JINSEI STORIES

滞日本日記「息子の問題で親戚に相談をした。親身になってくれる人の声」 Posted on 2020/11/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリに帰る前に、みなちゃんと向き合った。
みなはぼくが学生の頃に居候した親戚の家の二女で、気がつくと数十年来の仲、いつの間にか、ぼくの妹のような存在になっていた。
ぼくが世の中に見放されている時もつねに寄り添い励ましてくれた人で、それは今も変わらず、頼りがいがある。(生きる上で味方は大事!)
今回は息子が不意に「学校を変える」と言い出した問題で、相談に乗ってもらった。
彼女は長年、息子の親代わりを続けてくれている。
うちの子はみなちゃんに物凄く懐いている。数年前、彼女を「ママ」と呼んでしまい、息子はスーパーで号泣をしたことがあった。
それだけ、心を許した存在でもある。穏やかで、優しく、何事にも動じない人だ。
息子は日本に来ると、福岡の実家に行く前に必ず数日みなの家に泊まる。
そこには、二人のお兄ちゃん、一人のお姉ちゃん、そして二匹の犬がいる。温かい家族…。
自分がそこの一員になることで、彼は家族を噛みしめてきたのだ。
その子たちのお父さんはお医者さん、みなちゃんも理学療法士である。
息子にとって逃げ場となる親戚がいることは救いだった。
そんなみなちゃながこの進路の問題をどう思うのか、聞いてみたかった。

滞日本日記「息子の問題で親戚に相談をした。親身になってくれる人の声」



みなは、若い頃のぼくと今を生きる息子が似ている、と言い出した。
「ひとちゃんは、本当に自由だった。自分の将来への迷いがなかったものね。いつもバンド活動に明け暮れていたし、毎日小説を書いて、他にもいろいろ、それは今も続いている。その姿を生まれてからずっと見続けてきたあの子がパパと同じような道に進みたいと思うのは自然なことだと思うけど。うちの子たちは両親が医学をやってるから、医者を目指そうとした、当然のことだった」



そこでぼくは時代が違うと説明をした。
ぼくがミュージシャンや作家を目指していた80年代はバブル期で、アルバイトでも生計が十分に立てられる時代だったし、何より、ミュージシャンも作家でも生活費を稼ぐことができた。
でも、今はそうじゃない。その上、テロ、コロナと世界を停滞させる不穏な要素が溢れている。
こんな時代に、必要なことは、まず自分が生きて行く方法を見つけることだ、とぼくは力説した。すると、みなちゃんは静かにこう言った。
「あの子に限らず人から影響を受けるのは大切なことだけど、それは生きていく上での引き出しの1つで自分の中から『これをやりたい!極めたい!』という感情が湧き出ないと、流されてしまうし、揺らいでしまうと思う。
あの子を含め、自分の子供達にはこの仕事が好き!と思って人生を傾けられる仕事と出会って欲しいし、生きて欲しい。仕事ってやっぱりキツイし大変だし逃げたくなる時もあるから。だからせめて自分で選んだ大好きな仕事に就いて欲しい。それが見つからないうちはひたすら数学や歴史を学んで視野を広げるべきだと思う」



ぼくは素直に、そうだね、とは言えなかった。でも、こういう意見も息子にとっては必要なのかもしれないな、と思った。
みなちゃんに会って、家族の意見の一つを聞くことが出来たから、ぼくは満足だったし、それを持って、パリに戻ることになる。
そして、戻り次第、息子とはとことん議論しなければならない。
今日はその束の間の、ある意味、予行練習となった。
ぼくがどういうスタンスで息子と向き合うのかを考える、いいきっかけになった。



彼女は理学療法士なので、別れ際、ぼくの身体のチェックをしてくれた。
実は最近、やたらふくらはぎがもわもわしてしょうがない、足が重いのだ。
マッサージをしても、その瞬間はスッキリするのだけど、翌日には再び、重たくなる。
そう伝えると、チェックをしましょう、と言われ、少し広い場所で歩かされた。
ぼくの後頭部をみなが手で支え、二人で歩いた。
それはちょっと奇妙な光景だったと思う。
ぼくが大学生だった頃、みなは小学生だった。
その頃のことを思い出すと、口元が自然に緩んだ。
すると、数歩歩いたとたんに、みなが大きな声で言いだした。
「ひとちゃんは歩く時の重心が後ろ過ぎる。こりゃあ、ふくらはぎがきつくなって当然よ。こんな歩き方をしていちゃだめ。重心を前にして、足の親指に体重がかかるようにしないと」そこから、少し骨盤調整の仕方を習った。
床に寝て、膝をたて、左右に倒す。楽に行かない方が悪いらしく、反対側に膝をとんとんとんと倒すよう指示を受けた。
それを何度かやっているとスムーズになった。
骨盤だったか、背骨の矯正になるのだという。
おかげで、歩くのが楽になった。
足の親指を意識しながら、ぼくの場合、やや前傾で歩かなきゃならないのだそうだ。
そうすると膝上の腿の筋肉を使うことになり、ふくらはぎが楽になるということであった。
「ひとちゃん、お互い、若くないから、まずは、健康であることを心がけましょうね」
ぼくはみなのために特大の魚介パスタを拵えてあげた。当然食べきれないのでタッパーに詰めて彼女は持ち帰ることになった。夜に家族と食べるために…。

滞日本日記「息子の問題で親戚に相談をした。親身になってくれる人の声」



自分流×帝京大学
地球カレッジ