JINSEI STORIES
滞仏日記「またもやカッチーーーーン連発で始まった、ブルーマンデー」 Posted on 2020/11/24 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、なんか暗いのである。
学校から帰って来たはいいけど、ずっと、とげとげしいのである。
こちらは一生懸命老体に鞭打って、家事をやって、特にトイレ掃除とか本当に大嫌いなのだけど息子にやれと言ってもやらないからほっておくとカオスになると思って、仕方なく、掃除してくたくたになってしまった。
それでも、目指す大学が決まった途端に、真面目に勉強を始めた息子の環境を少しでもよくできるものなら頑張らにゃ、と思って、自分の仕事を後回しにして掃除とかしてるというのに、学校から帰ってきた息子くん、やたら、不機嫌なのである。
「どったの? 」
と訊いても返事なし。
ほっとくか、触らぬ神に祟りなし…。
「ご飯だよ~」
と夕飯の時間に子供部屋をノックしたが、やっぱ、返事なし。
「ご飯!」
ちょっと大きな声で言うと、数秒、間が開いて、
「分かってるよ~、何度も言わないで。一度言えば十分だから」
と怒鳴り声が戻ってきた。
ひゃあああああ、恐ろし。小さく、カチン、となった父ちゃんであった。
呼んでも出てこないから冷めるとまずいので、先に食べていると、あ、もう食べてる、と文句を言いながらやってきた、息子。
「呼んだら、すぐに出て来いよ。冷めるの当たり前じゃん」
「でもさ、やらなきゃならないことがたくさんあるんだ。24時間じゃ足りないくらい大変なんだよ」
そうだろうな、と思うから、ぐっと堪えた、父ちゃんであった。
とにかく、そこから二人は無言で夕飯をつつきあった。
最後のおかずが少し残ったので、皿を息子の方へと、すすっと押しやった。
食べていいよ、という合図である。
息子が箸を伸ばし、おかずを摘まんで口にいれたところを見届け、訊いてみた。
「なんかあったの? めっちゃ不機嫌なんだけど、パパにも不愉快うつるから、あまり不機嫌になるのやめてもらえないかな?」
「だって、勉強が難しすぎるんだもの」
「わからないことがあったら、教えてやるよ、言ってみ~」
すると息子が顔を上げて、ぼくをじっと哀れむような感じで見つめ、数秒遅れて鼻で笑うと、口元がみるみる緩みだし、
「わかるわけないでしょ」
と小さな声で吐き捨てた。
カッチーーーーーン。
「パパには逆立ちしても無理だよ」
とそこからフランス語になった。都合が悪くなると全部フランス語だ! フランス語め!
カッチーーーーーーーーン。
「無理かどうかわからんやろ、言うてみろ」
と無理してフランス語で言ってやった。
「あのね、もういいから、ご馳走様」
立ち去ろうとしたので、慌てて引き留めた。
「待て! こら、親を舐めるなよ。これでもパパはお前の4倍はこの世で生きてる」
「年月とか関係ないよ。じゃあ、言いたくないけど、フランス語の条件法とかわかるの?」
「はぁ? 条件法だと? (一度天井に視線を逸らす父ちゃん、じょ、じょうけん、ってなんの条件だろう)」
「ほら、ぼくね、これ以上、パパを傷つけたくないから、この話しはもういいよ。だけど、出来ないんだから、教えるとか偉そうなこと言わない方が身のためだよ」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「日本人なんだから、フランス語分からなくても仕方ないだろ? 仏語以外ならパパだって、ちゃんと勉強してきたし、わかるよ」
「英語だって、ぜんぜん、ダメじゃない。いつも僕が通訳してるじゃん。パパったら、ソーリーしか言えないくせに」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「数学もぜんぜんダメだったでしょ? パパ、そもそも足し算苦手で、いつもスーパーで携帯の計算機で足し算やってる。算数じゃないんだよ、ぼくがやってるの数学だよ?」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「数学がダメなんだから、物理とか科学とかだって、ぜんぜん問題外でしょ? じゃあ、いったい何をぼくに教えられるって言うの? ごめんね、こういう言い方したくないけど、パパがちょっと毎日うざいからさ、一度、現実を知らせといた方がいいと思って、教えてあげてるんだ。息子の身にもなってみてほしい」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン、通り越して、ガビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「昔、歴史は学年で二番になったことがあるもん」
思わず、もん、が飛び出てしまったじゃないか!
「パパ、じゃあ、ジャコバン派を率いて恐怖政治をやったのは誰だっけ?」
「あ、わかる。知ってる知ってる。ええと、悔しいなぁ、出てこない。いいか、言うなよ。パパ、それ知ってるもん。ならったもん、高校の時に、ええと、ああ、くそ~、思い出せない。知ってんだけどなぁ、出てこない。教えてくれ、降参だぁ」
「マクシミリアン・ロベスピエールだよ。これ、小学生レベルの質問だよ」
「そうだ、ロベスピエールだった」
「彼はどうやって死んだか、わかる? わかるよね?」
「え? 老衰?」
「ギロチンにかけられたんだよ。フランスの幼稚園児でも知ってるよ」
カッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン
「逆に聞きたい。パパは、学校で何勉強してたの? 」
ガビィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
「音楽はプロだぞ」
「でも、楽譜読めないよね?」
「楽譜に頼るような甘ちゃんの音楽やってないだけだ、パパはバリバリのロックだ」
「ロックは残念だけど、大学受験に関係ない。パパ、ごめん、気持ちは痛いほどわかったから、もう、この話しはここまでにしよう」
と言って息子が立ち上がったので、その背中に向けて、ぼくは
「第三共和政の最初の大統領は誰だ?」
と投げつけた。すると息子はぴたりと立ち止まり、
「多分、アドルフ・ティエール。パパ、知ってるの? パリ・コミューンとか、あの時代のこと」
と投げ返され、思わず、たじろいだけど、ポーカーフェイス貫いて、まあね、とさわやかに答えておいた。
「へ~、凄いね。ちょっとアドルフ・ティーエルのこと、勉強しとくよ、ありがとう」
もちろん、第五共和制があるのだから、第三もあるに違いない、と想像して、適当に投げつけたに過ぎない、悔し紛れの投げ問だった。
つまり、ぼくの出番じゃない、ということだけはよくわかった。仕方ない、遠くから息子を見守っておいてやるか…。