JINSEI STORIES
滞仏日記「やばい奴らに囲まれた、フランスのロックダウン裏事情」 Posted on 2020/11/09 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ふと思ったら、一応、緩いにしてもフランスは全土でロックダウンなのである。全然、そんな感じじゃない。みんな好き勝手している。
テレビを付けたら司会者の人が、昨日の感染者数は8万6千人です、と普通に伝えていた。(今日は3万8千人程度だった。これって、成果出てきたってことだろうか?)
日本では感染者数が増えつつあると言っても千人程度なので、いずれにしても、桁が違う。アメリカが13万人ということだけど、向こうは人口がフランスの五倍もある。
死者は300人ということだけど、だんだん数字に麻痺してしまい、驚かなくなってしまった。やれやれ。
息子にイカのアヒージョパスタを教えてやった後、父ちゃんはマスクに抗菌スプレーをシューっと一吹きしてから、前のアパルトマンの片づけに出かけた。
というのも月曜日と火曜日に窓を全部とっかえるというのである。
おいおい、その前に、水漏れをなんとかしてくれよ、と腹立たしいけど、これがフランスなので、怒るだけ損というものだ。
今は狭いけど落ち着いて眠れる仮の宿があるので、居心地がいいし、とりあえずは現実を見ないようにして生きることにする、と決めた。
馴染みのカルチエ(自分の街)に戻ると、行きつけのバーに入っていく人影を見つけた。
変だな? 日曜だし、ロックダウンだから営業してるわけはないし、行ってみよ。
バーの窓や扉はすべて黒い幕が内側からかかっていて中が見えない感じになっている。
でも、灯りが点いているので、誰かがいる。
工事業者かもしれない。
ロックダウンでも工事は出来る。
近所の美容院も業者が改修工事をしていた。
無駄に閉じてるわけにもいかないので、ロックダウン中に内装を変えるところが多い。
隙間から中を覗こうとしたら、その隙間からこちらを覗く青い目があった。
ぎょえ~。
後ずさりしたら、ドアが開いて、共同経営者のアントワンヌが顔を出した。
「あれ、いたんだ!」
すると、アントワンヌが唇に指を立てて、中に入るよう、手招きをした。
ぼくは辺りを見回してから、言われるまま、中に入った。
ぎょえ~~~~!
み、みんないるじゃないか?
「何やってんの?」
背後でアントワンヌがドアを閉め、鍵をかけた。
鍵?????
カウンターに居並ぶ、常連客たち、みんなビールを飲んでいる。
近所のガレージの主任、ガーディアン、大使館の運転手、クリーニング屋の息子、5,6人の常連客が集まっていた。
「ツジー、おかえり。日本はどうだった?」
「日本はどうだったじゃないでしょ? ロックダウンなのに。あんたら何してんの? 警察に逮捕されるぞ!」
「大丈夫、俺たち、ここの内装工事手伝ってるんだよ。心配すんな。工事はやっていいんだ」
「やっていいって、ビール飲んでるじゃん。昼間から」
「休憩くらいするだろ。お前が来る5分前まで奥のキッチンをみんなで工事していた」
これが言い訳だということくらい、すぐに、わかる。
アントワンヌがカウンターの中から、ビールでいいか、と訊いてきた。
「いらない。ちょっと用事がある」
ここにいちゃまずいと思った。早く退散しないと、…。
「お前ら、本当に工事だな?」
すると、むかえの建物の管理人をやっているジョゼがハンマーを持ち上げた。その隣にいるクリーニング屋の息子がペンチをぼくに突き付けた。
わざとらしい。
「感染に気を付けろよ」
ぼくは言い残し、外に出ようとしたら、誰かがノックをした。
ぎょえ~。
慌ててアントワンヌを振り返る。警察かもしれない。
ぼくは関係ないのに、逮捕されてしまう。
アントワンヌが真剣な顔でやって来て、静かに、とまずぼくに合図を送った。
アントワンヌが扉の隙間から外を覗き込み、急いでドアを開けた。
すると、大学教授のジェロームが立っていた。アントワンヌが素早く招き入れ、再びドアを閉め、鍵をかけた。
「バイデン!」
ジェロームが店内に入るなり、笑顔で叫んだ。すると全員がジョッキを持ち上げ、
「バイデン! バイデン!」
と歓声を張り上げた。
「アントワンヌ。悪いけど、俺は出る」
「オッケー。急いで!」
ぼくはみんなに、バイデン! と叫んだあと、外に出た。やれやれ。
禁酒法時代の密造酒組合か。アルカポネか、お前ら!
一応、心配なので、マスクをゴミ箱に捨て、新しいのに取り換え、手の消毒もしておいた。
ぼくは神経質な日本人と揶揄されても構わない。
こういうフランス人がいるせいで、フランス政府は毎日、大変なのである。
何万人も感染者が出ていても、日本人のようにびびることもなくて、こうやってこっそり集まって、この瞬間を謳歌してしまう。
イタリアやイギリスやドイツのようにマスク反対デモとかはしない。
この連中はデモもコロナもあらゆることから自由なのだ。
日曜日の午後、警察も休んでいる日中、堂々と地下活動をするオヤジたち。
この店は暫く行くのやめよう、と心に決めた。
自分のアパルトマンに行き、窓をあけて、空気を入れ替えた。
工事は朝から入る予定なので、窓際周辺のものをどけ、工事をしやすくした。
新しいアパルトマンに持っていく皿や仕事道具などを選んだあと、ギターの練習をした。
小一時間程度なら歌っても怒られないだろうと思って声出しをしていると、15分ほどして、玄関のベルが鳴った。
「やばい!!!」
また、下のお父さんに怒られる。
前にも一度乗り込まれて、夕方以降は歌うの控えてくれ、と怒られたことがあった。
ぼくは声が人一倍でかいのである。
最悪な日曜日だ。
ギターを置いて、玄関に行き、ドアを開けると、
フィリピンちゃんが立っていた。
フィリップの女性風の言い方だと、フィリピンになる。可愛い名前だね。
下の階の怖いお父さんの娘さん、大学二年生だ。
「あの、この間は日本のお菓子、ありがとう。これ」
そういうと、カードを差し出された。
そうだ、一昨日、上と下の階の子供たちにお菓子のお土産をドアにぶら下げておいたことを思い出した。(11月6日の退屈日記参照されたし)
女子大生にカード貰えるだなんて、思ってもいなかった父ちゃん、感激だった。
日本好きのフィリピンは小さくお辞儀をして戻って行った。
「辻さんのお気遣いにとっても感謝! チョコレートはとっても美味しかった、超感動でした。あなたの日本旅行、いい旅であったことでしょう。もう一度、ありがと。フィリピン」