JINSEI STORIES
滞仏日記「朴訥なグルメ」 Posted on 2020/12/05 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、「でも、シン君、牛肉は日本だと高いんだよ。スーパーに行くと、結構、ビーフが高いので驚くよ。みんなにとってはリスキーだから、豚にしよう」
ぼくが提案すると、パソコンの画面の向こうで、長渕剛さんファンの前田シンが、やっぱそうすか、豚かぁ、と朴訥に言った。
この朴訥(ぼくとつ)感、なんか昔の東映ヤクザ映画のような感じで、この男と話していると時々、さわやかな恐怖を覚える。ぼくは心配になった。
だいたい、言葉の達者な人間じゃない。ずっと料理しかやったことがない上に、専門が肉で、肉料理は本当に天才的に上手なんだけど、趣味がアンティーク市場巡りからの銅鍋探し、と、長渕剛さんの「順子」を歌うことくらいで、他にとりえのない、正直、全然面白みのない人間なのである。(すまねぇ)
でも、なんか、料理人ってこういう朴訥とした人間であってほしい、と最近のユーチューバー料理人を見回しながら、シン君の言葉の足りなさに、安心感を覚えているのも事実で…。
でも、オンラインスクールでフレンチ料理講座をやらせることには、奥さんの佳代さんの大反対を買ってしまった。
「辻さん、有難いお誘いですけど、あの人、きっとなんにも話さないまま授業が終わってしまう可能性があります」
それで、彼に講師が務まるかどうか、今日は朝からずっとZOOMで彼と話し込んだのだった。
ぼくが9割話し、彼は、そーすね、と返事をするばかり。すでに、暗礁…。
「シン君、豚だとどういう料理がいいと思う? ポークロティかな」
「そーすねぇ、うーん」
「なぜなら、日本人は豚と言えば焼き豚だろ? 意外とそれしか手がないから」
「とんかつもあります」
「え? ま、とんかつもあるけど、そんなに多くないっちゅー意味だよ。(てめー)…だから、簡単に出来て、めっちゃ美味いフレンチ・ポーク料理を紹介できれば、受講生のみんなは喜ぶ。パリで気鋭の料理人がその手ほどきをする。君だよ、前田シン、君がみんなにフレンチの極意を伝えるんだ。どうだろう?」
「そーすねぇ」
そうすね、しか言わないのだけど、本当に腕はある。
彼はずっとフランス人に雇われてきた。星付きレストランとかじゃない。下町の客で溢れかえるような本格的ビストロを渡り歩いた骨太シェフだ。
どの店もいつも満員で、ぼくも人に紹介されてはじめて訪ねた時、彼が作った伝統的な肉のパイ包みにやられてからのファン。この男、ヌーベルキュイジーヌとか、そういうこじゃれた料理がマジ似合わない。オーソドックスな昔ながらのフレンチ一直線男なのだ。
身長190センチもあり、角刈りで、目つきが怖く、あ、俳優の松重豊さんに似ている! 松重さんのあのかっこいい目をどこまでもほそ~い新月みたいな感じにした…。
背の高さとか痩せ体系とか、喋り方とかあの朴訥感、まさに松重豊さんだ。
この間、TBSラジオに出演の時に、廊下ですれ違ったけど、前田シンにあまりにそっくりで、嫌、失礼、反対である。前シンがあまりに松重さんに似ていたので、めっちゃ親近感を覚えて松重さんをじろじろ見てしまい、多分、引かれた。ぼくを避けて歩いて行かれた。でも、構わない。
「シン君、ちょっと松重豊さんに似てないか?」
「そーすかぁ」
と言って、ニヤッと笑った。そういう男なんだけど、肉料理は天才的にうまい。彼のぶっとい腕は肘から先が火傷だらけで、どれほど修行してきたかが一目瞭然だ。
「出来る?」
「そうすねぇ…」
札幌出身だが、若い頃は本人曰く「手が付けられないほどの悪で引き籠り」だったとのこと…。引き籠りの悪って…どんな?
お父さんは相当に心配したらしい。
お父さんも料理人で、その伝手から、スイスで和食の料理人募集という話しが舞い込み、お父さんは人生修行を兼ねて、息子をそこに放り込んだのだとか、…偉い。
しかし、スイスで開眼し、「肉のシン」と料理仲間に言われるほどになった。
フランス人たちと並んでも頭一つでかいのとあの鋭い目つき、松重豊さんがそのままパリでシェフをしている感じを想像してもらいたい、その存在感にみんなやられてしまう。
実際、前シンのパイ包みは本当に絶品なのである。
「シン君、やってみるかい?」
「そうすねぇ」
ぼくは、黙った。放送事故になるレベルかもしれない。すると、横から奥さんがZOOMに顔を出し、
「辻さん、お気持ちは嬉しいんですけど、この人、生配信が始まった途端に、固まって、フライパンを落としてしまうと思います、震えちゃって」
と言った。
「マジか」
「…そ、そーすかねぇ」
しかし、思い当たることがあった。ぼくの家に遊びに来た時、長渕さんの歌を聞かせたいというので、ギターを手渡した。
ギターを抱え、仁王立ちになったはいいが、めっちゃハードな「順子、君の名を呼べば、ぼくは悲しいよ」が飛び出すかと思いきや、蚊が泣いたような声で、「じ、じゅんこ~」と歌い出し、ひっくり返った経験がある。
先日も、自分の店をリヨン駅の前に、しかも、結構広いレストランを、オープンさせて連日大盛況と訊いたから駆けつけたら、ギターがぼくの席の足元に置いてあって、佳代ちゃんに聞いたら、「なんか、辻さん来るって言ったら、やっぱギターバトルしかないよねとか言い出して持って来たはいいんですけど、ビビッて、奥から出てこれません。意味わかりません」と言われた。
で、食べてる最中、美味しいから厨房に合図を送ろうとするも、目が合うと目を逸らすし、食後、厨房から出てきたのはいいけど、ギターケースの横でぼうっと突っ立ってるだけだし、このギターはどうするんじゃ、と思わず心の中で突っ込んでしまった。
そういう男…。ドラマなら、それでいいけど、オンラインには向かない。
午前中、3時間くらい費やし、必死で説得したけど、なんかやる気があるのかないのか、分からないまま、ZOOM会議が終わり、ぼくは激しい失望の中にいた。
で、先ほど、夕飯を息子に食べさせて、日記でも書こうかな、と思って、パソコンの前に座ったら、携帯が「チン」となった。
ワッツアップになんかメッセージが入ったという知らせである。
そこで、慌てて開いたら、前田シンからだった。
『試作してみたんですけど。こんな感じすかねぇ。By シン』
メッセージを見て、おっ、とぼくは思わず声が飛び出してしまった。
「あの野郎、やる気あんじゃねーの!」
【12/20 追加】
ついに、決定しました!笑
前田真×辻仁成「家庭で作る最強フレンチ」
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