JINSEI STORIES

退屈日記「一日の死者数が減ったと喜ぶメディアに怒る息子」 Posted on 2020/12/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子がいつものごとく朝から不機嫌というか、ぶすっとしているので、廊下ですれ違った時に、さりげなく、なんで、怒った顔してるの、と言ったら、
「だって、世の中おかしいんだもの」
という言葉が戻ってきた。
「何が?」
「どこの国も毎日ニュースで昨日より感染者数が増えたとか減ったとかばかり」
そういうことか、…。



「一番違和感を覚えたのは、アメリカで一日当3000人が死んでる、でも、フランスは200人だからよかった、みたいなラジオのコメントがあった」
と息子が言った。
「気が緩んでるし、長いことみんな苦しんだから、明るい兆しを紹介したいんだろう」
「でも、おかしい」
「ま、分かるけど、でも、パリ周辺の今日の死者数は24人だった。素直に、ロックダウンの成果が出ているし、24人まで減ったことを、長く辛い日が続いていたから、ラジオの人は喜んだだけじゃないの?」
でも、と息子は言う。
「一人の人間の死の重さを想像できない人間がメディアにいるのが変だよ。家族の誰かが死んだら苦しいでしょ? その家族はみんな、苦しんでいる。公共の電波で、こういうことを言うなら、その24人の中に入った家族の心の痛みをなんで考えて言葉を選べないのかって、大人のくせにって、違和感しかないんだ」
「・・・」
「パパも気を付けて発信した方がいいよ」
息子はブツブツいいがら、自分の部屋に戻っていった。もっともだった。



自分の母親がもしもコロナで死んだら、きっとぼくは、世界で何人感染が原因で亡くなっていても、家族が死んだという動かせない事実しか見えなくなるだろう。
その痛みを抱えた人に、減ったと喜ぶ人の声はどう聞こえているだろう。
日本では一日で45人が亡くなられた。
アメリカの一日当たりの死者数と比べると圧倒的に少ない。
でも、45人の中の一人も、3000人の中の一人も同じ人間で、家族がいる。
比較できない悲しみの中に家族は置かれている。
減った、増えたという言葉は、仕方ないにしても、そこばかりが強調され、減った時に亡くなった人の家族の気持ちを考えられないで、アナウンスするメディアの声に、16歳は違和感を覚えるのだろう。
ぼくも気を付けなきゃ、と思った。

退屈日記「一日の死者数が減ったと喜ぶメディアに怒る息子」



自分流×帝京大学
地球カレッジ