうなるの?
パリの左岸をずっと歩いた。
オデオンだったか、モベールミチュアリテだったか、懐かしい裏路地を歩いていたら、見覚えのある人とすれ違ったので、モニク? と声をかけたら、その女性がぼくを振り返った。
幻を見るようなうつろな目をしていた。
「わかる? ぼくだよ? モニクだろ?」
「ああ、辻さん」
でも、いつも笑顔しか見たことがない人だったのに、今はとっても怖い顔をしているし、何か、ギスギスしている。
ロックダウン中だけど、3時間、20キロ以内なら自由に散歩が出来るようになった。
カフェとかは開いてない、だから、みんなひたすら歩いている。
「この辺に今住んでるの?」
「違うのよ。今日はずっと歩いてる。頭の整理がつかなくて」
「・・・」
「姉が死んだの。私が世界で一番尊敬していた姉が…。それで、家の中でじっとしていると苦しいから、歩いているのよ」
「それは、何て言えばいいのかな。言葉が見つからない、ごめんなさい…」
モニクはぼくよりちょっとだけ年下だったと思う。
だから、お姉さんは生きていればぼくくらいかな。なんで死んだのかは聞けなかった。コロナかもしれない。
モニクの目の周囲にクマが出来ていた。寝てないのだ、と思った。
頭のいい人だったから、考えてしまうのだろう。今日は晴れているから、彼女が歩くのは正しい選択だ、と思った。
「落ち着いたら、また、連絡します」
モニクは歩きだした。15年ぶりくらいにばったりあった。また、連絡する、という言葉を残して彼女は去って行った。
心を落ち着かせるのに、歩くことはとっても大事だ。
今年はコロナではじまり、コロナで終わろうとしている。
コロナはちっとも収束する気配がない。
ワクチンが人類を救うかもしれない、という希望もあることにはあるけれど、楽観的にはなれない。
アメリカやフランスはクリスマス休暇明けと同時にまたしても新しい波に飲みこまれることになるだろう。
みんなコロナに対して警戒しているのはわかるけれど、人間だから、誰かと会いたい。
集まれば楽しい話しをしたい。お酒も飲みたい。家族と会えば、触れ合いたい。でも、そのあと、やっぱり感染は拡大する。
3月のロックダウンの時、ぼくがこの滞仏日記で書き続けてきたことは「日常を切に生きる」という折り合い方だった。
先が見えないロックダウンの中で、自分を維持するためには、毎日毎日をきちんと生きることしかなかった。
それは今も変わらない。眠れない日が続いても、苦しいことが繰り返されても、不安に苛まれようと、ぼくは毎日をちゃんと生ききろうとしている。
ごはんを作り、息子と一緒に食べること。
彼の進学について議論したり、もちろん、カチーンとなることもあるけれど、その一つ一つを確かめるように生きている。
その中心にあるのは料理だ。
料理は生きる基本なので、そこに縋っている。
毎日、何を食べようか悩むこと、に救われている。
美味しい食事を作ることに逃避した。今日の昼めしは、手作りの餃子、手作りの栗おこわで作ったおにぎり、セロリの葉のスープ、だった。
本当にうまかった。
コロナに勝つ方法は、毎日、きちんと生きることだ。
バカにされても、ぼくは毎日キッチンに立ち、世界一小さな家族のために食事を拵える。
そういう日々が、自分を生かしてくれている。
何が楽しいのかは分からないけど、小さな幸せ、例えば、美味しいとか、ちょっと嬉しいとか、そういうものを出来るだけかき集めて生きるようにしている。
そんなことを改めて思った一日であった。