JINSEI STORIES
リサイクル日記「本当に退屈なこの世界を変えるための魔法について」 Posted on 2022/06/14 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくの子供時代の口癖は、
『何かいいことないかなぁ』
であった。
毎日、今日はなにかいいことおきないかなぁ、と思いながら日々を過ごしていたけれど、なかなかいいことはなかなか起こってくれなかった。
学校から家に帰るまでの間とか、ベランダから外を見回しながらとか、宿題をやっている最中に、何かいいことないかなぁ、と呟く少年だった。
でも、これが、なかなかいいことって、やって来ない。
辻少年は、来ない、とある日、呟いてしまったのだ。
何もいいこと来ないじゃないか!
それで、何かいいことないかなぁ、というのはあまりに虫のいい話しだ、と思うようになり、何かいいこと探してみよう、にある日、考え方を改めることになった。
小学校中学年くらいのことだ。たぶん。
待っていても来ないなら、こっちから出向いてやれ、ということになった。
待つだけの人生というのはつまらないと辻少年は気づいたのだ。でかした。
そこから人生は動き始める。
じゃあ、ぼくが思う「いいこと」って何だろう、と最初に考えた。
辻少年は、それを探し始めたのである。
もしかすると、それを探求心と呼ぶのかもしれない。
でも、まだ、よくわからないから、どこかにあるだろう、何かいいこと、を求めて、動き出すのだけど、最初はわからないから、親とか、親戚とか、学校の先生とかに、どうやったら、この退屈な気持ちを変えることが出来るだろう、と相談することからやった。
誰かが、本を読め、と言った。
一番、本を読まなそうな親戚のおじさんだった。
誰かが、何か作ってみろ、と言った。
誰かが、うちこめるものを探せ、と言った。
誰かが、趣味を持て、と言った。
誰かが、アクションをおこせ、と言った。アクション? ちんぷんかんぷん。
よくわからなかったけれど、たぶん、じっとしていても何も変わらないということなんだ、ということだけはわかった。
何かいいことは、何かしないと、見つからないもの。
何かいいことは、こちらが動いた時に出てくるものだと、気がつくようになる。
そこで、ぼくはいつも父さんが読んでいる新聞を、自分も作ってみたらどうだろう、と思うようになる。
朝刊を郵便受けまで取りに行くのがぼくの朝の仕事だったので、これは何だろう、と思ったのがきっかけであった。
なんで、大人は新聞を読むのか、気になって仕方なかった。
そこで、じゃあ、自分も作ってみたらいいじゃん、と思うようになる。
なかなか、発想がユニークだけど、ともかく、ぼくは新聞を作るようになるのだ。
自分の周りで起こったことなどを文章にして、絵を描いただけの、家族新聞だった。
当時の新聞広告は裏面が白紙のものが多かったので、そこを利用した。
「辻新聞」はやがて、創刊されることになる。
詩が掲載されていたり、お小遣いの額が少ないことへの不満とか、トイレに出る幽霊の話し、おねしょを隠蔽した事件の捜査状況とか、母さんが作った料理の絵とその詳細(たとえば母さんに習ったハムエッグの上手な作り方)とか、掌編小説とか、シナリオの断片のようなものもあり、最後に、誰かの似顔絵を載せた。
この似顔絵が大変、好評だった。
最初は父さんの似顔絵を描いたんじゃないか、と思うけど、サザエさんのお父さん、波平さんみたいな絵だった。
自分に絵の才能があるということがわかり、漫画家を目指すきっかけになる。
平和町少年漫画クラブというのを同級生らと立ち上げ、一部だけ漫画誌を製作したのだけど、それは本当に傑作な漫画雑誌だったけど、紛失した。
ぼくは北海道に転校になったので、漫画家になるという夢はそこで消えた。よくわからないけど、仲間がいなくなって、立ち消えたのだ。
しかし、「辻新聞」はぼくの作家のはじまりを予言していた。
そこに描かれる小さな世界が愛おしいなぁと思った。
まさに、何かいいこと、だった。
思えば、今、デザインストーリーズをこうやって主宰しているのも、「辻新聞」と何ら変わらない動機の賜物だと思う。
何かいいことないかなぁ。何か面白いことないかなぁ。の精神である。
ここ最近、スエーデンの留学生さんや、昨日はパリ郊外に住んでいる元ダンサーの若い主婦の方(ご主人がフランス人)や、年配の方ですでにプロだけど書き続けている人から、原稿が届くようになった。掲載してほしい、というのである。
特に大々的な募集をしているわけじゃないけど、書きたいという気持ちがよくわかるので、「どうぞどうぞ」と受け付けている。
ぼくがいいなぁ、と思うものは、リライトなどを手伝って、掲載までサポートしたりもする。
その時、ぼくはまるでいいことを探していた辻少年の手を引くような気持ちなのだ。
デザインストーリーズ自体が、だんだん、何かいいこと、に成長してきた。
でも、その根本にあるものは、小学生の時に思った「何かいいことないかなぁ」なのである。